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『談話室』 総集編 8月分 (▼03/8/01〜 03/08/31) | |||
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『テレビ寺子屋』という番組をご存知だろうか?小さな子供を持つお母さんを前に、講師達が20分ばかりしゃべるのだが、今朝何年かぶりに第1345回 遊ぶ ちからを見た。今日の講師多田千尋氏は、おもちゃ美術館館長である。人間は0才〜6才の前期子供期に、遊びを通じて人間研究をするのだそうだ。ここで一生懸命遊んでおかないと、大人になって、一生懸命仕事ができないと「なだいなだ氏」も言っていたそうだ。一生懸命遊びすぎた人はどうなるか、仕事をしすぎるか、そのまま一生遊び続けるのか。そのような話はなかった。そうすると男とあるいは女と一生懸命遊んだ人はいい結婚ができるのだろうか。そんな話もなかった。 遊び不足→人間研究不足→分別不足→理性希薄→感性希薄 このような構図があるという。氏は最近高齢者のことも50%視野に入れているそうだが、人間研究不足は、偽りの福祉国家を生むという。私は遊ばないと禁断症状が起きてくる。でも遊ぶために「ちから」が必要だとここ数年いやというほど知った。あなたは遊んでいますか? 本当に遊べていますか?
昨夜から、色々やってみてました。 聞・い・て!!ブラウザの左上方〔表示〕からソース〔C〕をクリックすれば、いつでも誰でも見えたのに、昨夜はソースが起きてこない、又混んでるなと、時間を置いてやってみる。時折、URLさえ「知らん」というサーバー。朝もだめ。コピーを繰り返しても、現在見えている状態しかHTMLが出てこない。迷探偵シャイロック・ホームレスを動員して、あらゆる可能性を探って、一杯書いて送信すると、「文字数が多すぎます。」 と断られる。このBBC、半自動なのがやりにくい。表のタグは書いても無視される。やっとソースが見られました。
おっと家主に聞こえるとまずい。いつもお世話になっています。おかげさまで有意義な毎日です。BBS様あっての“Zimmer”です。悪口は聞かなかったことにしてね。
「>」 が足りないのを見つけたのは、〔返信〕を、クリックして出てきた内容の部分です。PCは、タグを閉じる「>」が出てくるまで読み続け、おじさんの影の声も含めて「えらい難しい色の指定してくるな」と考えてしまったのですね。しらばっくれないで、#000F0をひねり出した、涙ぐましい努力。エライということにしておきましょう。6文字による色指定を、7文字にすると、やっぱりとんでもない色を出してきます。ちなみに投稿者の文字色は青で#0000FFです。
ところで、「聞・い・て」は1文字ずつ、#F0000、#FF3300、#FF3333 と色番号の指定を違えています。あなたの画面で識別できる? PCの設定にもよりますが、この程度です。 PCってやつは筋金入りの頑固者ですが、めげずに、このBBCを美しく彩ってやってくださいませ。さて画像の投稿ですが、pureさんの場合、ご自分のHPのフォルダの中から、URLで指定してくだされば、どんなものでも可能です。HTMLについてはこちらに例を挙げています。ご参考に。
傑作画像が出来たよ、みんな見てねというとき、メールで送ってくだされば、“Zimmer”経由で掲載可能です。音も可能です。 トライする心、大好きです。あなたも是非どうぞ。
>お疲れ様でした
ほんまにね。HTML触れるぞ、なんていちびったんですが・・・、あはは底の浅さを露呈しました。
残念!
管理者はソース表示も見ることができるのですね、陰の声が微妙に変化してるのがいいですね。うーん、文学的ですな。^^
ついでながら、gifやjpegは外からの書き込みはできます? この際教えていただけますとありがたいです。
>可愛くないやつらだ、まったく。
シャイなんですよ。突然話しかけられて気の利いた会話をできる人って、やっぱり、少ないですよ。
まったく余計なことながら、彼の心中を探ってみました。(今、暇なもんで)
(「何、なんやねん、この人。えーっと、やっぱり知らん顔やな。コイも知らんのかいな。」) かおるさん、『恋は釣れますか?』なんて聞いたら、その人逃げ出しましてたと思います。きっと。^^
でも、一般的に言って、日本人は会話が上手とはいえませんね。だからどうとうことも、一概には言えませんが・・・。
これで、正解でしょう?
わかりました。pureさん。font color=brownのあとの 「>」がありませんでした。それだけで、後はちゃんとしていたのに、残念!
PCはアホですから何をして良いかわからなくなり、色番号を#0000F0と読んで、font 終わりマークもつけて、何とか、期待に応えようと・・・けなげではありませんか! と評価するより仕方ありませんね。お疲れ様でした。
すみません、人のHPで遊びまくってますな。こんどはちゃんと茶色になってます。じゃあ、おじさんの影の声を再録。
え、誰や、この人。うーん、知らん顔やな。何やて、コイやがな、コイ知らんのかいな。
で、その下がblueになったのはどうしてでしょうか。
HTML入力したつもりが、あれー、駄目でしたね。え、ども、どうして下半分がブルーになってるわけ??
ちなみに
・・・と書いたのですが、この・・・が消えて下半分がblueになる、はてその理由は?
はい、教えてください。^^
>可愛くないやつらだ、まったく。
シャイなんですよ。突然話しかけられて気の利いた会話をできる人って、やっぱり、少ないですよ。
まったく余計なことながら、彼の心中を探ってみました。(今、暇なもんで)
かおるさん、『恋は釣れますか?』なんて聞いたら、その人逃げ出しましてたと思います。きっと。^^
でも、一般的に言って、日本人は会話が上手とはいえませんね。だからどうとうことも、一概には言えませんが・・・。
湖岸の穏やかな静けさを可愛い女の人の声が突如引き裂いた。「三番、三番ですよ。三番、三番ですよ。三番、三番ですよ。・・・・・」と繰り返す。前を横切って、等間隔で、土に刺さっている5本の釣竿の真ん中の竿めがけて、おっちゃんが走り出した。オッ、引いている。丁寧に丁寧に、リールを巻き上げている。相当大きそうだ。通り過ぎたが確かめたくなって、立ち止まった。おっちゃんの走り出したところには、布製のチェアと、ワンボックスカーがあり、運転席の天井部分に、選挙カーについているのと同型の小さなスピーカーが付いている。どうやらこいつが声の主らしい。
程なく、友人が「ごめん、ごめん」と言いながら小走りに戻ってきた。「おもてたより、すぐに来よった。」岸に寄って来た魚を上手に網にすくい入れた。
あの胸びれのあめ色、外来魚でないぞ。昔から釣り人は寡黙がかっこいいと思っているのか、人に話しかけらるのを極度に嫌がる性癖があるので離れていたのだが、近くで見たい。「すごーい。大きいですね。」とやっぱり私は近寄っていった。勢いよく跳ねる魚は、58p程はある。「何ですか?」「コイや。」「ここらで、こんな大きいの居るんですね。」「まだもっと大きいの居るで。」「へえ、上手なんやねぇ」とまあこれだけの会話が成立した。もう一言「恋は釣れますか」と言いたかったが止めた。
この間、釣り人の表情は変わらない。本当は心の中でほくそえんでいるくせに。ニタニタ笑いたいくせに。
美人?にじっと見られていたから恥ずかしいのか?? 可愛くないやつらだ、まったく。
見た? 見たよ! ご開帳も真っ青の6万年ぶりの縁(えにし)、火星の大接近。画像はこちらのHPでどうぞ。午後11時57分には間がある、ちょうど11時の露天風呂。空の一点をじっと見上げる人が居る。曇りで関西地方は見えないと聞いていたがもしや・・・、そばに行って、同じ方向を見ると、あーっ! 真っ暗なびわ湖の遥か上空に星がある。赤く光っている。他にひとつの星も無い暗闇の空に、スター気取りで輝いている。小さなオレンジの鋭い光が、墨色の空にキラキラしている。雲が多いので、光が弱くなったなと思うと消える。でもすぐに鮮やかな光が戻る。火星上の、氷に反射して起こるという説がある、「閃光現象」とは違うのかもしれないが、ミステリアスな光だ。
すぐに“星に願いを” が浮かんでくる。♪ララララ、ラララ〜、声に出せない。そうだ。星に向かって、願いを大声で叫ぶのは似合わない。心ひそかに、願いを適当な角度で、火星にぶっつけたら、日本中で、たくさんの人が見ているはずだから、あの人にも、あの人にも、上手に反射して届くかもしれない。あーあ、残念だ。あの人も、ロマンチックな願いも無いので、実験の仕様が無い。
温泉から出てもう一度、暗闇を仰ぎ見たが、何も無い。ほんのつかの間の火星のショーをお湯につかりながら見た知らない者同士3人。薄暗くてよく見えなくても、それぞれが、お湯と共に、あふれ出る満足の笑みを感じ合っていた。
朝ウォークで、元気なときは、一寸だけ走ってみる。高橋尚子になりきって。でもすぐに高木ブーに変身しそうになる。何とか山田花子でとどまりたいが、それも難しい。すぐに“歩き”に戻る。軽快に走っている人はやせたおじさんが多い。走っているおデブさんは若い男性。小太りのおじさんの走り姿を見ていると、つい言いたくなるこの言葉、我慢できなくなったらどうしよう。「お急ぎですか、 どちらへ?」
頑是無い子供が「ぶっしぇちゅぅ まかはんにゃはらみたー、しんぎょう〜〜」と唱えている奇妙な映像にであったのは、5月のとある昼下がりのTV9チャンネル。偶然が重なって、続きを見ることになったのだが、この放送の正体がわからない。あちこち問い合わせてやっといつどこでやっているのかがわかった。この子供の名前は、藤田佳宏くん現在小学2年生。なぜこの事態が生じているのかは、こちらのHPの下方に詳しい。画像がたくさんあり、声も聞こえる。倉敷ケーブルTVで、“我楽多図鑑”『ちびっこおへんろさん』の放送が始まったのは4年前のこと。今や日本全国ケーブルTVを通じて100万世帯に流れているそうである。滋賀ケーブルTVで繰り返し流れている恐るべき4歳児(当時)、「よっくん先生」の可愛い姿に釘付けになっている。
本放送は今年の12月で終了するそうであるが、夏休み中の彼は、今日も祐子ばあちゃんと四国の通し遍路進行中らしく、こちらの掲示板では彼の生の声が読める。いやはや・・・。私も一度行ってみたくなってきた。
“In my childhood I had a dream.”と私は話し始めた。ハワイの写真展でハワイに行った事がありますかと、英語で尋ねられ、うまく真綿にくるんで話す能力も無いので、なんのてらいも無く、まだ、未踏である理由を話し始めた。私の語学力を考えれば、言いたい気持ちが伝えたのだろうが、「夢は持つべきである。」と彼女は強く言った。おりしも昨夜は、24時間TVをやっていた。4年ぶりに、夢や勇気のあふれ出る、「頑張れ」が連呼される画面を見ていて、それが私をよけて通り過ぎたり、「頑張れ地雷」の危険を感じてこちらが身をかわすことなく、受け止められそうな気がした。おきまりの、情に訴える、あまり理知的でない画面から流れる♪負けないで♪、♪サライ♪ が4年前の私を思い出させたと同時に、当たり前だが、その時とはまったく違った感情を引き起こしもした。「夢」なんて無い。かなうはずが無い。持ったらひどい目にあう。と最近は自分の努力不足を棚に上げて、突き上げてくる思いを否定していたかもしれない。
TVはすばらしい事をよく送り込んでくるが、本当に人を動かすものは、しばしば語り合った中にある。何時間のドラマを見るより、数分の異国人との会話の中にさえ存在する。私は昔「夢を持つ能力」を持っていたのを思い出した。
>アイコンタクトって、うん、ありますねアイコンタクトありましたよ私も、ではひとつご披露。
人々のウォーキングファッションを観察していると、まず帽子なしでは素人っぽい。むき出しの頭では
、肩身が狭い。胸を張って腕を軽快に振って歩くためには、どうしても欲しい。気に入りの野球帽を失ったので買ってきた。阪神百貨店の8階に行けば1,200アイテムの中に、2003年のトレンド、トラマークのついたのはあるだろうが、100円ショップには無い。
ウォーキングシューズは言うまでも無いが、完璧を期するには、首にタオルを巻き、長袖長ズボン。耳にはウォークマンのイヤホーン。そして手袋。玉のような汗が出来上がりを豪華に演出する。テニス用の甘ったるいピンクのハーフパンツなんかで、たらたら歩いているのは邪道。朝のびわ湖岸でそのピンクのハーフパンツ、普通の半そでTシャツ、深々と顔を隠す野球帽姿を見かけたらそれが私。この場では私は若手。今日は見知らぬおじさんに、「おはよう」と挨拶された。会う人みんなに言ってるんじゃないってば! ほら、帽子効果だ。ドキドキの朝。こりゃアセコンタクトかな?
>もし対向車のドライバーが、若いハンサムな青年ならば・・・
「夜目」、「遠目」、「傘のうち」とは言いますが、これに付け加えるなら(大きなお世話ですが)、「マスク」、「サングラス」、「帽子」そして「ガラス越し」かな。対向車の人、若いかどうかわかりませんよ! ホンマに要らんことですが。^^
でも、対向車の運転手とのアイコンタクトって、うん、ありますね。(別にだからどうってことはないんですが・・・)
もし対向車のドライバーが、若いハンサムな青年ならば、にっこり微笑んで挨拶に答えてくれたかも知れないが、おばさんでは・・・・・・・・・、いえいえ、彼女は私と知って無視するような不人情な人じゃない。確かに前方の一点を見つめていたことは事実。なぜわかったの? pureさん。すごい眼力。
私も実は言われる事がある。「かおるさんどこそこを走っていたね」と。身に覚えがあるだけに、ぎょっとする。やっぱり私も一心に前だけ見て、運転していることが多いようだ。だからといって、いつも前向きに生きているかと言われると、………(‘_’; ご想像通り、ハイ。あっち向いてホイ。こっち向いてホイ。よそ見ばっかりよ。
>彼女はひどい近眼、私にはもちろん気づかない。
運転中は眼鏡をかけるなどして矯正されていると思うのですが・・・。多分前方に集中されてたのでしょう。
ホンマ、ぼくって要らんこと言いですね。^^
夕暮れ時の駅周辺の狭い道路は、車と歩行者がお互いに神経を使いながら通行している。一台の車が無理やり通ろうとすると、たちまち動きが取れなくなる。ところが、いつもの私のように早い目に止まって、相手車線をうまく確保して、車の流れをスムーズにしている見上げた女性ドライバーがいた。後ろに10台ばかりが並んでいる。横目でチラリご尊顔を拝すると、広いおでこに見覚えがある。なんと中学、高校の友人である。若くて、横着で、へたくそな、目に余る男性ドライバー諸君! 見習いなさいとどこで言えば、これ伝えられるだろう。その人は、旧姓・福田みち子さん。確か高校の先生。さすが!彼女はひどい近眼、私にはもちろん気づかない。
白いスカートのボタンがかかるようになったのがうれしくて、いつもは外にひらひらさせているブラウスを誇らしげに中に入れ、ウェスト丸出しで歩いていた(おへそは出していません。念のため)。確認するべくショーウィンドウをチラと見ると「違う! あれは私じゃない! イメージの1.5倍はある!」私の体は丸太型。前から見るとそうでもないのに厚みがすごい。日本人は厚みは無いが、幅がある体型の人が多い。今までつらくて、ショーウィンドウに映る自分を見ていなかったに違いない。第一ショックだった。が見るようになっただけ進歩?「ただいま○○パン焼きあがりましたぁー。」の声にまんまと誘われて、○○パンをトレイにとり、目測では、細い通路をすり抜けて小さなテーブルに着けるはずだった。エーッ?! 両サイドのテーブルが、お腹とおしりに触っている。危うくひっくり返しそうになりながら、頭の中では、高校野球の審判が腰をかがめて、何度も何度も両手を広げて“セーフ”と言っている様子が浮かんでくる。第二ショック。
私の前で「焼きあがりましたー」なんて言ったあのお兄さんが悪いと思ってももう遅い。それを好きなお前が悪いと言われても、コーヒーにお砂糖を入れなかったから許してね、と誰にだかよくわからないが、お願いしている。熱々のパンの中にこれまた熱々の半とろけのカマンベールチーズ。おいひいー。こんなパン食べてるからだと、もう一度テーブルの間の通路の幅をじっと眺め反省。今度からは一個だけにと決意新たな夏の午後だった。
二個も食べてたのか? 食べるのを止めるんではないのかい って? ま、そこは穏便に。
帰りがけ急に暗くなりひどい夕立になった。あわてることは無い、すぐに止むはずと椅子を探し、本を読み出しらとたんにこんな文が出てきた。外へ出る時は、「一番ええ着物を着ているのに、雨なんか降ってきてかなんな」、こない思う。しかし、しばらく待ってたら、雨が止んで出ていける。雨の中を走ったら腹が立つ。一寸待ってたらええ。
今はあまり見ませんが、昔は麦藁帽というのがあった。カンカン帽とか言うてましたな。田舎から出てきたお爺さんなんか、それをかぶって京見物してはった。雨が降ったらね、せっかくの帽子を、懐に入れて走らはる。「頭はぬれても。上等の帽子が大事や」。そんなにせんでも、一寸待ってたらよさそうなもんやのに、雨の中を走らはる。それが人間です。なら私は、人間でなくて何? 雨にぬれても汗だくになってもいい格好だったが、まもなく青空が見え、濡れずに済んだ。書名は『大西良慶選集』(株式会社便利堂)。忘れられない雨宿りとなった。あせらないで、あなたも。
朝少しばかり歩くようにしているのだが、今朝初めて朝日を拝んだ。まだ未成熟の朝日は、もやの中にオレンジ色に鈍く輝き、穏やかな湖面にその縮小画像がゆれている。昨日までは、湖は美しい景色や、建物の陰を映し出す能力が無かった。小雨と波によって湖の底に沈められていた景色が、今朝は、安物のガラス、違うな、手作りのガラスのような滑らかに波打った湖面に浮かび上がってきて、細かな陰影を作り出している。ランナーやウォーカーで、晴れの湖畔の道はにぎやか。
今日は暑くなりそう!
お盆疲れで母がダウンした。運悪く、甥達も一緒に食べるのでちょっと気取って、イタ飯を試みた。実は、甥は和風好みなのだが、私が前から作りたいと思っていたメニューの試食会の犠牲者にしてしまった。やっぱり言われた。「これ前に作ったことあんのん?」考えて見れば、頭の中の摂食中枢を“カロリー”が支配していて、おいしさを求めることは罪悪のように思っていた。食事はストレスを解消する手段でしかない。段取りが悪い。味が決まらない。いつもは大抵気合を入れて、一発で決まるのに。と思ったが、その「いつも」はいつのことだったか忘れた。自分の「いつも」をもうちょっと大切にしないとヤバイとハッとした。
食べてはくれたが、こうも言われた。「普通のもん無いの? 普通のもん食べさしてよ。」昔、外国の絵本、英語で読んであげたときにも言われた。「普通に読んでよ。」
朝のびわ湖岸では霧雨が降っていた。にもかかわらず釣り糸をたれている人は居る。ところが釣れたところにあまり遭遇しない。釣り人が多過ぎるのか、釣手がへたくそなのかどっちなのだろう、等と考えていた。歩く私の足元をふと見ると、魚の切れ端が落ちている。ということは、へたくそなんだやっぱり。まもなく前方で「あっ、ギルや!」という声が聞こえた。ブルーギルだとするとリリースはと、私は彼の行動を注視した。案の定魚はびわ湖に戻された。リリース禁止が謳われた「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」が4月から施行されている事を知らないはずは無い。外来魚のノーリリースありがとう券とか、回収ボックス、回収いけす等が設けられ、対策はされているようだが、 コラーッ!! と大声あげないとだめなんだろうな。私はそんなはしたないことはできないので黙って見過ごして帰ってきたが、黙っていられないからここに書いてしまった。
道端やベランダに転がっているセミをよく見る。昨日も車に轢かれそうなぎりぎりのところに居た。もう死んでいるのかとよく見ると、生きているうえに、公道で真昼間、二匹が交尾している。 へー、セミってこんなことするの? 幸いお盆で交通量は、いつもに比べてかなり少ないが、危ないじゃない。危険も顧みない、彼らの愛に感動して、安全なところにやってやろうとすると、BU〜NN !と二匹が羽を振るわせ抵抗する。私には「何すんだい!」って聞こえる。結局元通り。小さな虫けらの抵抗の姿勢に、また感動。ごめんねといいながら二度にわたって無理やり道の端に押しやった。どうせ私の後姿に向かって言ってるよ。「人の恋路を邪魔するやつは車にはねられて死んじまえぇぇぇぇ」なんて。残念でしたセミさん、私はまだ生きてます。
お盆の間は、“お精進”だと、お肉や魚は避けたものだが、最近できた焼肉屋には、やっぱり人が居る。この店は外を通る人にも良い匂いをふんだんにサービスしてくれる。若い頃は、お盆最終日あたりには、もう我慢ができなくてお肉が食べたいと思ったものだが、今やそんな誘惑に負けるような私ではないというのは表向き。胃に負担が少ないから何日“精進料理”が続いてもへっちゃら。今日は、今日しか売っていない、特別の形をしたお団子を供えるが、今はどれだけの人がやっているのだろう。これも子供の頃は茶色のニッキ(シナモン)味は苦手だったが、今は大好き。時代も変われば、味覚も変わる。私が大人になったと思ったのは、やっぱりビールを飲んでおいしいと思ったとき。飲んだくれるにはちょっと涼しすぎる毎日ですかな。今日も雨。
2ヶ月で98キロ→75キロにした24歳の男性がいた。「もう我慢できなくて食べてしまうって事無いんですか?」と聞いたら、「これを食べたら、あの努力が水の泡になってしまう。」と思って我慢したというのだが、「それが信じられるあんたは若い。努力が水の泡になるなんてことは世の中にいくらだってあるのよ。」なんて心の中で悪態ついている。やってもやってもどうせ報われないという太い回路に阻まれてやせる努力に精彩が無い。いずれにしても、まだ1.5キロ減っただけ。彼によれば、運動(歩き:最低1時間)と食事制限とを両輪としてやること、それを毎日やること。これが一番大切だそうだ。昨日は、やれば報いられるという見本を見せてもらった。明日の朝はと思って起きたら雨。簡単に水に流れる私の決心。モー。
おぼんはうれし わかれたひとも はれてこのよに あいにくる別れた人はこの世に居る。いつでも会えるって? そう、それはよかった。そうじゃないでしょ。
小さなお寺の前にある小さな黒板には、大きな息をひとつしたくなるようなこんな言葉が時々書かれている。お盆は、特に先祖が身近に感じられる時。この世に会いに来る人に会いに行くためか、またまた名神は大渋滞している。うれしい事のためには大変なこともあるね。
イヤーすごい人だった。37万人ってあんなにすごいんだ。昨夜は8日から延期された“びわ湖花火大会”。帰る人達でJR膳所駅周辺は、まるで長刀鉾の周りのようにごった返している。「ただいま、JR膳所駅では入場制限をしております。」と何度も何度もアナウンスが流れ、警官が何十人も出ている。これで今年はまだましというじゃないか。どうせ車では帰れないと、実家でお精霊さんをお迎えする準備を手伝って、時間をずらして賢く徒歩で帰ってきたはずだったが・・・・。警官が両手を広げて、「左側通行です。左によってください」と垣根を作ってくれなければ、一人反対向きに歩くひ弱な私は歩けやしない。ちょっと空き地があれば地べたに座り込んで、自分の浴衣で道路のお掃除をするのは見上げたギャル達。厚化粧でタバコをくゆらすこの輩のなかに男が居ないのを発見。カップルの女性は座り込んでいても、化粧がやや薄い。やっぱりそうよね。おじさん達の意見は想像がつくが、若い男の子達はどう思っているんだろうと思っていたんだ。小雨がぱらついたのが、花火が終わってからでよかったわ。いつも家で見ている無精者の驚きレポート。
『納経所』というスペースが、西国33カ所のお寺の中にあるのをご存知だろうか。大抵畳敷で、伝統工芸の技術保持者のような初老のおじさんがくたびれた座布団に座って待っている。持参したノートを差し出すと、腰を全部おろした太い筆で墨蹟も鮮やかに一気に書いて、大きな朱の判を押してくれる。朱印帳である。完成品は家では、集めた人と一緒にお棺に入れた。その他白い着物に押してもらったり掛け軸を持参する人もいる。このシステムは、案外古い歴史があり、このような形になったのは、室町時代のことであるという。昔と違うのは、墨の乾かぬ朱印帳を火鉢にかざして乾かしたりしないで、筆をヘアドライヤーに持ち替えて、ブゥーンとやることぐらいか。では、ここで問題です。なぜ「押印所」とか、「朱印所」とか言わず『納経所』というのでしょう。
答えは、写経した般若心経を持参して、納めた証拠に、押してもらったからです。物見遊山の記念ではなかったのである。ちなみに、昨日の清水寺の「青龍会」の龍のうろこ8千枚の裏に張られているのは、江戸時代に納められた写経の紙である。知っていましたか『納経所』。私は気にもしていなかった。そんなことが似合う年恰好というものがあると頑固に思っていたが、最近は若い人で気軽にスタンプラリーしている人も結構いるようである。清水寺の朱印はこちらのHPで見られる。
清少納言もお籠りをして、お願い事をしたという、千日詣りに行った。何をお願いしたかって? ヒ・ミ・ツ。
すっかり忘れていたが、ちょうど「青龍会」が行われる日だった。清水寺の1000年の歴史に比べれば、まだ始まって3年という若い行事だが、京都というところはこのように新旧のものを何のこだわりも無く融合させてしまう豊かな才能を持っている。伝統工芸の作家達のプロジェクトでできた、この新龍に“息吹が吹き込まれる”という表現は月並みだが、展示されてじっといるより、やはり格段にすばらしかった。うまい具合にデジカメを持っていた。とてもそのすばらしさを伝えられるものではないが、まあ一度ご覧ください。こちらです。
台風のお越しは、明け方ということだったので、いつでも逃げられるよう、洋服のまま眠ったけれど、朝になって、ちょっと風が強いかなという程度だった。うつらうつらしているうちに、いつの間にか、せみがにぎやかに鳴き出していて、見まわせば被害は、自転車が一台こけていただけ。 また暑さが元通り。ムーとしてきました。「台風一過」は「台風一家」と、長いこと思っていた人が居るんだけれど、こんなもの大勢さんでこられたら大変だよね。お宅はいかが? お見舞い申し上げます。
直った、治った! 新しいモニタをつなげた瞬間、断末魔の叫びを上げて、「寝たきり」状態だったPCがよみがえった。私の近辺では、PCの怪我が続出している。父がゲームのみに使っていたPCが違う使い方をしたら不機嫌になった。(偏った使い方のせいではないかと思うが) そこで、元気な別のPCを弟が持ってきた。これで私のデジカメ撮れたて画像を見た後、このPCが仮死状態に陥った。私のと同じメーカーのPCにUSB接続したのに、わけがわからない。こう次々と故障が出れば、当然弟は怒る。
修理をしてくれるのかどうか、駆け込み寺のように、噂の“パソコン工房”を訪れた。「あっ、あの人に似ている。」あの人はものすごく感じの悪い人だったから、一瞬引いた。でも私は素人、このスペシャリストに聞かなきゃどうにもならない。オドオドと説明を始めると、このスペシャリストはあの人と違い、実ににこやかに丁寧に対応してくれ、とりあえずやるべきことを教えてくれた。
そして、めでたく1台はよみがえったのである。これで、pureさんのようにLANも夢ではなくなった。メールアドレスも再出現したので、メールも出せる。画面の前で思わず“ヤッター”と叫んだ声、聞こえました? うれしいよ久々に! なお私の駆け込んだ『パソコン工房』草津店はこちらです。
昨日南草津の某有名スーパーに立ち寄った。花屋でお盆用品をひとつ買った。その後、梨に集中している私に、小走りに人物が近づいて来た気配があり、「お客様」と言う声で、私のバリアが破られた。「あの、あー貼ってますね。」と会計済みのシールを見つけるや否やターンして、また風のように去った。失礼をわびる言葉はあったようだが、それを感じる間もない一瞬の出来事だった。ぞんざいな態度は、まるで小学生のカンニングを見つけた誇らしい女教師のようだった。小さな火種が、人間の尊厳を深く傷つけられたというたいそうな気持ちに燃え移り、気にしないで置こうという気持ちに勝った。サービスカウンターへ向かった。店長も登場して、「申し訳ない。お客様に不快な思いをさせる従業員が一人でも居るのは、私の責任」とまあこれは型どおり。「こんなもの、ご先祖様に使えません。適当に処理してください。」とそれを返し、返金をという声にも、「お花屋さんは悪くない、このお金をいただいたら、こんなこと言えません」等と、派手な啖呵を切って帰ってきたのだが、帰宅後も、さらにご丁寧な詫びの電話があった。
これは、お客のいう事をすべて正しいとしなければならないこの場所でなら、私の溜め込んだ、持って行きようのない怒りの一部が爆発しても怪我はしないと、知った上での出来事だったかもしれない。言葉はあっても、心がなければ、人は爆発の用意があることを、その店員は人として知らなければならないと、あまりしたくない私の行為の正当性を言い訳するおばさんである。しかしこの事件は、まだこんなに怒りの金平糖を心に持っていたことを私に思い出させる事ともなったのであった。
毎日、夏として文句の言いようも無い満足できる暑さが続いている。今年はこの暑さを「暑い」とわかる事ができ、正しく汗をかけている。去年までは、「暑い」は「しんどい」にそのまま置き換えられ、ちょうど良い室温がよく認識できず、エアコンをかけたまま寝て、さらに体調不全を招いていた。夏を遊ぶためにも体力が必要である。今年は暑さに耐える力と、楽しむ力の在庫がわずかばかりある。そういうときには、財布に遊びが無い。この関係性の暑苦しさ、耐えられない。
私はヨーグルトが大好きである。さまざまなタネを育ててみた10年を超えるヨーグルト歴の中、幻の“カスピ海ヨーグルト”に会った。実は以前に、薬の勉強会で「国外不出のこの株こそが最高である」と聞いていた。研究という名目でタネをひそかに持ち帰った人からひそかに入手して食べていたその講師と違い、手に入らないのならと自分で色々試してみたのである。生物はその環境に応じてその性質を変えるとなれば、私の“カスピ海”種はすでに“琵琶湖”種に変身している可能性がある。講師はその後、大病をしているし、私の場合、お肌つるつる?ウッソーといったところであるが、これはいささか、軽率かもしれない。講師は、微生物の力に、アルコールが、私の場合、人生の苦労が勝っているというだけのことなのである。老化防止の運動も知的刺激もエクササイズも何もしてないくせにと言われれば、返す言葉も無い。暑いとサボっている私をしり目に、別のルートから仕入れた新しいタネがせっせと、牛乳をカスピ海ヨーグルトに変えている。今度こそスリムにお肌つるつるにしてあげるよとささやきながら。ナイ、ナイ。
暑いじゃありませんか、本当に。何でも突然というのは対応しきれない。夏だからこれで当たり前なんだけれど、言ってしまう「暑いよ〜」。10年位前、実験の都合で毎日室温を記録していたことがある。気温は、予想に反してなだらかな曲線で上がったり下がったりしなかった。ある一定の期間、あまり大きな変化がなく推移する。ある時、段差の高くなる日がある。そしてまたそれがしばらく続く。そんなだった。
小学生の頃の夏休みの温度調べ。この今の時期の約1週間だけが、30℃を越えていた。それも1℃か2℃。可愛いもんだった。残りのほとんどは28〜29℃だったように記憶している。今日は室内でも33℃。軽井沢のそよ風は変わらず吹き込むが、ちょっと歯が立たない。皆さん夏ばてにくれぐれもご注意を! 今日はビールがおいしく飲めそう!
『礼記』という書物に「小人閑居して不善をなす」という言葉があるそうだ。「器の小さな凡人は、暇ができるとおとなしくしているのではなく、むしろよくないことをする」そうだ。 今日は暑い!! このところ年をも省みずあんまり頑張ったので、さすがにくたびれた。今日は変なことをしないように、終日眠っている。こういう言葉を引っ張り出して、自分を納得させる私は、押しも押されもしない小人。
私も若い人みたいに、まつげを反りくりかえしてやろうと、ビューラー買った。電気ごて式のちょっと変わり者。私が、まつげをバシャバシャとさせて瞬きをする瞬間を想像しただけで気味が悪いが実はそんな事態にはなり得ない。それほど、まつげが無い。ところが、まつげが上に向いているほうが、視界がいくらか大きくはっきり確保できるというのは本当。最近視力が落ちたからブラインド上げてみようかという程度のこと。若いお嬢さん方も、ひょっとして、無意識のうちに世の中を広く見ようとしているのだろうか? ばかなこと考えるのよそう。しわが増えるだけだ。
フム、フム。なるほど。キリスト教でも、仏教でも、“Summer”って言うか“夏”って言うかだけの違いかもしれないね、pureさん。 ところで 皆さん 暑中お見舞い申し上げます今年はどんな夏してますか?
今日はこの言葉がぴったりの、ジトーッと汗のにじむ、暑い一日だった。暑ければ暑い、涼しければこれじゃ夏じゃないと、人間ってやつは本当に始末が悪い。売り上げ昨年比マイナスの分野が多いようだが、「神様を愛する人にとって、試練を含めて、人生に起こるすべてのことはプラスになります。」ってあるHPに書いてあった。でも試練がプラスだったんだとわかるまで、我慢できないくらい長〜いね。これからが暑さ本番みたい。どうぞご自愛くださいマセ。
>それはこっちの都合なのかあっちの都合なのかどっちなんだろう。
そういった『都合』は他を測ってのことじゃないのかな?
他を測らないで、自らの内なる衝動に突き動かされてすることに値打ちがあると思う。
キリストは『人を裁くな』、『自分をも裁かない』と言ってます。それは『裁くのは神だけ』だからだそうです。
人の都合は忘れましょう。これは利己主義寸前みたいだけど、その根本が利他主義なら、悪くても<おせっかい>ぐらいで済むんじゃないかな。