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『談話室』 総集編 5月分 (▼03/05/01〜 03/05/31) | |||
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佐川美術館は、琵琶湖大橋東側に、佐川エリア≠ニも言うべき関連施設の中にある。ヨーロッパで美術館といえば、バロックの宮殿を思い浮かべるが、ここはちょっとちがう。近代的な建物をとりまく浅い池に、そよ風がさざ波をつくり、それに映る木々も含めてアートに浸っている満足がある。
内部にあるティラウンジはいつも一杯で、利用した事が無いが、琵琶湖の風景が楽しめる隣りのホテルのレストランはお勧めだ。水曜日のランチバイキングはメインテーマが毎週変る。お寿司、名古屋コーチン、お刺身、天ぷら、ステーキと盛りだくさん。こんなにすごくても食べるだけは満足できない人には、車で5分ほどのバラ園(無料)がお勧め。今真っ盛りで、一歩中に入ると芳しいバラの香りに包まれる。花から放たれる優しさの波動を、素直に受け止め得ることに満足する。食べ物以外の感動を得られることに満足する。
お豆のシーズン。実家ではキヌサヤ、スナックエンドウ、エンドウと次々と収穫期を迎える。その土地で出来た季節の植物には、その時にその土地の生物が必要な酵素が含まれている。だから、自分の住んでいる場所の旬の野菜を食べるのが、一番健康に良いのだ。問題は消費が収穫に追いつかない事。無農薬で形も大きさもいびつだが、この福音を誰かにおすそ分けしなければならない。一刻も早く食べてもらいたい。いつも絵手紙をくれる都会の友人に、ふと思いついて、お豆と枯れた花の付いた枝振りの良いのを1本入れて送った。「着いたわよあなた。ありがとう、モデルになってもらわなくっちゃって、すぐに水切りして、丁度合う、京都で買った土の花瓶に飾ったわ。お豆ってこんな風に二つずつなってるんだって、大騒ぎよ。息子夫婦がね、今日はお母さん外で食べてくるから、ゆっくり描けばって。日本国中この子達飛び回るわよ。私忙しいの。じゃ。」「ガチャン」と、こんな味わい方があった。
ただ今、温泉人気が沸騰中。琵琶湖大橋の東側、守山のみずほの湯≠フ天然温泉の源泉は34℃だから沸騰はしていないが。4月25日オープンなのに、もう8000人が会員になったという。もちろんゴルフ場の会員権とはわけが違う。クレジットカードとも桁違い。入会金200円、年会費なし。なら私のような庶民にも躊躇はいらない。ここは、昔のお風呂屋さんのイメージが近代的に膨らんだ感じだ。ただし富士山の絵は無い。こじんまりしているが、なかなかよい。二階の露天風呂に行くには、エレベータがついて、バリアフリー化を目指している。道路沿いの建物が多いところにあるせいか、すぐ近くに豊かに広がる田んぼの緑が見えないのが残念。でも天井が空いたり閉まったりして、きれいな空からは、きれいな美味しい空気が入ってきてすがすがしい。
近くにバラ園や美術館など色々あるが、混雑した曲がりくねった道ばかりの大津に比べ、、田んぼの中にまっすぐに延々続く道路を、金色の夕日を浴びて走れるのが、何より嬉しい。
24年間つきまとって捕まったストーカーは48歳。被害者は66才の女性だそうだ。こんなケースが増えてきたという。日本の女性が何より自分が輝いていることが大切と頑張った結果、ヨーロッパのように魅力的な中年が増えたのか。そのために犠牲になった母性愛を求め続ける男性が増えたのか。大きなお世話だろうが、私はこう思う。母親が「私は誰の人生を生きているのだろう。」と思うような一時期を子供は必要とする。大人が可愛がりたいときだけ可愛がれば、大人の充足感と裏腹に子供の側には不足感が残る。まあどうでも良い。私は、若い男性はいつでもウェルカムよ。
今頃、年賀状をゆっくり見るのも悪くない。というのはやけくそである。
月日の経つのは早い。それが、ティッシュペパーのように使い捨てられた日々であれば、なおさらだ。3年分が未整理。お年玉くじの当りだけを確認して、表に当りと朱書した賀状もある。故人となった人の筆跡も懐かしい。育っていく子供の写真の賀状は、捨てられない。干支のハンコ以外は寸分違わぬ、ワンパターンもある。この類はゴミ箱に直行。メールアドレスを書いてくる人が増えてこれがまた住所録の修正をせまる。毎年、おしつまらないと年賀状が書けない。止めようと思いつつ、毎度ばかばかしい事をやっている。今年こそ、残りの日々を要領よくすごして12月20日頃に投函できるように・・・・・・・・
バカね。今ごろから気合入れていたら、途中でエネルギーが切れるわね。
バーゲン会場にしては、制服の子供が多いじゃない、といった雰囲気。人でごった返す清水坂を上り詰めると、上の方に『奥の院御本尊、243年ぶりご開帳』と大きく書かれた立て札が目に入る。右手の三重の塔、そして土手に満開のさつきも、人で見えないくらいだ。今年の連休の人出トップは、長野善光寺のご開帳だったというから、日本人はよほど、「期間限定販売が好きなのね」というと罰が当るか。慶派の作になる、重文・千手観音坐像は、大変に素晴らしかったが、それとは別にこんな事に遭遇した。
「もうすぐ千日回峰の行者さんがここへ来はる。お加持≠オてくれはる。そこにお座りやす。」と聞いては、私の好奇心が、黙っちゃいない。それで、比叡山のテントが、境内に張ってあったのか。前にTVで見たあれ(京都大廻り)か。「もう900日は済んではる。一日21里歩かはる。」そうだ。こんな事は有り難い事だ。
昔ながらの、白の装束にあの独特の船型の被り物(蓮華笠)の行者さんが足早に現れた。たちまち非常な緊迫感が漲(みなぎ)る。同じように白装束の、お供をする人も10人ばかり、外人女性も一人いる。
お加持¥苑フ験。行者さんは読経後、数珠で我々の頭を触り、次に両肩を触る。「そうそこが痛いのよ」といっている暇はない。軽く、スピーディにしなければ、たくさんの人に、祝福を与える事は出来ない。このような恩恵に浴することが出来て、京都人は得、と思うか、こんな機会がないと救われないほど、京都人は罪深いと思うべきか。そして私も。お経の間に聞こえる、「・・・・・・無病息災、家内安全、商売繁盛、・・・・・・・」あーあ、人はなんて欲張りなのと、つくづく思う。しかしお加持≠受けた後は、欲が消え失せたような不思議なすがすがしさだ。
昨日の行者さんは、千日回峰を2度達成した、酒井雄哉大阿闍梨の弟子の藤波源信阿闍梨で、あの決死の「堂入り」も済まされている。尚、『千日回峰行』については、こちらのHPに詳しい
お加持≠ヘ、京都市内4箇所であるそうだが、清水寺へは一日おき、次は明日、27日正午に来られる。その時そこにいれば誰でも受けられる。
「70歳でこんな事が出来るんだ、と自分にあきれています。今度は何をしようかと・・・」こんな風に、エベレスト登頂に成功した三浦雄一郎氏は語っている。私は「こんな事も出来ないの?」と自問自答して、あきれる日々なのに。今日もダイエットできない!私も思っているよ。「今度は何をしようか」と。雄一郎氏は「夢を持ち続けて体を動かすことが健康維持の秘けつ」、「中年よ大志を抱け」とも語っているそうだ。
ある出来事が起こり、3年の月日が流れた。少ししわが増えて、かなり太った。あの頃の服を着ようとしても着ることが出来ない。ヤドカリが成長と共に、殻を着替えていくように、古い心も捨てちゃえ。新しく大きくなったつもりの心にピッタリの殻を捜そう。でも、見つからなかったらどうしよう、サイズの合わないのだったらどうしよう、と、またいつもの取り越し苦労で、やっぱりアキアキした古い殻に居続ける。心は変らない。それを変ええるのがエライ人なんだろうな。
駅の構内などで、最近は時々、英語のほかに、中国語やハングルでの記載を見かける。お風呂で見た、次の文字どんな意味かわかる?
「請勿飲用」 発音はわからない。台湾の映像では、「診急」こんな文字もあった。
漢字を見ると、何となく分かるのだが、前に中国から来た人にこんな事を聞いた事がある。日本からの封書の表に「写真在中」と書いてあったそうだ。中国では「本当の心が入っている」という意味だったので、何が書いてあるのだろうと胸ワクワクで開封したのだそうだ。写真以外に、真実の心が入っていたかどうかは聞き逃した。
幼児向け、ビジネスマン向けなど、昨今の英会話の番組は色々あって楽しい。昔は、ラジオ基礎英語、英会話、だけ。基礎英語から、英会話へのハードルがきつくて、なかなか飛び越えられなかった。というか、まだ飛び越えていない。私は、どうしても必要な人と違い、いつもいい加減で、度胸でしゃべっている。知らない単語が出てきてそれに引っ掛かっていると、次の知っている単語も聞き逃すから、聞く方もいい加減。「語学はあまり上手くない方が、誤解が無くてよい。」という耳寄りな話を聞いた。お互い一生懸命に聞いて、相手の言うことを聞こうとして間違いが少ないらしい。冷静に見て、私は、そのあまり上手くない<激xルまでも達していない事は明白だが、別人格になれる℃魔ェ楽しくて仕方が無い。回りくどい言い方が出来ないものだから、仕方なく単刀直入に物を言う。即ち私は単刀直入な人になれる。
ただ、日本語をしゃべっていても、単刀直入な人と思われている節があるのが、ちょっといぶかしいのだが。
宇治茶が実は朝宮茶であるという事は、滋賀県民の私は知っていた。しかし・・・・今年から新しく「その産地のお茶が50%以上の場合に限って、その産地ブランドを名乗ろう」という取り決めがなされた。(詳しくは日本茶業中央会HPで)ということは・・・・ブレンドが当たり前だったという事なのである。あなた知ってた?
しかも、静岡茶などは、ブレンドした土地の名前を名乗っていたというのだ。実際に川根で川根茶≠ェブレンドされている映像をみて、がっかりした。美味しいのだここのお茶は。しかし各地で、独自に基準が設けられ、ここは、100%の物のみ川根茶≠ニ名乗り、あとは川根茶ブレンド≠ニ記載することになったそうだ。えらいね。
ちなみに、宇治茶は、50%は同じだが、ブレンドする葉を、滋賀県、三重県、奈良県産以外の葉は使用しないという。今までの100%宇治茶を買う裏技は簡単。信楽の朝宮で“朝宮茶”を買えばよい。ついでながら私の買うところはこちら。
「一枚の田んぼで出来たブレンドでないお米は本当に美味しい」と思った小学生の頃の消えない記憶もある。しかしお米も、お酒も、コーヒーも、ブレンドとしての味わいもあるわね。今年の新しい新茶≠ヌんな味わいを見せてくれるだろう。
米国消化器病週間で5月18日、筑波大学臨床医学系消化器内科・谷中昭典 氏による発表である。誤解が無いように正確に言うと、かねてから抗癌作用が知られている、ブロッコリースプラウト(ブロッコリーの新芽)に豊富に含まれるスルフォラファンが高塩分摂取による萎縮性胃炎の進行を予防するという話である。以下の仮説が正しいとして、大胆に言えば、癌に効くということになる。
H. pylori 感染に伴う胃粘膜環境の変化→炎症から萎縮性胃炎→腸上皮化生→胃癌相当量のブロッコリースプラウトを毎日継続的に食べ続ければ、発がん物質の解毒を助ける酵素が元気になる。H. pylori の増殖を阻止及び、殺菌し、胃炎が抑制される。
この成果は、ねずみ君が立証してくれたのだが、ヒトではまだ。胃炎にも胃癌にも成り立ちがあり、全てに効くわけではなく、しかも大量連続摂取での話である。「ナーンダ。」と思われようが、コレも科学の進歩の為の一歩。
もしスーパーでブロッコリースプラウト見つけたら、買う? 日本人の多くはH. pyloriの 飼い主なのよ。
PC初心者の友人に、押し売り指南≠ノ出かけた。そういう方面に興味が無くても、必要だという感覚はあって、世の中に遅れてはならじと購入する人っているのよね。そういう人は、その習い方も情報の入手方法にも気がつかない。PCに出会ってから12年経つが、私はPCなんか触ったら自閉症になってしまうと、半分ほどは意識的に避けていた。でも、友人の「とんと分からない」という気持ちは、よ〜く分かる。誰かに聞きたいと何度思ったか知れないが、いつも一人で考えた。それは時間の無駄。そんな思い、できたら避けてほしい。楽しいよという事を教えてあげたいと義侠心一杯の私は、「1度見に来て」の携帯からのメールに誘われて、出かけたのだ。
話してみて、ウィンドウズ独学歴3年の私が案外知っている事を知って幸せな気持ちになった。短い時間であせって一杯しゃべったので、友人は頭の中に、先日来世間をにぎわせていた、あの怪しい渦巻きがいくつも回っているような顔つきになった。やばい!
「小さな親切大きなお世話」という言葉が聞こえないうちに退散した。
京都のデパートで開催中の、棟方志功の版画展に誘われた。久々に車で出かけたら、駐車場がすっかり変っている。きっと同じ駐車場屋さんがこしらえたに違いないとしか考えられない、他所とそっくりの駐車場ビル。とたんにそれにまつわる忌まわしい記憶が蘇る。それは常はしっかり奥の倉庫に格納されていて、鍵さえかけているつもりなのに、不意に地中から湧き出る間欠泉のように意識に登る。ゴミ箱をダブルクリックして、それを「元あった場所に戻す」ように、押し返す。でも事はそう簡単ではない。ほしい単語が思い出せず、「あれ」を連発する、あの現象も同じ私の脳がしている事。まるで「そんな単語知らん」というようなそぶり。こちらは、全開しているのにだ。
棟方志功については、大原美術館で見た以外に知識も思い出も無くて救われたが、野生の雄叫びのような力強い黒い線が、私の弱々しさを際立たせたひと時だった。
不思議な色のりんごですね。コレはただのりんごじゃぁない、あのスイスの英雄ウィリアム・テルにまつわるもの。刺さった矢を抜いた穴が、あなた、見えます? スイスの田舎の博物館で見つけました。
こういう説明がぴったりでしょ。実は私が画像ソフトで、0 から育てた、力作、傑作、話題作。折角の画像ソフト、なかなか手ごわくて、ほんの一部しか使っていない。ちょっと頑張ってみました。「一山いくらなの、あったらニ山ほしいわ」なんて、決して言わないでね。一個だけでも大変なんだから。
葵祭りは、お祭見物をして家に帰ると、昼間の暑さがまだ体に残って、顔もヒリヒリと日焼けしているような、うららかな五月晴れの今日のような日が多いが、きのうは雨の中の行列が、TVに映っていた。
伝統文化は大津にも多く存在する。日常のちょっとしたことや、行事やしきたりや礼儀やを実は、「もうたくさん」と思っているのに、それが無い、あるいは希薄な、空間や人に接すると、その軽やかさにわずかに嫉妬しながら、まるで無重力状態に浮かんでいるような、所在無さを感じる。それに従ってさえいれば、何とか、道を踏み外すことなく、暮らしていける。という規範が、分かりにくくなっているが、礼儀も作法も、相手を思いやる心さえあれば、自然とできることであろう。文化の重力は、大き過ぎず、小さ過ぎないことが望ましい。
この前のあの暑さが、ウソのように寒い。
中国では、温度変化にも、消毒にもめげず、SARSは、生き残るために、日々変身を続けているらしい。あまりに変わり身が速くて人間の免疫機構が追いつかないというが、日々変化するPCの世界の変化に適応しようと私も、エッチラオッチラ頑張っている。CD-R/RW、大分やっつけたが、細かいことをやろうとすると、とたんに機嫌が悪くなる。「環境の変化に適応出来るものだけが生き残る。」と言ったかのダーウィンの言葉、通用するのかな。onかoffという二進法で成り立っている分かりやすいはずの世界で、正しく反応しないときに、機械同士の「相性が悪い」という説明がまかり通るのを「フン、笑っちゃうね」とか言ってはいるが、困っている私は、はたして生き残れるのかな。
・・・・・とにかく人間に限らず、天然に存在するものは皆救われていることも今はハッキリしている。ということは、現象は潜象が元となり、互いに重なり反応変化し混じり動きあって調和している。潜象現象の存在流転変化は天然の法(ノリ)であり、潜象現象の基本粒子は振動している。その粒子をコ・コロという。
その振動の波が共鳴し干渉し合って現象が起こる。存在するそれぞれのものは、天然のそれぞれの振動に共鳴した時調和する。生物はこれを快適と感覚する。人類はこの原始感覚を出来るだけ純粋につかもうと、それに指向すればよいのだ。生命は快適な調和なのだ。天然の設計にミスは無い。(1978年 橋本敬三著 『からだの設計にミスはない』より)これは、漢方薬や民間療法に注目し、「操体法」(同HPには多くの著書の紹介もある)を広めた老医師の言葉である。百花繚乱のリハビリの本の中に、数行、父と同じ大腿骨骨折をして、自然治癒させた94歳の老人の話があった。この老医師のことだった。「操体法」で、筋ジストロフィーの少年がめざましく好転する過程がNHKで放映され、大フィーバーになったということであるが、私は知らなかった。「心の動きと、体の動きは同時相関相補連動性になっている」そうだ。私は、体の中身を知らないから、彼の説が正しいのかは判断できかねるが、こういうものに対する、ドクター達の反応はこの本の書かれた25年前と今、あまり変りが無いように思える。どんなもんでしょう。
最近、激安航空券とか激安ツアーとかのご案内メールがよくくる。行きたいよ! 台湾、香港、グアム、ハワイ、行きたいよ! 行きたいよ、ドイツ! でもねぇ。
SARSに対して勇気のある人、私と一緒に行く勇気のある人、いませんか?
いませんね。
どこを歩いていても、走っていても、新緑がとてもまぶしい。すると新しい、きれいな環境が欲しくなる。部屋の掃除だ!! 自分でするしかない。
埃をかぶった、物と共に思い出が、思わぬところから出てくる。写真なんか見始めたらもう最後、片付けているのか散らかしているのかわからなくなる。「アルバムは自分のためやね。」と昔おばがしんみり言ったのを覚えている。自分にとってだけ価値のあるものは強烈な感情を呼び覚ます。容易に捨てられないし容易にさわれない。もし綺麗さっぱり捨てて、新たな気持ちになったつもりでも、生まれてから今まで蓄積されたものつまり自分は、消えない。それなら、物を捨てても同じだとまた掃除をサボって、また混沌の中に暮らす。今度こそ、このサイクルから抜ける!! 今度こそマジ!! 捨てるぞぉ!! オールクリアー!! と叫ぶほどには、仕事ははかどらない。
東レのトレシー≠ェ、3月から爆発的に売れ出したという。今まで月間売上4万枚だったのが、20万枚だそうだ。コレがメガネ拭き布として大変優れものである事を知る人は知るが・・・・、というより、それ以外に使い道が無かった。19年前、超極細繊維(2ミクロン、髪の毛の1/40の太さ)の開発に成功はしたものの、どこからも引き合いが来ない。途方に暮れた社員が、メガネふきにして、粗品代わりに、営業で持って歩いていたら、これが大好評。やっと日の目を見たという代物。それがこのところ、若い女性の洗顔に、使われて大ブレイク。毛穴にはまり込んだファンデーションが綺麗に取れるのだそうだ。
前に海外旅行のお土産にと大量に買い込んだ残りがある。私でもツルツルになれるかやってみた。一日では無理だった。洗顔布としての可能性は未知数だが、メガネ拭きとしては他社と比較してトレシーがダントツであることは、この私が証明する。
まったく!PCはそろばんですよね〜。 時々計算続行を拒否するなんて生意気な事もする、鬼っ子だけれど。
こんなさわやかな日に、家にいては、お天道様に申し訳ない。今日は私も、そろばん野郎を、置き去りにして、琵琶湖岸にお弁当持って行って友と一緒に食べました。水の香りや、気持ちのいい風や、ヨットの群れ動く風景もおかずにして。PCと付き合っていると、頑固が移るんじゃないかと心配だが、案外アホナところが、また可愛くて、ついつい遊んでしまう。でもPCはお弁当の代わりにはならない。あなたもたまには、大地に座ってお食事してみたら、気持ち良いよ〜。
>この格闘技,、何かに役に立つ事あるんかしらね????????
なーに、PCといっても所詮はそろばんのなれの果て。あるいはちょっと大掛かりな電話です。融通が利かないというか、頑固者というか、自分のやり方でしかできない横着ぶりは恍惚の人そのものです。
そろばんよりは電卓、ダイアル式電話よりfax付き、そんなものよりPCというわけで、あはは、適当でいいんじゃないですか?
僕は面倒になればスウィッチをブチッと切ってお仕置きをします。あとがかえってちょっと時間がかかりますが・・・(^^)
最近CD-R/RWを使いこなそうと毎日必死である。弟が作った中古のPCを貰うときに、希望したらつけてくれたのだが、旨く使えない。こんなもんにかかわりあっていられないと、1年以上放置していたが、心を入れ替えて謙虚な気持ちで分厚い『ホントにやさしいCD-R/RW入門』という本を読みだした。私のしたかった事は、「マルチセッションで追記する」という事だったと分かった。PCは知らない単語がちりばめられた、英語の超長文を読んでいて、この単語が分かれば、この下線部はすっきり訳せるのに、という状態に似ている。自分の人生経験を、英文に投影して、何となく全体を把握するように、あちこちのアイコンをクリックしてみる。PC自身が、私よりうんと年下のくせに大層な天才だから、「どうせ人間の考えた事だ、何とかなるさ」という、長〜い、深〜い人生経験が役立たない。しかも、この天才は外人さんだから、東洋人の思考形態と若干のズレが感じられる。ちょっとしたことに、七転八倒している自分がかわいそうになる。この格闘技なんかに役に立つ事あるんかしらね????????
この世界を100人の村に例えたら、じゃ無いけれど、まあ普通に、この様に生きているのは、幸運な事だと思えてきた。交通事故は言うに及ばず、白い集団の妄想に騙されもせず、傲慢な一人のために、人権を損なわれもせず、汚い飲み水によってコレラに罹患もせず。
常は気付かないが、そんな流れや、ばい菌の存在をはじめ不幸は普遍的なものである。ちょっと魔がさせば、やってしまう万引きのように、危険は自分の中にも外にもゴロゴロころがっている。ともかく大事に至らず、自分でもうまくかいくぐっているもんだとあなたも思わない?
中国といえば、きらびやかな古い文化溢れる街と、近代的な元気な上海が最近のイメージだった。が、連日北京の今がお茶の間に流れる。マスクの群集の後ろに、近代的な生活が垣間見える。インターネットで小、中学校の授業が行われるとか、スーパーでの買い物風景とか、市内を行くバスの中とか、隔離された塀越しに抱き合う恋人とか・・・・。当たり前なんだけれど、見慣れた中国の風景は、文化大革命、中国実技団の生まれた貧しい田園地帯、自転車が込み合う都会、茶髪なんて一人もいない、化粧っけのない素朴な少女達には、お茶を飲んでいてほしい。勝手に作った中国の印象と較べて、TVの中の風景「ちょっと違うじゃないよ」と想っているのは、私一人だろうか。中国中が日本の中華街みたいなはずも無い。毎日見たい今日の中国。
鼻の頭の皮がボロボロむける。連休中の日光浴の後遺症か。お天気だけは満載の連休は終わった。残ったのはどちら様も、けだるい疲れ?
でも、こんな爽やかな日々は梅雨までのわずかの間。疲れていても楽しもう、ネッ!
紫外線に注意して。
「食べれば元気になるに違いない」と考て、体力をつけるつもりで気がつけば、ついているのは体重のみ。という事をいやというほど繰り返している。それが間違った行為だと、もういい加減に私の頭は認識してくれてもいいのに・・・・・。また食べ狂っていた。
しかし、春色の好きなスカートがはけない。ついに昨日から減量を開始。なのに、また今日「イタ飯」誘われた。断れるはずが無い。身内で食事に行くのに参加するのは久しぶり。
我が家では、お酒を飲むときには必ず何かに乾杯する。身近に見つからなければ探す。どこかのトンネルが通じたとか、イラクの戦闘が終結したとか、たまちゃんが元気にどこかの川に現れたとか何でもいい便乗して乾杯する。でも今日は、父の「退院祝い」という大義名分がある。杖をつきつつも、そんな外出も出来るようになった。人間の体ってすごい。今日は人間の治癒力にかんぱーい!$Sの傷も体の傷も、きっと治る。私のデブもきっと治るってことで、その日が来る事を祈って、カンパ〜イ!
身の回りいたるところで、新緑が萌え立ち、その間から見える、ツツジやハナミズキなど色々な美しい花に目を奪われる。山の木々も芽を吹いて、全山、薄緑の粉にまぶされたようだ。ふと上を見ると、飛行機が一機、北西に向かって真青な空を切り裂いていく。尾を引く飛行機雲もやがて消えて、また元通りの雲ひとつ無い空が戻る。今度は、視界に、飛行機より数倍大きい数匹の白い蝶が戯れながら入って来る。又すぐに、私の視野に青い静寂が戻る。ただそれだけのことが、常の小さな心を際立たせる。大きく高い透き通った志、忘れていませんかあなた。
奇妙な白い集団が世間をにぎわせている。あれ?M先生の暴力団がらみの黒っぽい事件が、この白装束のニュースで隠されているではないか。黒を白で覆い隠すのは、人間の隠せない一面か?
宗教=神や仏などの、人間を越えた絶対的なものを信仰し、それによって、なぐさめ・安心・幸福を得ようとするはたらき と辞書には出ている。
折れた蚊取り線香模様を彼等は信じているではないか。宗教法人で無いだけで、宗教でないなら何なのか。規模の大小を問わず、この類の人達は、世の中の平和や、衆生の救済を口にしながら、天変地異が起こったとき、シェルターに入って、自分達だけが助かればいいという、ジコチューなのだと私は常々考えている。この会の会員の中に、離婚届を置いて、子供を連れて家出してしまった妻がいたという。この種のシュウキョーの餌食になる人は、人がどんなに苦しんでも、結果的には自分のために、お金や身を投げ出せる欲張りで幸せな人達なのだ。私は、献金する余裕も無い、不幸な人間である。誰だって、なぐさめも安心も幸福も十分に持っている訳ではない。求めすぎるのは傲慢だと思うのだが・・・・。
ところで、その白と蚊取り線香でSARSは何とかならないの?
まだ0とは言え、絶対来ないとは、いいきれないSARS。もし疑わしい人が出たら、あるいは、先に消毒しておきたい綺麗好きの人に紹介します。(4/23において国立感染症研究所・感染症情報センターの推奨するもの、まだ変る可能性があるとのこと。)家庭用漂白剤(次亜塩素酸ナトリウムが成分である塩素系の漂白剤・・・・たとえば、ハイター、キッチンキレイキレイ)を使用。
・100倍に希釈された家庭の漂白剤(家庭漂白剤1に対して水道水99)で完全に拭く
・特に手などが触れる部分は、50倍に希釈した漂白剤(家庭漂白剤1に対して水道水49)を使用する。その後、「から拭き」をする。使い捨て手袋などを着用して、皮膚に直接触れないように、また、電化製品や、PCなど機器に消毒液が入らないようすることは言うまでも無い。余談ながら、前にコーヒーをキーボードにこぼして、fとzとsがワンタッチでfffff、zzzzzzz、sssssこんな風になってしまった。消毒液ならこんなもんですまない。よーく注意してね。詳細はこちら
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