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『談話室』 総集編 2月分 (▼03/02/01〜 03/02/28) | |||
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もう2月も終わりだというのに、今朝は本当に寒くて逢坂山では0℃だった。でもお昼の日差しはもう春。真青な空を背景に、比良連山の頂上付近は、雪がキラキラと銀色に輝いている。冬の間はどんよりした空に溶け込んで、あまりインパクトがないのだが、早春には、くっきりと稜線が見え、がぜん、比良山が自己主張し始める。恋し始めて変貌した乙女のようにドキッとさせられる。あるいは今はの際の断末魔の叫びのようでもある。しかしそれにしては美しすぎる姿がやがて、春のもやに包み込まれ、差し障りの無い穏やかな姿に生まれ変わる。もう誰も振り向かない。でもそこにある事が、我々を安心させる。変らない自然の営みが我々を癒す。春が近づく一歩、一歩の音が聞こえるようだ。
日本の国鉄の運転手さんが列車をホームの決められた場所に止める技は、世界一だと、昔聞いた。今は昔よりちょっと甘いような気がするが、でもいつも感心していた。1メートルと違わないから。でも90メートルはすごいし、8分間の熟睡もすごい。そんな病気があるという話もあるが、まあ自動制御装置があってよかったよね。病院に、自動誤差検出器があれば、薬の調剤ミスも減るだろうけれど、そんなものは無い。どちらも、命がかかっているのだから、「あっ、間違っちゃった、眠っちゃった。」では困るのである。でも、人間は間違うものである。戦争は誰が見ても間違いだと思うのに、それをする人もいる。皆で反対しても止まらないんだろうか。
1泊の北陸温泉の旅。JR指定席は往復とも完売。自由席では立っている人が居るほどの盛況。しかも女ばっかり。おばさんばっかり。コレじゃかに≠熨蝠マだぁ。前夜飲んだくれた地酒を買おうと、立ち寄った「京福電鉄」の「芦原ゆのまち」駅前の店で、面白い別のお酒発見! 大きな保冷タンクから試飲させてもらった地酒の生酒≠ェ美味しい! 棚に並ぶビンを選んでつめてもらい、越前和紙のラベルに「芦原温泉旅記念」なんて好きなこと書いて貼ってもらえる。
この『地酒蔵』をインターネットで検索すると、不思議、この近藤酒店以外にもある。私の想像では、このシステムを売る会社と地酒メーカーの合体か? ラベルの様子は東京のこちらのHPで見られるが、中味はそれぞれ違うはず。記憶が正しければ、タンク内は福井のこの地生酒である。
酔って目が回りそうな話だが、ノンベエの友達もお勧めだから、これを送ってもらえばきっと心地よく酔えるよ。
朝の露天風呂から見た海。
どこだと思う?
クリックすれば大画像(27.3Kb)が見えるよ。
「だってぇ、家族で入ればみんな助かるしぃ」あのCM面白い。私はCMをいつも楽しんでいる。いつもドキドキしながら見ている。全てのCMに共感できたり、好意的に見られたりするほどの寛容さは持ち合わせていないが、昭和の終わった日は、終日ノーCMだったからさみしかった。「お前が半額だからだろ」・・・・・・・・・「お宅も ぜっひ。」で終わるのが、宣伝をしているのだゾと、とっても分かりやすい。半分は、ばれているだろうと思っても、お構いなしに、自分の責任範囲からスルリと抜け出す若い人のことを、全て笑って見過ごせる、あるいは責任持って文句の言える大人になれればね。あなたはどーお?「みんなが言えれば助かるしぃ。」
久しぶりに本気になって『ロウの花』を作った。自分を削って、それを形にするのが芸術だというが、物を作るためには、確かに自分の中に、表したい何かがあり、それを具現するエネルギーが要る。貯まっていたのは体重だけではなかったらしい。きっかけは、このZimmer≠通じて、習いたい人が出てきたからだが、触り始めたら、思い出す、思い出す。花作りの勘だけではない。本来の私も。薬剤師である私も私だが、コレも私。しばし、創造力のなすがままに身をゆだねてみよう。何か新しい小さな芽が出ているかもしれない。もうすぐ春なんだもの。あなたの中にも気がつかないうちに密かに育っている芽があるかもよ。踏み潰さないように注意しようね。
朝5時半、モーニングコールが?! 枕元の電話に不気味なワンコール「リ〜ン」。わたしゃ、モーニングコールなんて頼んだ覚えないよ。いつかも、一度あったが、眠くて時刻も見られないほどだった。もーやめてよ、昨日2時まで眠れなかったのに。10時くらいに寝たときにしてよ〜〜〜。眠いじゃない。モー。今日こそ早く寝よう。
梅のたよりが聞かれるが、寒い。今日はみぞれ混じりの雨だった。デパートの「冬物半額、冬物一掃・・・」カシミアや毛皮のマフラーや厚手のコートが、春色の 洋服のかたわらで肩身が狭そうに、肩を寄せ合って並んでいるのが気の毒に思うほど。
寒空の中よく見ると、桜の蕾は着実に、間もなく訪れる華やかな時期の準備をしている。都会の無機質な空間で、春を感じさせるのが、春色の洋服だけというのはいかにもわびしい。京都・滋賀の梅たよりのHPがありました。こちら
昨年10月に、韓国の亀尾--KUMI-- から亀尾フェスタ≠フため大津市にお客様があった事は述べた事があるが、そのすぐ近く、車で30分くらいの大都市がテグ--DAEGU--≠ナある。昨日124人の犠牲を出した地下鉄、大惨事のあったところだ。私は又何か政治的な背景でもあるのかと思ったら、道連れ自殺をはかった人が居たという事だ。そして本人は生きている。世の中はそういうものだと、今度きっと分かったよ、彼は。今年、8月21日〜31日、テグではユニバシアードが開かれるので、たいそうな宣伝である。大会の歌やDVDも、去年亀尾フェスタ≠フ歓迎会で手に入れた。ちなみに、HPはこちら、
「ヤフー韓国」にアクセスすると、ハングルの見えるソフトがダウンロードできる。しなければ文字化け。一応ダウンロードしてハングルは見えるが、解読不能であることに変りは無い。でもこのHPには英語のページがあるので、興味のある方はどうぞ。
花は寒いのは嫌い、と勝手に決めていたのだが、園芸コーナーのおじさんが、「凍てへんかったら、かまへん」と言っていた。部屋の中に入れっぱなしにしている、箱入り娘のセントポーリアの鉢をベランダに出してお日様に当てた。
1日で、今までダラーと下に垂れていた葉っぱがしゃんと立って「バンザーイ!」と言っている、と見える。あなたもお日様に当っていますか? 私達も、花と同じ地球上の生物のひとつなんだもの。元気にならないはず無いと思わない?
あー、やっと健康保険証が見つかった。
昨年12月に体調が落ちて以来、あらゆる物が、あらゆるところで、何の法則性もなく積まれたままになっている。唯、塊の一つ一つは、その中に経時的な変化を含まないので、ある程度の判断はつくのだが、その塊同士が、密着しているとちょっと、まずい。うんざりするほど片付けて、まだ出てこない。諦めかけた頃、ひらめいた。本の中。待ち時間に読んでいた本にあるに違いない。目の前にあったのに。神様は意地悪、いいえ情け深い方。お陰で綺麗になった。これが見つかっただけで、病気が治ったような気になる。健康保険証ってなんて偉大! でもやっぱり言われた。「3週目やね。」ちゃんと行かないと怖いんだから。
10日ばかり前、シートベルトの検問にひっかかった話。もう時効(?)だからご披露。
風邪が治りきっていなくて、なんだか寒くて、ダウンのコートを首まできっちり閉めて運転していたが、警官の姿に、「あっ、シートベルト!」と慌てて、右後方に手を伸ばしたとたん、前の信号が赤に。安全地帯に誘導された。窓を開けると「奥さんシートベルトしてくださいねえ。」と近寄ってくる。「しんどくて」と答えた瞬間、急に入ってきた冷たい風の刺激に耐えかねた喉から、ものすごい咳が、目の前の警官の顔に向けて、機関銃のように飛び出した。彼は、こんなところでインフルエンザ地雷に当っては大変と思ったのかどうか、「いいです。どーぞ。」と無罪放免になった。信号で止まって、それを見ていた隣の車のおじさんの怪訝な顔を横目に、スーッとその前に出て、おさらばと相成った。めでたしめでたし。
風はまだ冷たいが、明るい日差しに誘われて、自転車で琵琶湖岸に出てみた。沢山の人が、キャッチボールをしたり、散歩を楽しんだりしている。琵琶湖の向こうに霞む比良の山並みには雪が銀色に光っている。水の匂いが風に乗って漂っている。もっと暖かくなると湖岸まで出なくても、この香がするようになる。そして「春になったなぁ」と思う。春には何某かの希望が誰の胸にも去来する。この水の匂いは希望の匂いでもある。
チョコ、貰っちゃったぁ〜。「こんな時期やからチョコレートにしたけど、男の私があげていいのかな。」と言いつつ下さった。実は長年連れ添った奥様の忌明けのお供養なんだけれど。私はチョコは大好き。あげるのもいいけれど貰うのはもっといい。あなたは、いくつ貰いましたか? ところで聖バレンタイン様、私、ホワイトデーのプレゼント何にしたらいいかしら。困ったなぁ。
12月に知ったのだが、この本がやっと読めた。風邪の山が3度あり、それとともに腰痛も悪化。読む元気なんてなかったのだ。著者長谷川淳史氏のHP[TMS JAPAN]でTMS(Tension Myositis Syndrome)理論を提唱している、アメリカ人医師ジョン・E・サーノ博士を知り邦訳『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』も読んだ。Mind Over Back Pain≠ニThe Mindbody Prescription≠ヘ未訳。大雑把に言えば、自分が抑圧していて、通常はその存在すら忘れている、無意識に眠っている感情(怒り≠フ事が多い。目の前にある怒りはそれ≠フ代替品である事が多い。)が、意識に上ろうとしたとき、それを許せない脳が、あるいはそれによって神経が壊れるのを避けるために、痛み≠つくりそれで一杯にしてしまう。だから、こちらはむしろ意識に集中して、何が原因なのがわかれば、抑圧された怒りを意識させないでおこうとする、脳のもくろみは崩れ、痛みを出す必要が無くなるというのだ。完璧主義の人ほど、立派な人ほど痛みは強いそうだ。
実は、私は既に年頭にこのHPで読んだやり方に従って、やってみて痛みがやわらいできた。この著者は繰り返し言っている。効くのは95%だが100%ではない。科学的な検証はまだ済んでいない。正統派の医学からは異端視されている。でもこの考えを受け入れた人は治っている。この本は、素人向けに書かれたと。そして次のようにも述べている。
・・・・・・・・・・・・病気の原因はあなたの心にあると告げられた患者さんは、はたしてどう感じるでしょう?仮病だと非難された、未熟者のレッテルを貼られた、性格の欠陥を指摘されたと感じないでしょうか?TMS理論を導入するに当たって、一番気をつけなければならないのは、患者に病気の責任を押し付けてはならないと言うこと・・・・・・・・・・・・・病気は医者任せ、病院任せにすることに私は反対だ。自分が主体的に取り組む事で、もっと早くもっと良い効果が得られる事もある。いらんことしんといてほしい≠ニ思うドクターがおられるのも事実だが、腰痛に関しては、この理論は医療の邪魔にはならないように思う。
何度もこの本を読めと書いてある。本はいつも1回しか読まない。図書館で借りて読めば物が増えるのが避けられる。でも3回読もうと思えば、買わなければならない。毎日忙しく暮らしていると、忘れてすぐに今までのやり方に戻ってしまうからだろう。
簡単な理論だが、私が言うと誤解を招きそうだし、今までもこのような考えはあったと思う。TMSをもっと知りたければこちらへ[TMS JAPAN]と[ほうせい治療院]
あなたの腰痛は必ずよくなる!! あなたの花粉症も、あなたのアトピーも・・・。
「インターネットでこんな事もできます。」って感じで一緒に死んじゃった若者3人。情報量が増えすぎて、まだ消化能力の無い人でも見て、下痢なんて事になる可能性あるよね。自分とは関係ないことなのに、我事のように思えることもあるかもね。何で自分だけ我慢しなきゃなんないのとか、不幸なのとか思うかもね。死への努力、もうちょっと違う使い道なかったんだろうか。しんどくても生きてる≠アとに何か意味があるはずと、おばさんだって、けなげに思ってるんだけど。自分は自分じゃない。
トイレットペーパーが値上がりするかもという話だ。原料となるオフィス古紙とか牛乳パックなどの良質古紙が減少、なおかつ中国へダンボール素材として輸出、あるいは再生紙を使用≠オている品物が増えたため、原料古紙が3倍に値上がりしたのだという。以前の、石油ショックのときのような事は無いというが、TVのいう事あなた信用できる?
今日スタンドでもガソリンも灯油もまた値上がりしていた。こんなのあり?
イラクとの戦争が始まったらまた上がるよね。ガソリン買いだめしている人いる?
湾岸戦争のとき、ソースの原料に中近東のスパイスが大量使用されていると聞いて、戦争が長引けばきっと高騰する、いや品切れになると、私には分不相応なでかいソースを買った。結局すぐ戦争は終わって、予想は見事外れた。お好み焼き屋でもたこ焼き屋でもない私。その後の事想像して。まあこんな例もある。あなたはどうする?
「6001番ゲット。有り得な〜い。」今日は、この間からの寒さを考えれば「アリエナ〜イ」暖かさだった。こんな言い方が一昔前の「ウッソー」と同じような感覚で、女子高校生などに流行っているらしい。たぶん東京のごく一部のことだろうけれど、元々ルーズソックスだってそうだった。いつ日本中に蔓延するとも知れない。
いささか残る文語的な臭いが、くだけた彼女達とミスマッチしているのが、また新鮮なのかもしれない。「何が」を言わずに「有り得な〜い」だけを言って、それとはっきりさせない事が相手に優しいのだそうだ。気分だけ。省みれば私達だって「スゴ〜イ!」と言う。主語なしで、誰の言葉か分からず、古典文学で苦労したよね、あなたも。日本人は昔からこう。でも私の周りの若いもんははっきり言うよ、有り得ないほど。古い私なら「このように沢山の人に、『談話室』においでいただけた事は有り得べからざる事です。本当にありがとう。」と言わねばバランスが悪いわね。6000番はどなたでした? ちょっと足跡みせてほしいな。
料理していて久々に右手の親指の先を負傷した。最近は調理器具が余りにも便利でつい、包丁よりこちらのお世話になる。大根の千切りをしていて力が余ったのか、刃が切れなかったのか、ちょっとかすったかなと思ったのに、バンドエイド一枚では血がとまらない。意外と深手だった。ちびた野菜を挟んで削る道具がついていないものだから、気を抜いたときにやってしまった。細かい作業をする時に、指の先がどんなに働き者だったか分かる。キーボードは人差し指を使うことが多いので、入力は出来るが、ボタン賭け、ファスナーの上げ下ろし、などの作業能率が落ちる。緊張が維持できない。健全なる仕事は、健全なる身体から生まれる。≠アういう諺ってあってもいいよね。
知ってる?ゴッホの30cmばかりの絵が6600万円で先ほど落札されたそうだ。
モーいやになるね。しんどくて去年の8月から放りっ放しだった私の現金出納帳、やっと整理がついたが、コレを聞いて私のこの1年の生活が、金魚鉢で、ため息をついた金魚から出た一粒の泡のような気がする。
一つ入力するとバーンと勘定項目別に合計が出て、エンゲル係数や、水道光熱費等の推移も一目で分かる様に仕組んでいる。分かったからってどうなの、と言われれば、増えるものもあるよと応える。大きなため息の数。よりによって確定申告のこの時期、ショックを受けている人いるだろうな。私以外にも。日本でこんな人いるんだもんね。もしかしたら、日本人のバイヤーを通してよその人が買っているかも。そう思おう。
大根を一本抜いて帰ろうと実家に寄った。両親は趣味で、野菜作りをしている。無農薬、採れたては実に美味しい。スーパーのは、なんかうつ≠チぽいが、実家のものは野菜としての心意気が感じられる。だから面倒でもとりに行く。こういうことに私は努力を惜しまない。この時期、数が減ってくる上に、油断すると、大根の花が咲くから急がねばならない。畑に出ると、エーエッ!?大根の地上部分に大きな洞穴が!下の方までくりぬいて、食べ散らかすことなく、次の大根に移った模様である。被害大根は、太くてしっかりしたのばかり。ムムム。カラスの仕業である。昨日朝から実家の方でもイヤにカラスの鳴く声が聞こえたらしい。そして昨日は人参がやられたのだそうだ。残りの人参を全部掘り起こしたものだから、今日は大根。「雪が降って近くに餌がなくなったからじゃないの。」とゆったりしている母とちがい私は「なんで家の大根が美味しいってわかったのだ。」と怒りながら、カラスにちょっと突っつかれただけで、見捨てられた大根を引っこ抜く。あと38本のうち、無傷なのは半分くらい。これから数日間、我が家は大根のメニューが続く大(根)惨事となった。
毎夜NHKのアンコールシルクロード≠ノ付き合って眠い眠い。私はこの手の番組が好きで、どうしても夜更かししてしまう。もう20年も前の番組なんだそうだ。ついこの間のことだったよね。たぶん人は好きなものや好きな色やは一生変らない。たとえ何が流行ろうと、ファッションでも私の好きな形は変らない。残念な事に好きでも似合わないものもある。でもだからといって嫌いにはなれない。こころ≠ヘ変るものの代名詞のようだが、本質のところではきっと変らない。好きな国も、好きな人も。
今宵のシルクロードは楼蘭=A途中で眠らないように、ちょっと仮眠しようか。
腰痛に関するHP TMS JAPAN≠ゥらスタート。ENDRとNLPとADとDVが分からなくて検索を始めたところ、こんなHPに着いた。理学博士の青山圭秀氏のHPだが、初めて聞く名だ。『愛と復讐の大地より』という著作紹介のページが良かったのでちょっと長いけれどそのまま、引用します。-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-何であれ、物事を知るには、その栄光と苦悩の両面を知らねばならない。そして、一つの国や人びと、一個の人間を愛するためには、その光と陰の相剋すらも愛さねばならない。
この世がこの世である以上、善も悪も、共になくなることはないだろう。仮にどのような高潔な政治が行なわれ、経済が発展し、科学・技術が進歩したとしても、世の中から悪が一掃され、善だけが残るということは起こらない。善と悪という絶対的な実体が存在するのではなく、相対的な善悪が存在する。それが現象界の宿命であり、本質なのである。
その中で生きるわれわれは、ときに両立し得ない二つの善の一方を捨てねばならないことがある。そして場合によっては、二つの相対的な悪のうち、どちらか一方を行なうしかない立場に立たされることもある。人生はまさに、そのような選択の連続といえる。
われわれはたぶん、一人残らず、その愛の部分、光の部分だけが好きなのである。愛と光の輝き、明るさ、あたたかさ……。しかし、それに必然的に伴う陰の暗さや冷たさを無視して、この世界を語ることはできない。
そうして、さらに厳しいことに、われわれは自らがどうしようもなく担う“宿命”の、いい部分だけを取るということができない。地上に生きる誰にも、幸と不幸の両方がやってくる。幸福の中に、本当の素晴らしいものが含まれているように、不幸の中にも驚くべきものが含まれている。
人は結局、その両方を平静に受け止めて、粛々と自分の務めを果たしていくしかない。
立春の頃になると、随分と日差しが明るくなる。それをみてついもう暖かくなったと勘違いするが、まだまだ寒くてインフルエンザの勢いはおとろえてはいない。同様に常は見えないのに、アレッ? 棚の上に沢山埃が見える。私は、コレで鼻炎になる事は無いが、ハウスダスト(+)の検査結果が出た人にはいやな季節。今年はかなり花粉も多いと予想されている。早めに抗アレルギー剤飲んでくださいね。私も早めに掃除しないと、ドンドン埃高き女になっていく。暦の上では、今日からが新しい年。運気も今日から変る事になっている。お正月よりも、今の方が変化の兆しが感じられて、明るい未来が開けそうな嬉しい感じがするのは私だけだろうか。
今も、我が家はまるでカレー屋さん。昨夜ホームメイドのカレー粉を作った。自分だけの・・・みたいなことが書いてあった。21種類のスパイス各々の量を調節するといいのかもしれないが、【作り方】には、「全部をフライパンに入れて焦がさないように弱火で、時々火からおろして炒って下さい。」と書かれているのみ。その通りに炒っていると、漢方薬屋の匂いもする。この匂いをかぐと、「これは身体に良いぞ」という信念にも似た気持ちが湧き上がってくる。一部を使ってタイ風のココナッツカレーを作って、小袋入りのスパイスがまだあと2袋そこに残っているのに気付く。慌てて、もう一度、全部で炒りなおしたが、前後の味の変化は全く感知できなかった。カレー粉を缶に入れて、これから何ヶ月も熟成すると美味しいらしいのだが、熟成するまであるかなあ。私は短気で食いしん坊。
スペースシャトル「コロンビア」が空中分解とは・・・・。悲惨だ。アメリカで起こることは、とにかく派手。NHKのTV50≠フニュースについてのコーナーで、一昨年の飛行機が貿易センタービルに激突したシーン、ビルが壊れるシーンを昨日見たばかりだ。「チャレンジャー」の事故は1986年だというから、もう17年前のことだ。私が若くして、宇宙に興味を抱かなかった事をありがたく思う。またたとえそのような大それた希望を抱いたとしても、私のような粗忽者は、スペースシャトルが落ちる前に、試験に落ちるという安全弁を持っている。私の身に危険が及ぶ事は無い。温泉で、せっせと脂肪の湯中分解に励む平和な日々。
丁度8時前に目が覚めて、ドン・ガバチョ氏のNHK50周年の記念番組の開会宣言を見てしまった。この小さな窓から、世界が見える。人が見える。私は実況中継が好きだ。その人の今、その人のウソ、その人の心が垣間見られる。でもそれは永遠ではない。刻々変化している。昔見た人たちが見かけは随分と年取っている。この数年でも差がある。中味がどんなに濃くなっているかいないかも、バレてしまう。
♪今日がダメなら、明日があるさ。明日がダメなら、明後日があるさ。明後日がダメならしあさってがあるさ、どこまで行っても明日がある。ドンドン・ガ〜バチョ、ドン・ガバチョ〜♪
希望を捨てずに、今日という日を大切に生きなければとちょっと反省。