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『談話室』 総集編 12月分(03/12/01〜03/12/31▼) | |||
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11月28日の金曜日は、道路の傍らには、停車中の車が多く、どこもかも道が混んで、すでに年末の雰囲気を感じたが、昨日も夕方の湖岸道路は、びっしりの車の列。近くにNHK大津放送局があり、台風のときにいつも映る放送局前の道路である。そのときは、風に並木が揺れていて、車がまったく通っていない風景だが、普段は車の量は多い。しかしよく流れている。ここまで上下2車線、計4車線が止まっているのは珍しい。みんなお出かけしたのね。そういう私もその一人だが。先生は走るが、車は止まる、いよいよあわただしい師走が始まった。
よく似た名前の薬は、ある。ミスを減らすように何か工夫がなされているかという、病院薬剤師会の調査で、半数以上が、無体策だったと、報道されていた。改善できる部分が山積みなのに、「間違わないのが当たり前で、間違う方が根性が無いのだ」という、伝統が生き残っているのを不思議だと思わない人は無いと思う。最先端の医療現場の片隅で、なぜこんなに非合理な理論が、温存されているのか不思議でならない。1.改善すれば、人手が余って、自分の首が危ない 2.今のままなら忙しい振りをしていられる 3.考えるのがいや 4.改善のエネルギーを使っても、今の自分の立場はかわらない 5.人がしんどいのは一向に気にならない、 自分さえ疲れないで過ごせればいい 6.改善の余地があっても、自分が手を下すと、何かあったとき自分の責任になるのがいや 7.まったく改善するべき場所に気がつかない
どの分野でも同じだろうが、改善されない原因はまだまだあると思うが、こういう気持ちにならせる何かが医療の現場にあるのか、元々こういう性格の人が病院薬剤師になるのか。
自分がミスを犯す非力な人間であることを認める事のできる能力を、もたない人間が、人を攻めたて、いじめる事で、自信を得るのだろうか。たぶんそのような人は、このニュースを聞いても、聞かなかったと同じ毎日を過ごしているはずだ。それでも、その病院がなくならないのはなぜだ?
確かに忙しい。調剤業務による過度の集中で、神経が疲れきるのも事実だが、改善する力も残らないと言っていいはずが無い。糸口を見つけている病院は30%くらいはあるのだから。
この顔に見覚えのある方はいるだろうか? 実際はもう少しきりりとしているし、TVでも、もう少し苦みばしった顔である。実はこのお坊さん、CMに登場している。わかった?! すごい!!
CMは好きで、かなり集中して見ている私だが、わからなかった。本人の口から聞いて、ハタト思い出した。まだわからない?わからなくても大丈夫。明日正解を言います。なぜこの人と会ったかもあわせて。ちょっと考えてみて。
お坊さんの名は、京都六波羅蜜寺の住職で、小川珈琲のCMに登場なさっている 川崎純性(かわさき じゅんしょう)さん。本物である。CMでは、浮世離れしていないイメージで偽者じゃないのと思ったくらい。証拠に、ここでコーヒーをご馳走になった。寒くて屋外。ここだけの話「こういう状況でなら、違いがわかっても、わからなくても、ネスカフェエクセラだって同じ」と悪口をひそかに用意して臨んだが、お世辞じゃなく、えらくおいしくて、お代わりしたいくらいだった。なぜそんな所へ行ったかって?
このお寺は西国33箇所の観音霊場であるからして、この私が『札所めぐり』、駆け出しの第1日だったのである。断り切れずに参加したもののナントこれが、全部歩いて回ろうという途方も無い計画。今回は第6回で8.5q。こんなものチョロイそうで、30q歩く日もあるという。続ける義務は無いので、後は?????
四条河原町をオイズル着て歩くなんてはじめて。オイズルはなんだ? 六波羅蜜ってなんだって? それはまた今度。
オイズルとは、白色の上着のことである。背中には南無阿弥陀仏と書いてあると思っていたが、四国遍路なら南無大師遍照金剛 我々の西国33箇所では南無大慈大悲観世音菩薩と書いてあった。
「板東観音霊場記」によれば、昔修験者や行脚の僧が、仏具、経本、衣類等を入れて背負っていたものが『笈』で、着物の背中が、この笈ですれて破れるのを防ぐため、あるいは、仏像を入れた『笈』が、直接俗な身体に摺れないように着て、『笈摺り』、とか『笈摺る』と言われるようになったとか。背中は三枚の布を縫い合わせて作られているが、男性用は、三枚ともに白だが、女性用は、両親のある人は中央が白で左右は赤、片親のある人は、中央が赤で左右は白、両親のない人は、男性用と同じ。こんなことまで決まっているが、私は白以外は見たことが無い。身分制度がはっきりしていた昔は、この白衣すがたは、み仏の前では全ての人々が平等であることを示し、誰もが世間からも仲間からも平等に扱われたそうである。病院での白衣姿は別です。
きっと時代とともに色々な意味が付加されてきたのだろうが、目覚めようと仏道修行で、霊場を巡礼する。めでたく満願すれば、死装束として(行が厳しくて、途中で死ぬ人もあったため)のオイズルを脱ぎ、晴れて生まれ変わり、この世に還ってくる。という解釈はちょっといい。だから、死出の旅立ちの準備で巡礼するのではないが、肉親の成仏を願う人情から、いつのまにか、オイズルに朱印を頂いて帰り、御棺に入れるようになったそうである。
服装はその人の思想の反映でもあるが、オイズル姿からは、「お遍路をしている自分の心は、今真っ白です」という清清しい感じを受ける。何やら勘違いしている不純な感じの集団も居たけれど・・・・。オイズルプチ講座終了です。
「大津市の南の方の住宅街で、ルミナリエが見られる。」という噂で、行った。クリスマスに近づくと渋滞騒ぎになるので、行くなら12月初旬という親切なアドバイスに従った。
トナカイあり、サンタあり、リースあり、★あり、ナイアガラの滝あり。神戸のルミナリエほど整然としていない。あたりまえである。個人の家が好き勝手に?競い合って?様々に飾り付けているのだ。
電飾の家は100軒はあろうか。非常に広範囲に散らばっているので、持ち時間別の見所マーク付きのツアーマップがいりそう。「○○丁目には負けられないわっ! ○○さんちより、家のほうがきれいね」ってな言葉が聞こえてきそう。この画像の場所が、いわばルミナリエ銀座。一軒だけでなく、お向かいとつながっているのがすごい!すでにウロウロしている得体の知れない車が、私以外にもあった。たこ焼き屋出すなら、この場所が最高とみた。
生野菜を食べると好いと思われているのは、どうもビタミンCが加熱処理で、分解するからということらしい。水に溶けているビタミンC は、その通りの反応をするが、植物組織中では、かなり安定で、ゆでたじゃがいものビタミンCはほとんど減少していないそうである。
もうひとつ、抗酸化作用で人気のポリフェノールであるが、これも、植物細胞中では細胞壁に守られて、容易に外へは出てこないそうである。ということは、加熱料理する方が、たくさんの有効成分が、スープ中に溶け出し、それを飲めば、吸収も容易になる。当然加熱によって、細菌の殺菌も行われ、安全性も増す。
さらに、植物油であるが、これは市販のものは精製されすぎて、抗酸化作用のある物質はあまり含まれていず、きわめて酸化されやすい状態になっているそうである。この過酸化脂質は、赤身の肉と反応して出きる悪者が、体内で悪さをしやすくなる。エキストラバージンオイルは、未精製なので、その心配はないそうである。吸収できなければ、栄養にはならない。生半可な科学的知識で、断言するのは、危ないと、熊本大学の、前田浩先生の意見である。誰が何を言っても好い世の中だから、何もかもを鵜呑みにするわけにはいかない。なら何を信じればいいということになるが、私は、おいしく食べるのが、一番身体にいいような気がする。でも、おいしく食べて、「腹八分目をまた忘れてた。」なんて言っても私は知りませんよ。
11月下旬にヨーチャンが舞い戻ってきた。緊張がほぐれた、寒くなった、疲れが出てきた、条件がそろったのか、フト気がつくとヨーチャンがいる。どうしても動きが鈍ってイライラがつのる。元気になったと自分で過信して、がんばりすぎたかな? あーあ、いやだいやだ、10代の時はこんなことはあり得なかった。
この「有り得ない」という言い方、時々聞こえる。やっぱりジワジワと日本全国に浸透している。相変わらず語尾上げ言葉も、おじさんおばさんに支持されている。流行に惑わされない頑固者か、すぐに使いこなすお調子者か、どちらがこの世を上手に渡るかといえば、そりゃ、変化に順応できる後者が生き残る。でも好き嫌いで言えば、信念を持つ頑固者の方が私は好き。とはいえ、頑固なヨーチャンに好きになってもらっても困るぅ。注)ヨーチャンは皆さんおなじみの腰痛です。
日曜日に、風邪引きさんと至近距離で話していたから、そうに違いない。この風邪は。熱は無いが、喉が痛くてしんどくて。薬飲むほどでもないけれど、あなたも油断しないでね。ウィルスのお土産付き忘年会、帰りにコンビニで、「風邪薬買って帰ればいい。便利だね」とは行かなくなりそう。薬剤師同士で、「危ないよ! 風邪薬」とぶつくさ言ってたの聞こえたに違いない。「当然よ〜ぉ!」 帰り道は冷えますぞ! ご用心、ご用心。
やっぱり、一晩では回復できなかった。久しぶりに終日お布団とTVと睡魔と過ごした。太るのと、風邪治すのとどっちにしようかと「よ〜く考えて」いる余裕も無く、食べまくったが、太っていない。バイキンとの戦いに兵糧が必要だったようだ。眠りながら見ていたTVで、「私はこうえんに行きました。」だけでは、公園か講演かわからない。日本語は文字を話して、文字を聞いている、ヨーロッパの言葉は、音を聞いて、音を話していると言っていた。風車を「ふうしゃ」と読むか、「かざぐるま」と読むかで、感じが変わる。「風」という漢字には政治的な意味合いも含まれると言う。
風邪を「かぜ」と読まず、「ふうじゃ」と読むとかなりひどそう。私は、これを「かぜはもうたくさんじゃ」と読みたい。
私にとっては、ご禁制の、チョコレートとナチュラルチーズを食べてしまった。ボジョレー・ヌーボーもチョッピリ。ずーっと脂肪と甘いものを遠ざけて、ストイックな食生活を送っていたから、贅沢しているって感じ。もう太ってもええわい、と文字通り太っ腹な私。
小さな頃風邪を引くと、黒い斑点がわずかに付いてはいたが贅沢品のバナナを一本食べられた。いつもは聞いてもらえない、我儘も聞いてもらえた。だから時には病気になりたかった。今回の風邪はちょっとそんな趣がある。両手の指先でたくさんの水の入った袋の口を握り締めていて、力を緩めれば、すべてが流れ去ってしまう。自分さえも。そんな気分はもう無くなったつもりだったのに。もう口金をつけて、よそ見してもこぼれないはずだったのに・・・・。
たまには病気になって、心の我儘聞いてあげましょう。すっきりするよ。
炬燵が壊れて随分放置していたが、直そうか買い換えようか迷ってともかく開けてみた。「ヒューズかもしれんで」と言われたのを思い出し、それらしきものをはずして、家電店に持ち込んだ。「あの〜、これヒューズですよね。」、「そうですけど、うちは、置いてません。DIYへ行かはった方が・・・」直そうなんて考えがいけない。新品を買うべきであると言いたげ。尤もである。もう一軒ついでに、ヨドバシにも行ったが、親切なだけで無かった。
めでたくDIYでヒューズを入手。やっと暖まれるとニコニコ、スイッチを入れた。ウンともスンとも言わない。別に難しい構造のものでもない。マイコンなんてつく場所も無い。途方にくれたがめげずに、分解できるものは全部分解した。素人にわかるような故障はやっぱり発見できない。しょうがない。机ごとではかさばるのでユニットのみを買った。
念のために、新しいコードをまだ蓋の開いたままの古い炬燵につけてみた。ブーンとファンが回りだしたではないか。赤々とガラス管が光る。どうも探し回ったヒューズを替えたための現象ではなさそうである。(’’;)直った。この新しい炬燵ユニットどうしよう。頭の中にはもう普通の机を炬燵にしてやろうと、つけている光景が浮かんでくる。しかしまた仕事が増える。
もうあの手しかない。オドオドと電話した。「かくかくしかじかですが、返品してコードだけもらえますか?」というと、「いいですよ。」あー神様仏様、ありがとうございます。私は新しいコード代580円とヒューズ代230円の出費でこの冬の暖かさを手にすることができました。
まさかコードが痛んでいるとは思いもよらず・・・・。得したようだが、膨大な時間をロスした事をご報告いたします。
スーパーの魚売り場で、レトロな値札を見た。折(へぎ)板に、手書きで無造作に書かれている。知っている人なら、天井からゴム紐でぶら下っている魚籠みたいな、かごもあったかという疑問が湧くはず。残念ながら、それは無い。今時、消費税も入れて暗算でお勘定なんてできないよね。あんな籠で事足りた時代があったのに、複雑な世の中になったものだ。スーパーは、大方、郷愁をあおりたて、その品を買わせようとする苦肉の策かもしれないが、そうは行かない。第一、値札に何が書いてあったか覚えていないし、何の魚だったかも覚えていない。ただ漢数字じゃなくて、数字が横書きなのはなんとなく不自然だなぁと思っただけ。あそこで、ねじり鉢巻のゴム長、ゴムのエプロンのおじさんの威勢のいい声が聞こえたら、売上はきっと上がる。一般消費者のおばさんとしては、そう思うんだけどね。
今年はもみじが遅いねと言っているうちに、もうすっかり落ちて、道端に茶色く丸まって、風にかさかさ音を立てている。いつの間にか、景色は冬の顔になっている。逢坂山の今朝の気温は2℃。寒いはずだ。
寒くても、歩いていると身体は少しずつ暖まってくる。でも心の冷えは、変わらない。「人間なんて卑劣よ」と、自分の青さにうんざりしながら歩いていると、不意にすれ違いざまに、「おはようございま〜す」と大きな男性の声がした。礼儀正しい(?)私が、朝はめったと自分から声を発することは無い。あたりはまだ薄暗い。その瞬間、フラッシュが光ったみたいに、ポット心が温かくなり、にんまりして歩いている自分の単純さにもう一度うんざりする。冬至10日前といって、毎日日が暮れるが早い。ハルウララが100連敗を達成したそうだが、自分を投影しながら、阪神タイガースの奇跡の大反撃のようにみんな期待している。冬至が済めば必ず太陽が復活するように。
インフルエンザの注射をしてきた。ニュースでは、ものすごい品薄。メーカーに在庫は無いとの事だが、あるところにはある。申し込んですぐできた。「ちょっと痛いですよ」と若い可愛い女医さんにやさしく言われると、おばさんでも「ううん大丈夫よ。我慢できるわ」と緊張がほぐれて、ちっとも痛くなかった。まるで文学部で、注射してもらったみたいな感じ。理系の女性、政治家の女性、文筆家の女性、評論家の女性。女社長。等と見ただけで、はっきり色分けできる時代は過ぎ去ろうとしているようだ。明日とあさって、管理人不在につき、勝手ながら『談話室』の更新はお休みさせていただきます。
「アニオンハシムニカ」
ソウルへの遠足から帰りました。詳しくは又明日。お楽しみにネ。
この秋以来、色々な人に会う機会が増えた。なぜこんなに忙しいのだろう?
ふと考えると断らないからだとわかった。実はソウル2泊3日の旅も「ビーズのバッグが買いたい。メガネが5000円で出来るんだって。」という友人の誘いによる。私は、ビーズのバッグを欲しくもないし、メガネも間に合っているが、この激安のシーズンを逃す手は無い。あと2週間経てば、料金が倍以上になるのだ。ブランドのバッグに興味もなければ、キムチも食べられない。なおかつ、日本語の通じてしまう外国では、私の逃避の欲求は満たされない。なのになぜ?
実は初めて行ったのは、友好親善の旅で10年前である。その時の南大門市場の賑わいが忘れられない。道にも山と積み上げた品物で、たくさんの人が、行き違うのも困難なほど。もちろん、ちょっといかがわしいコピーのバッグもたくさん売っていて、値段の交渉などをするのも楽しい。この市場全体に、道徳の道から人を少し踏み外させてくれる、雑多なエネルギーが渦巻いていた。私はそこに、もう一度身を置いてみたかったのである。
つづく
必ずしもオフシーズンではないけど、普通の社会人が仕事をしているときに・・・。
ソウル2泊3日の旅ですって?!
うらやましさを通り越してます。!?
えーえー、ひがんでるだけですので、深い意味はございません。せめて、ソウル情緒のレポートをたっぷりとお聞かせください。
えーえー、みやげはそれで十分です。^^
たまにはいいじゃない? 私pureさんみたいに、まめに遊んでないから。いつもは、賢くしていますよ。
それよりあまりに今日はきれいだった湖岸の絵をどうぞ御覧くださって、ご機嫌直してね。朝、車が走る音がいつもと違う、もしやとカーテンを開ける。雪だ。私はスキーが好き、と言うことは雪が好き。たちまち寒さを忘れ、がっちり着こんで、雪の降りしきる琵琶湖岸へ飛び出した。さすがに前から強風にあおられると、ランニングは無理。人もまばら、人と同じ数の犬。
今ついた足跡を、雪が消していく。 こんな風に、どんどん埋もれていく鮮烈だった記憶もあれば、消しても消しても消えないものもある。
でも、こんな時には、青春の日々が迅速によみがえる。昨日は小中学校の同級生と忘年会。今年は忘れたくない年になりそうなのに、いくつもいくつも参加している。あなたはどうですか? 忘れるために飲んでますか? 記憶にとどめるために飲んでますか? じつは今宵も忘年会。 ゲポッ。
今度乗り込んだのは、アシアナ航空である。知ってる?私は初めて。何しろ激安ツアー。すべてに期待はしていない、というより覚悟をしている。
シートベルトのサインが消えれば、あたふたとスチュアーデスさんが動き出す。飛行時間1時間半の間に、軽食を出し、飲み物のサービスも怠らない。なおかつ、免税品の販売までするという、忙しさ。そんな中、私のタイミングをはずした、食後の珈琲の要求に、日本人のスッチーは、食事のトレイを片付けながら、「別の入れ物でお持ちいたします」とあでやかに微笑んでも、次のお客とのシーンが始まれば、まったく何事も無かったかのようになっている。つまり忘れている。あるいは無視している。仕方なく別の韓国人の美人スッチーを捕まえて、ようやくゲット。この飛行機はANAとの共同運航なので、必ず日本人のスッチーが一人いるのだそうだ。髪の毛を七、三に分けた可愛い坊やも乗っている。彼等はホテルマン出身者が多く、とても振る舞いが上品である。などと、友人は細かく教えてくれる。実は彼女は、元ANAの関係者なのである。久しぶりの飛行機に興奮している私に対して、乗りなれた彼女はまるで自分のリビングにいるかのようである。「ほら、今車輪が出た。」とか「もう音で、着陸態勢に入っているとわかっていたわ」と耳がワーンとなってきて、よく聞こえない私の耳に、誇らしげにつぶやく。
ちょうど、窓際だったので、土の多い山、高層アパート群、蛇行する川など雲の間からみえる韓国の景色を堪能した。空港は以前とは違う仁川空港である。特別の韓国らしい匂いが感じられない、近代的なあるいは一般的なたたずまいである。かなり大きい。
行きは良い良いだったが、帰りが大変だった。なんと靴まで脱いで、籠に入れ、入念にチェックされるものだから、蛇行する列がなかなか進まない。免税品の受け渡しも10年前とは比較にならない多さで、おまけに空港内が広くて移動にも時間がかかる。朝食をとる時間がたっぷりあるはずだったのに、結局何をする間もなく、帰りもまたスッチーの運んでくれる、軽食に空腹の処理をゆだねるしかなかった。味について、ここで特筆すべきものはない。
我々は機内持ち込みの小さな手荷物だけだから、すぐにするすると外に出てしまった。 つづく
我々の旅行は[現 地 係 員 :あり]である。我々のツアー会社の名前を書いたプラカードを持つ係員を探すが、いない。もう一度よく見ると、エッ?! 韓国のツアー会社の名の上に、私の名前が書いてある。実はこの日のお客は、日本中で私達二人だったのである。[最少催行人数:2人]って記載のアレだ。うれしいね。事実上のお抱え運転手、お抱えガイドである。大きなバンに乗り込み、さあ ソウル市内へ。外気はちっとも寒くなくて拍子抜けするくらい。しかし、車の中は暑い。町に入ると10年前には覚えが無い渋滞である。夕方のラッシュ時には、さらにすごい!幅広の3車線の道路にぎっしり車がつまり、のろのろ運転が続く。しかし、運転は荒っぽい。車が無ければUターンも平気だから、「よく怒らないねえ、韓国の人は気が長い」と思うのは間違いなのであろうか。私はすっかり気分が悪くなり、あくびの連発である。
10年ぶりのソウルは、随分と印象が変わっていた。窓から見える町並には、英語の看板、欧米風の店の構えが増えていた。TVで見る平和で寛大な韓国は、切り取られた今≠ナあって、やはり現地では、油断できない韓国もあった。国民性はそう簡単には変わらない。しかし、それは私の勝手な感じ方で、このところ人に異常に敏感になって身構えているからかも知れない。人々はとても親切にしてくれた。当時、嫌いな外国第一位にランクされていた日本への感情はいくらか変化しているのかもしれない。日本語を話す人と英語を理解する人も増えていた。それより日本人観光客の増えたこと。忙しくて予習ができずに出かけたが、もっとわかって出かければ、すばらしい本当の韓国にもっと接近できそうな気がした。
今回はエステ&tきのツアーである。土産物屋と免税店をかすめた後の最大イベントの場所は、夜の明洞(みょんどん)にある。きれい≠手にすることができるだろうか。車に揺られて、もういつでも眠れるほどくたびれた私達なのだが。つづく
顔のきゅうりパック以外は男女とも同じであるとの事だが、男性もエステなんてやってもらうの?
実は、私は肌は大変きれいなので?エステの必要もなく???? ・・・・要するに、はじめてなのである。日本語のHP『天地然』に詳しいが、場所は明洞のネオンきらめく町の真ん中のビルの地下である。「熱くなったら出てきて」と日本語の堪能なマネージャーに言われ、番のおばさんはタオルを一枚無造作に渡して、無言で我々を促した。茶室のにじり口のような小さな入口をくぐり入る。室内は石のドーム型である。ヘンゼルとグレーテルにかまどに押し込まれた魔女の気分である。暑い!!! すぐに、タラーリ、タラリと、汗がにじみ出てしたたり落ちる。しゃべるのもつらい暑さだから、私の場合、がまの油ではなく、豚の油と言うべきだろうか。等と自問自答する。慣れると「私まだいける」とお互いしばらく見栄を張る。出ると、紙のペタンコのコップに水をくれる。おいしい!
このドーム、火汗蒸幕という名で「身体の芯から温め、1427年(李王朝時代)には、貧しい患者を無償で治療するため、男女汗蒸院を設置して奨励したのが今日に至っている」そうで、ここのものは、それを再現した国内唯一のものだという。「一般サウナと違い、赤外線を通じて、体内の老廃物が汗と共に排泄され、身体を温めて、血行を促進し、新陳代謝が活発になることで婦人病の予防と解毒効果で健康が見違えるほど回復されるだけでなく、老化を予防しすべすべの美しい美肌になります。」という大変な優れもの。
一旦出て、松の香りの、赤外線ドライサウナで休むと、もう一度行けと、番のおばさんが、火汗蒸幕を指差している。「エーッ!?」と拒否していたら、今度はエレベーターで上の階へ連れて行かれ、お風呂。垢すりと続く。垢すりしながらお姉さんが「足の裏、マッサージ、気持ちいいよ。 ベッチュ料金。 60.000ウォン」(1円≒11W)と耳元でささやく。他にもいっぱいベッチュ料金のメニューがある。一番気に入ったのは、蓬風呂である。私は、ボロボロ垢がでて、帰国後も心なしか、肌がつるつるしているような気がするが、垢すりマニアの友人は、「ちっとも出なくて下手くそ!」と言った。「そりゃあなたは垢抜けた女性だもの」とお答え申し上げたが、機嫌は回復しなかった。ホント、垢抜けた美人なのよ彼女は。
エステ前後の写真を写し、体重も測定した。おいしい水を一杯飲んで、体重は変わらず、私のデジカメの精度では、違いも確認不能だった。きれい<Qットを客観的に報告できなかったことが誠に残念である。 つづく
大学時代の有志の集まりでのこと。「そんなひどい目に合わせたやつは何処のどいつや、わしがやっつけたる。」という言葉をまるっぽしんじるほど、私は子供じゃないが、そんな事を言ってくれるだけでうれしいじゃない。今年の忘年会では「かおるちゃん」の世界が広がっている。そして言われる。「元気になったね。良かったね。」私も、落ち込んでいる友に心からこんな風に言える余裕を持てるようになりたい。ちょっと落ち込んでいるときは、思い出してね。まだ口や態度に出せるほどの大きさではないが、私がひそかに応援していることを。
>>>>>>>>>>>まだまだ続くソウル報告″。日はお休み。
どこに行っても、スーパーに行き、地下鉄か市電に乗ってみる事にしている。特に、ソウルのタクシーは、ぼられると聞いたので、入念にインターネットで路線図をプリントアウトして持って行った。きっとそんなものは、ソウルに行けば、何処ででももらえると思ったが、パリのメトロで乗り間違えた苦い経験からくる過剰反応である。何しろハングルが読めない。私の小さな頭の言語領域は、ドイツ語と英語が占領していて、とてもハングルの分け入る余裕は無い。無駄な抵抗はするべきでないと、この辺はなかなか賢いでしょ。
地上はひどい渋滞だったし、ホテルから最寄の駅まで30秒とインターネットで見ていたので、、迷わず、地下鉄にしたのだが、ウソ! 探しながらだから5分は、かかった。これじゃまるで不動産屋の宣伝じゃないと文句を忘れずに言いながら、なんとか着いたが、今度は切符である。行き先をハングルで書いてもらった紙を見せて成功、我々の動ける範囲はほとんど700ウォン(1円≒11W)で行ける。
右の 画像はK(Korea)?スルー。切符を入れ、ガタンとバーを回して通りると、完結して、出てきた切符を取るのをすっかり忘れる人がいる。そんな人、他にいる?ばれたか、私だ。ソウルの地下鉄は、大変わかりやすく親切である。ちゃーんと路線ごとに色分けされていて、電車も、駅もその色に塗り分けられている。これはインターネットと同じでホッとする。その上、その駅に固有の三桁の番号がふってある。 1号線の駅なら110とか、5号線の駅なら542とかである。なら乗換駅はどうなる って? いい質問です。たとえば、繁華街の「明洞」は4号線の424と2号線の202と二つの背番号を持っている。
つづく
感激したのは、次の駅の方にだけ、矢印がついている事である。
たとえば、JRびわ湖線を地下鉄として考えてみると、(地下鉄は景色が見えないから方向が定めにくい。)
私が山科にいて、大津に行く電車に確かに乗れるか不安なとき、ホームに立って、目の前の壁を見ると、大津←山科-京都 と書いてある。こちら側で待っていて正しいと直ちにわかる。電車が矢印と同じ方向に走ってきた事を確認して乗れば完璧。背中側の壁には、ちゃんと大津-山科→京都こんな風に書いてある。つまり、ホームの反対側の電車に乗れば、京都へ行けることもわかる。もちろん矢印がなくてもわかるが、実際に利用して、これを会得してからは、とても動きが迅速になったような気がした。通勤の人たちに混じって、乗降客数の割にはだだっ広い階段を登ると、改札口の近くには必ず、露天風の店がひとつ以上あり、スーパーのセールように、洋服や靴を売っている。地上に出てしまうと、冬はひどく寒いからではなかろうか。
ひとつだけ、これにはちょっと困った。列車に乗り込むとやっぱり匂う、キムチの匂いだ! 私はキムチだけでなくお漬物が苦手。しかし韓国の食事を重ねるうちまもなく気にならなくなった。地下鉄の乗り方をマスターしただけで、もう我々は、慣れたでかい態度。こういうところがぴったり一致する二人である。 つづく
キムチの食べられない私にとって、唯一おいしく食べられるのはビビンパである。この味を知ったのは、思えば、10年前の釜山でだった。港の近くのおみやげ物屋に、ついでのようにくっついていた食堂で、熱々の石の器に入って出てきた。「ビビンパとはかき混ぜるという意味です。火傷しないように注意してよくかき混ぜてください。」と言われ、ご飯にも心にも少し抵抗を感じながらかき混ぜた。真ん中にあった生卵が壊れて固まった。熱々のビビンパはおいしくて、日本で食べた同じ名前のものとはまるで別物。これが本家ビビンパ≠ネのだと思った。それ以来、韓国の人と見れば話を持ち出し、情報を私のビビンパフォルダに付け足す。きっと色々いわれはあるだろうが、そのひとつとして・・・・・
そもそも、エッヘン、ビビンパは、韓国の法事の後のご馳走から始まった。韓国の人々は、祖先を敬う心が非常に篤く、昔は、一山を一族のお墓にした。生きているときから、自分は山の何処に葬られるかをきめていたという。電車からよく見えるのだが、小高い丘の上のつるんとした所に、墓標のような何かがあれば間違いない。お墓である。現代はどうか知らないが、一年に一度、一族が集まって、頂上で祀りをする。そのときに、色々な野菜を「ナムル」という和え物にしてお供えする。祀りの後、その場で、お供えのおさがりをご飯に混ぜて、みんなで頂き宴会となる。これぞ元祖ビビンパ=B山の上では、お料理するのは難しい。「載せるものは何でもいいのよ」と聞いた。
いつぞや、偶然NHKで、ビビンパで有名な村のレポートを見た。専門のレストランがあって、載せる具は40種類くらいある。一人前2,000円くらい。ゴマ油は、ゴマを買ってそこで絞ってもらうから濃厚で香りも最高。行きたくて、姉妹都市の亀尾(kumi)から大津に来たお客様に、場所を聞いたが、かなり離れていて行きにくいということだった。ガイド嬢もあまり知らなかった。今後の課題である。 つづく
焼肉をたらふく食べて、お酒もたらふく飲んでもう完璧に満腹なのに食べられる不思議な食べ物が『ビビンバ』です。何故なのかわかりませんが、ホントにするすると食べられるんですよねぇ。
でも、僕の食べ方はナムールとご飯の上にスープをかける食べ方です。雑炊風になるからかなぁ。
本場でスープをぶっかけて食べたらひんしゅくをかうんだろうか?
うーん、悩むな・・・。^^
>でも、僕の食べ方はナムールとご飯の上にスープをかける食べ方です。雑炊風になるからかなぁ。
すると、より美味しいbetterビビンパのためには、この画像のすべてを一緒くたにして、わざわざ別に盛り付けた人の努力をないがしろにしなければならないってわけね。ん、わかるような気もする。 ソウルでは見なかったが、きっと美味しい!
これは、ロッテデパートで食べたビビンパ。釜山のレストランは、ここだけの話、星がついたような立派なレストランではなかったのに、美味しかった。それは、この国のビビンパの水準の高さを物語るものにほかならない。美味しい所はあるに違いないが、何処でもいいのだ、と予習不足に言い訳して、安易に選んだデパ地下フードコート。いらないキムチをそっとはずして、かき混ぜたが、目玉焼きが載っている。残念! おこげは大丈夫。でも 辛い!!!! すごく辛い。友人はなきそうになって食べている。釜山でも思ったが、この美味しさを支えているのは、やっぱり熱々の石の器なのだ。(の≠抜くと石器≠ナ野蛮な感じがするのであえて入れた)
前回は、真鍮で真ん中の盛り上がった焼肉用網プレートをかって帰った私である。今回、安ければ重くても買って帰ろうと思っていたら、10階のロッテ免税店でセール中!お皿とやっとこみたいな挟みがついて二つ9,000円。キムチ屋では、定価8,000円 日本でも見つけた。ひとつで3,500円。まだ100均では見かけない。韓国では本当に美味しいビビンパしか作れない器しか、売ってはならないのかもしれない。私はビビンパを常食しているわけではないので、美味しいビビンパのためのこの投資を拒んだ。従って、この器は我が家にはまだ無い。もともと山の上で始まったものだから、必ずしも熱々の器でなくてもよかろう。
いつもは普通の丼を使用するから、私の作るのはビビンパ丼なのだが、名前がそうポピュラーでない頃だった。思い出せなかったのか、「あの、キム・ヨンサム(当時、大統領だった)食べたい」とリクエストが一名から来た程の腕前である。とっさに「そんなもの食べたって美味しくないよ」と答えたものだ。 つづく
宅間死刑囚を精神的に支えたい?!と、獄中結婚した人がいるという話だ。「He〜〜〜」、「私も弱い心、支えて欲しいよ。」ボランティア結婚≠ニいう言葉があるかと、インターネットで検索したら13件出てきたが、アホくさくなってそれで終わりにした。ソウル報告は、また明日。
雪濃湯ってなんだと思う。もう知ってる?そうスープ、ソルロンタンって読みます。というより、漢字は当て字なのだけれど、感じでている。白くにごった中に牛肉が浮いている。濃厚な辛くないスープ。これは暖まっておいしい。気温が0℃前後だというソウルの町を散策すれば、冷えるに違いない。熱〜いスープを飲みたいと思っていた。
韓国はスープの特産地か? 実に様々なスープがあるようだ。前回に、溶鉱炉≠フように熱いということで、そういう名前のついたスープをご馳走になった。ソルロンタンと同様白く濁って、沸騰しているようだった。家庭料理のようだが、産後の肥立ちによいとのかぼちゃのスープもどろっとして美味しかった。有名なサンゲタンは、夏の前に体力をつけ、冬の前に風邪を引かないように、必ず年2回家族に飲ませるという、在日韓国人の人に作り方を教わった。私も似たようなものを作る。本場の味も見てみたい。
望むことを全部クリアーする時間があるわけもなく、食欲にも限界があり、言葉の壁を乗り越えることもできなくて、結局、適当に行き合わせたところで食べたのがこのスープ、もらった宣伝のパンフの絵を見て、ジェスチャーで確認した。韓国のスープは量が多い。ビビンパの器と同じくらいの大きさのに、たっぷり入っている。もうひとつ器をもらって、二人で分けた。ここで食べたご飯が美味しかった。もしpureさんの食べ方聞いていたら、ご飯を入れて食べられたのに、残念! ここではキムチも一切れ食べられた。「キムチの美味しい食堂はお料理が美味しい」という言い伝えは聞いたことが無いのだが・・・・。
冬の間にこのスープは是非作ってみたい。ソルロンタンの歴史や画像など詳しくはこちらのHPでどうぞ。
これは私が2003年に、この地上に残した足跡。
でも、まもなく降り続く雪で無くなる。そして何事も無かったかのような美しい雪景色が広がる。同様に、色々あったと思っていても、時が経てば、こんな平坦な道だったんだと思えるようになる。昔の足跡は時が消して、見えなくなる。時は偉大だ。
前を見て歩いてれば、足跡は見えない。忙しく過ごしていると足跡に一喜一憂している暇なんて無い。それでも、人は一年という節目で、ちょっと振り返ってみる。「無事でよかった」とつぶやきながら。
今年もたくさんの方にお越しいただき、深く感謝しています。皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
03/12/01▲〜03/12/31