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『談話室』 総集編 1月分(04/01/01〜04/01/31▼) | |||
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新年 明けまして おめでとう ございます旧年中は、大変お世話になりありがとうございました。本年も相変わりませず、ご贔屓の程、すみからすみまで ず、ず、ずーいと、よろしく願い上げ奉ります。
望む事は、10のうち大抵1か2しか叶わない。運の良い人で3か4だそうである。なら望むことを多くすれば、1か2の絶対数は増えることになるの? それとも叶わないことが多いとかえって苛立つかしら。思う事が全部が叶ってはじめて幸せだなんて思うと、幸せになるのはなかなか。
物事は、心で思うようになるので、自分で「幸せになる」と決めてしまえばいい。「不幸せになる」と決めると、いくらでも不幸せになれるそうだから「幸せになる」と決めた方が得である。
まず、美味しく食べられ、ぐっすり眠れれば幸せ、と思うことからはじめて、小さな幸せを積み重ねていくのがコツである。先日、光永覚道大阿闍梨から伺った話である。阿闍梨さんの声で聞くと感じる深い味わい、私の筆で書けているだろうか。あなたも、今年は「もっともっと幸せなろう」って決めましょう。私もそうします。
食事を済ませて、南大門市場に着いたのは夜もかなり遅かった。ライトアップされた南大門のそばから、豆電球で飾られた並木が美しい広い通りを行くと、小さな屋台が大通りまであふれ出して雑然とした細い通りが見えた。
そこで車を降りて、まず入ったのはメガネ屋である。割引券付きの日本語のHPがたくさんあったが、目の前の店はそれではなさそうだった。日本語が通じるし、日本語が書いてあるが、ちがうのは、メガネの並べ方である。日本では一つ一つ重ならないように並べられているが、ソウルでは、有名ブランドのフレームが、スーパーで舟に入って売られているお刺身のように重なって、ウィンドウに並んでいる。駄菓子屋のようでもある。安いのか高いのか判断できない。日本人にはどうやらふっかけている。結局何も買わずに店を出た。
夜の南大門市場には、やっぱり雑多なエネルギーがうごめいている。 通りの真ん中にどうどうと並んだ台には、あのチェックのマフラーとか、LV のロゴもあざやかなソックスとか、あるわけないものが山と積まれている。面白い!
やはり通りの真ん中に透明ビニールのカーテンをつけて出ている屋台を覗き込むと、立ちこめる美味しそうな湯気がお客を誘う。でも満腹だ!残念!
クリスマスの飾り物ばかりの店もある。キムチや海苔や朝鮮人参や・・・おみやげ物屋である。「いくら?」と値段の交渉が始まる。ドイツではこういうことをしなくていいので、面倒でないが面白くない。アジア全域でこうなんだろうか? これだけ買ったんだからおまけ頂戴と、ひとつ海苔をゲット。観光客目当て、言葉の不自由も無いのだから、そんなには安いはずがないが、まあこれも旅ゆえと、十二分に楽しむことにしている。前より観光客は少ない。韓国人のガイドさんと一緒だから、とてもくつろげる。
一見して贋物とわかるブランドバッグの山の前に来たとき、ガイド嬢が「もっと本当のコピーがある。見たい?」と言った。さあ、ドキドキ、ハラハラのコピーの本物の話だよ〜。 つづく
ガイド嬢は、「中国製はだめ。韓国のは気合が違うから物が好い」と自慢?する。コピー商品についてである。続いて「取締りがあるから」と言った。私が即座に「ウン、見たい」と言わなかったらよかったったと、後悔が走ったのは、このすぐ後のことである。店のお兄さんについて薄暗い電灯がともる別のビルに3人が入る。みんなが入ったら、後ろで「ガチャッ」と錠前をおろす音が静かな室内に響いた。もう、後には戻れない。前にある狭い急な階段を上がるしかない。灰色の薄汚れた壁、まるでドラマね、等と悠長なことをいう余裕はもう無い。頭の中の画面で潜入! 夜の南大門市場、コピー商品の闇ルート!なんて言葉が斜めに走る。「生きて帰れるかしら」という考えさえよぎる。一人ずつ順番に連なって、3階に来ると、タバコ臭い部屋で、塩化ビニルのレザー張りのソファーに一人若い男が待っていた。みんなが入ると再びこの男が後ろで「ガチャッ」と錠前をおろす音が静かな室内に響く。できるだけ明るく振舞い、たくさんの商品を入念に品定めする振りをする。でも「ともかく一個買って、早くここを出たい」一心で、どんなすばらしい商品も目に入らない。商品の値段を聞いて、「フン、高いやん、いらんワ」という態度をとると、さっき一つ買うときには「カッカチュセヨ」とハングルで値下げを要求しても、だめと言ったくせに、すぐ値下げしてくる。そうしていても、一刻も早くここを出たい。
友人も要らなさそうなので、「もういい。」と言った。行く手を阻まれて、もっと買うまで降りられなかったらどうしようと心配しながらも、すんなりと、そして心は転がるように階段を降り、無事屋台の店主達が片づけをはじめた南大門市場に戻って来た。恐怖をかもし出す、うまい状況設定ではあったが、今なら笑って語れる別にどうということも無い、当たり前の夜であった。 つづく
また行ってしまった、同窓会。どの同窓会に行っても同じ現象が見られる。「また 来年ね」と言って別れるのではないのである。たとえば、「知らんかったわ。今度やるならゆうて、行くよ!」とか「エッ? ゴルフするの?そしたら○○日にやろ。」とか「今度は温泉で一泊で」とか、「夏のいつ?何処で?」すべて、1年以内いや半年以内の再会の約束ができている。そんなに生き急ぐことも無いのに。みんな暇だな〜。
確かに懐かしい。このタイムトラベルには、説明が要らない。添乗員も要らない。人生を戦い続けてきて、峠の茶屋で一休みって感じかな。ひと時、パラダイスに遊ぶ。楽しかったよ〜pureさん。「明日から元の世界にすんなり戻れるか心配です。」と言った人がいた。ほんとうに。
八角形の器に入った宮廷料理を写真で見て知っていたが、ガイド嬢が前日に、お迎え付きで予約してくれた。ところが、色々しているうちに、そこに行くのが、時間的に無理が出てきた。店の電話番号は、わかっている。友人が私にかけろと言う。こういう役回りになりがちなのだ私は。ソウルでも携帯を頻繁に見る。少ない公衆電話を探して50W入れ「予約している○○ですが、」と切り出すと、相手は「ハイ」。申し訳なくて、くどくどと日本語で説明を始めたが、わからないようなので、「あのね、今日の夕食、キャンセル。」と言ったら「ハイ、○○様予約キャンセルね。」で済んでしまった。こういうとき、言葉が十分通じないことは、片方には不都合、もう一方には好都合。
「キャンセルできたよ。」「えっ?ガイドさんと話していたのではないの? エライ!」とほめてもらった。ついでだが、韓国の電話は、残りの通話分、受話器を掛けずに置くと次の人が残りの料金を使える。でも最近は、残りがあっても、受話器を掛けてしまう人がほとんどだとか。ドイツも一緒だった。それと、ドイツでは有料トイレのドアを開けたまま次の人に渡すと、料金がいらないから、ニッと笑って国際交流したこともある。しかしちょっとした親切のつもりが、いらぬ面倒なことを引き起こしたりする世の中だから、そういうことはだんだんになくなってくるのであろう。
もうひとつついでに、ここに何を書いてもらっても面倒なことは一切起こりません。心置きなくカキコしてね。今年も頑張ろう!
>また行ってしまった、同窓会
これは2日会のはなしだよね。うーん、^^、僕も行きたかったけどその日は恒例のゴルフ会でしてね。行けば会えたのに、残念でした!
>確かに懐かしい。このタイムトラベルには、説明が要らない・・・
実は年末に雄琴のY荘に家族連れで行ったのよね。K氏とU氏にも会ったし、たっぷりと温泉を堪能してきました。
このK氏とはさらに少し前に大津でミニ同窓会を開きました。これは2年生の時の同窓会です。変なことに2年生の時のクラスは信じられないくらい活発にアホなことをしたクラスでした。そのせいか求心力は強いですね。
夏のゴルフコンペの後、今年も多分雄琴のY荘で宴会する筈です。かおるさん、ぜひ今年は参加してください。(ヨーちゃん、ツーちゃん、コーちゃんなんかと遊んでないでね)^^
>明日から元の世界にすんなり戻れるか心配です
確かに。
最初に参加した時はカルチャーショックが強くて、しばらくボーっとしてました。でも、悪い気分ではなかったです。
それより、現実社会の厳しさの前ではそんな気分には浸ってられませんからね。
今日から仕事始めですが、あはは、少々暇なもんでてれてれと書いています。
今年も宜しくお願いいたします。 m(_"_)m
これはこれは、pureさん。
ようこそのお運びで御礼申し上げます。こちらこそ、今年もよろしくお願い申し上げます。
やっぱりこれでしたか。では、毎度ばかばかしいところをきょうもひとつ・・・・、放し飼いの1日は、どうというあても特に無かったが、李大と書いて「イデ」と読む学生の街に足を踏み入れた。明洞から地下鉄で4つほど、美容院が安くて多いと聞いたので、あわよくば、ソウルのトレンドのカットをとやってきた。ソウルは大きな坂が町の中をうねっている都市である。地下鉄から地上に出てきたところから、お嬢様大学「李大」までの下りの大通りに直角に細い通りが何本も走り、そこにはものすごい数の小さな小さな店がぎっしりと詰まっている。学生街といっても、本屋などは無い!安物のジーンズや、お嬢様好みのピンクやリボンの付いた洋服や、セーター。バッグ屋、靴屋がたくさ
ん。Body Shop とか可愛い小物の店だとか、もちろん喫茶店も。若い女の子が時間をつぶすのに事欠かない。ここのオーナーはみんな若い。入り口には、厚手の透明ビニールのカーテンがドア代わりである。この日はひどく寒くて、ヘアーアクセサリーに用は無いのに店入り、ちょっと石油ストーブで暖まらせてもらう。
人通りの多いところには、サービス券を持ったおばさんが、美容院の客引きに立っている。券を貰ったら引っ張り込まれる。値段の設定が明確でないことが多い。注意せよ!とこれもインターネットが言っていた。ここなら料金明示で安心。日本語もOK。カードもOK。という美容院をあらかじめプリントアウトしていたのだが、ガイド嬢は外から見て、綺麗な大きなところなら大丈夫と言っていた。どんなに変になってもまた髪の毛は伸びてくる。うまく行き当たれば、切ってもらうつもりだった。ところが種種雑多な店が入り乱れていて、まったくわからない。目の合ったおばさんに声をかけてもらいたいくらいだったが、日本人のおばさんは避けよとでも言われているのか、無視された。結局髪ボーボーのまま、年を越してしまった。
散々歩き回ってくたびれ、日本にあるようなクラッシックな洋風の綺麗な喫茶店 Tea Room TRINITEA (02-313-0218)で一息入れた。その土地ならではの店や味に舌鼓を打った若い頃とちがい、「こういう所がいいわね。」と思っている自分に、柔軟性を欠いてきた事を感じていた。
つづく
地下鉄の東大門運動場♂wから東大門市場♂wの間の地上にある、いくつかのビルがすべて、一坪ショップ≠ナ埋め尽くされているって想像できる? 数は何千店とか。全部は無理、超特急で見てもせいぜいビルひとつ。
広い工事中の交差点は昨日車で通ったから、見覚えがある。大きな『東大門』が見える。歩道には露天の洋服屋や、食べ物屋が、目指すビルまでズラーッと並んでいる。道を挟んで向かい側には、目の鋭いおじさんたちのいる卸売り市場もある。洋服の脇役に必要なブレードから、毛皮、皮、リボン等が無造作にぶら下げられている。カーテンや布団も売っている。
女性衣料、男性衣料、バッグ、おみやげ物、靴、民族衣装、インテリアグッズ、子供服と階ごとに別れている、このビルは、夕方だったが、すごい人。オーナーも、お客もみんな若い! 大阪のドブ池の問屋街のミニチュアが、ビルにギュウギュウ詰まっていると思ってもらえば近い。いつか世界の桧舞台にと、夢を相棒に、わずかばかりの商品を並べて、頑張っているデザイナーの卵もいるそうだ。最近日本人観光客も多いらしい。バカな観光客をだまくらかして、一儲けをたくらんでいる、若者もいそうだ。「何が欲しい?バッグ?ルイヴィトン?シャネル? これはおもちゃ、本当のコピーあるよ」とおみやげ物とバッグのこの階はすいているのでお声がかかる。「もう、その手には乗らない。」狭い通路は、人が行き違うだけでもう一杯。広いな〜、まだまだ向こうに続いている。おや、見慣れた人が歩いている、と思うとそれは私。壁は鏡である。
買うものは無いのだが、歩いているだけでワクワクする。数年前に、このあたりが開発されたから、市場も若い。きっと南大門市場の活気がここに移って来たのであろう。一番込み合っているのは、やはり女性の衣料品売り場。2,800円位でブラウス、スカート、パンツがある。多分日本のスーパーだったら、6,900円はする代物。10,000円以下でそこそこいい物がある。しかしここで、「安いねー」という一言を敵に聞かれてしまったら、こちらの負け。当たり前だが、敵は決して値引きしてくれない。何でも一応言ってみる「カッカチュセヨ」(安くしてよ!)これが韓国での礼儀というものである。・・・と思っているのだが、本当かどうかは知らない。もう堪能して、帰りかけたそのとき、アッ?!ビーズのバッグが・・・・ つづく
友人は、安くて素敵なビーズのバッグと5,000円くらいでメガネを手に入れて帰った人に触発されての今回の旅である。だから「メガネ」と「ビーズのバッグ」が旅のテーマ。もう吸い寄せられるようにそちらに向かっている。下りのエスカレータから真正面に見える、最高の立地のビーズのバッグ屋。
見るからにやり手そうな小太りの若い女性店主が、にこやかに食いついてくる。日本語を駆使して、この客逃してなるものか、餌食にしてやるとよだれを流さんばかりの対応。「あったーぁ、欲しい!」という心を、目と動きに満載した友人を見れば誰だって思うよね。ショーケースの向こうに一人入ればスペースがない所へ、友人はずかずかと入り込む。店主は仕方ないので入り口に出てくる。壁一杯に貼り付けたバッグの品定めが始まった。
私は欲しくない。暇だ。でもいくつか手にとって、「ダメ、高い、カッカチュセヨ」と遊んでいるうちに、気が付けば私もひとつ買っていた。友人は、「どっちにしよう、ねぇ。どっちがいい?」と悩んだ末、色違いを結局二つとも買った。「現金?」「ン」「ウォン?」「ン」ということで40%offぐらいは行ったわね。「仕事した〜、って感じね。ここちよい疲労ね。」と彼女は満足げだったが・・・・。
下の階を歩いていると、「エッ? 今買ったバッグの色違いがぶら下がっている。」「いくら?」円とウォンの違いはあるが、おんなじ答えがかえってきた。(・・)すんなりと。(レートは100円=1,064Wだから、5,000円と50,000W)。なら、これだけの労力、努力、時間となけなしの知力を費やして成し遂げた成果は一体!! もし、私のより安かったら、(実は安くなる可能性は秘めていたわけだが、)私の怒りの炎がいかばかりであったか想像できない。帰り際におまけにもらったちっこい髪留め(日本で300円くらい)だけがせめてもの鎮静剤である。 つづく
昔韓国はチェジュ島に男ばかりで観光に行った友人がいました。彼らは『ゴルフに行くんです!』と言うとりましたが、僕は信じていませんでした。(当時はきーせんパーティー華やかな頃でしたのでね) ま、それはいいとして、彼らの買ってきたものは凄かったですね。
四角いローレックス
リューズには触らないようにと注意されたそうです。(なんでやろ・・・^^)
ルイヴィトンのゴルフバッグ
勿論、ヴィトンはゴルフバッグは作っておりません。
<カッカチュセヨ>というのは『後でカッカ しないように注意せよ>という意味かな?
あっちは日本よりだいぶ寒いんでしょう?
四角いローレックス、ルイヴィトンのゴルフバッグそういう不思議なものがある、不思議な国が韓国。中身なんてどうでもいい、見栄えさえよければいい。あるいは、本質を判断する力の失せた日本人を標的に、なりふりかまわず、世間の非難にも、危険にも目もくれず、頑張っている。その態度、多少、怖くもあり、賞賛すべきでもある。見習うべきと思っている次第。私も、ありそうでありえない、そういうレアもの、ばかばかしくて大好き。でも大した収穫も無く、税関に引っかかりようも無い。暇なのに、「申告するもの、有りませんね」と疑いのまなざし、微塵も見せず、さっと通していただいた。
学生の目には、あんなにきらびやかなオーラを放っていた、ブランドの物達のヒカリを今はそう感じない。感度が鈍くなったのか、ブランドが量産されて力を失ったのか? 人を持ち物で判断することが、いかにくだらないことか、そして人にとって本当に大切なものが何なのか、人はそこそこ年をとらないとわからないんだろうね。
新幹線で東京出張のとき、いつも網棚に載っているルイ・ヴィトンのバッグが、今日はいくつかなと数えたという人がいたが、日本人女性の一体何%の人が持っているかなんて、ヴィトンの本店は統計持っているかな。知りたいな〜。
ソウルの朝は大変寒かったです。ご参考までにこの写真。いいお天気の午前10時、ホテルの前の車の上、前夜降った雨が、凍っている。 つづく
今年のお正月から、TVで日本語の歌が解禁されたそうだが、観光客が行くところなら、ほとんどのところで日本語が通じてしまう。以前は、列車に乗ったときなど、シャイだからとだけでは説明のつかない、険しい視線を感じたし、小学校の見学に行ったときも、女性教師とあやわ口論という危ない空気があった。言葉遣いには細心の注意を払い、たとえ冗談でも、人ごみの中では、決して、韓国を非難するようなことは、言ってはならない。中年以上の人は大抵我々の言うことを聞いている。問題が起きると困る。とかように、注意されていた。ところが、今回自由行動をしたどの局面でも、いつもあっけらかんとした都会の空気は、日本にいるのと変わりなかった。まあ誰も彼もが下心の無い笑顔だったわけではないが、お料理を二人で分けて食べようとしたら、見ていて、器を持ってきてくれたり、地下鉄では、ここで降りるよとジェスチャーで教えても貰った。親切だった。むしろ日本の都会より。
地下鉄の切符を買おうと、券売機の上の地図を見ながら、何番でいくらかを二人で考えていると、初老の紳士が、じゃまかな〜という感じの微笑みをたたえながら近寄ってきて、「何か、お助けすることは?」と話しかけてくれたのである。ちょうど理解できたところだったから、丁重に申し出をお断りした。ずーっと「何をしてんだ」と見てくれていたに違いない。
もちろん、私は反射的に身構えた。しかし全くその必要は無く、微笑んだまま「楽しい、ご旅行になりますように」と言って去っていったのである。韓国がより身近に感じられ、気持ちがほぐれた一瞬だった。今回の旅での収穫は、ルイ・ヴィトンでも海苔でもキムチでも、エステでもなく、この出来事だったことを最後のソウル報告とする。 お付き合いいただきありがとうございました。 おわり
久しぶりに京阪乗る人「おけいはん」になったら、あのソウルで感激した同じ矢印が(ソウル報告 6 地下鉄-2に記載)・・・・・あった。片方だけに矢印がついている、駅の壁についている、アレだ。な〜んだ、私が見ていなかっただけじゃない。京都へ来た韓国の人の中にもきっといる。日本にはわかりやすい表示が有ったと思う人が。やっぱりいないよね。そんな暇な人。今日京都へ行ったのは、脱サラして、小さなお店を始めた知り合いの開店祝いのためである。祇園、縄手通りの三条と四条の間、新橋通に曲がって3軒目。『どっと・ていらー』(075-525-0207)メタルやクリスタル(スワロフスキー社製)のラインストーンが色も形も大きさも様々に、懐かしい小さな町家の中に、キラキラ光って並んでいる。それらがついたTシャツやジーンズも売っているが、自分でラインストーンをつけて楽しんでもらいたいそうだ。私も少し買ってきた。困ったことにスワロフスキーは私の大好きなオーストリアの会社。クリスタルの小さな動物の置物やアクセサリーは知っていたが、材料をそのまま売っているのは見たことが無い。すごく楽しい。何度でも行きたくなりそう。つけ方も教えてもらえる。一緒に「おけいはん」になりましょう。
年末年始は空気が綺麗で、一年中で一番クリアーな景色が見られるとき。いいシーンに遭遇したのでかなり撮ったが、そのうちのえりすぐりの数枚、E-風景写真館のこちらに出ました。KAORUの名前です。見てね。入場無料です。あなたは撮りましたか?
雪ですね〜。今日は天気予報通り夕方から降ってきた。昨日は温泉の駐車場がいっぱいで、引き返したから、今日は何が何でもと思っていたのだが、ラッキー! 雪の露天風呂。電灯の当たっている場所には舞い散る雪が見える。昨日と違ってガラガラ。湯煙で向こうが見えないから、大口開けて、上向いてても誰かわからない。冷たい雪が、口に入っては溶ける。まだまだ居たかったが、わずかな理性が、帰れなくなると困るよと私を急き立てたので、いつもよりちょっとだけ早く引き上げた。あなたも試してみて、最高よ。雪の露天風呂。一度、お猿が御用達の山の中の雪の露天風呂なんかに、猿と一緒に入ってみたい。猿が嫌かもしれないが。
「いい他人(ひと)っているもんだ」と思える日があったことがうれしい。必ず、蹴落としてやる、教えてなんかやらない。お前なんかには負けない等という行為は、劣等感の裏返しでしかないことを百も承知の、百戦錬磨のおばさんでも、やっぱりこのようなものが連続で束になってくると、受けきれない日もある。さらりと流せない日もある。大多数の人は、程ほどにいい人で、程ほどに意地悪なもの。根っからの悪人なんてそういるものではなかろうが、私に接している面では、120%の悪人もたくさんいた。その分、恋人の前では130%くらい善人なんだろう。恋人は騙されて思うだろう、この人はそう悪い人ではないと。「この親切な言葉の裏に何か意味がある。騙されちゃならない」と決して壊されないようにいつでもどこでも、身構えて過ごしていると、「いい人」にあったときどんな態度をとればいいのか戸惑ってしまう。そして後ろを向いて涙ぐんでしまう。「良かった、いい人がこの世の中にいて」と今日は思う。いい人が持っているリズムが伝わって共鳴を始めるほど、私の中にもいい人が育って来たことがうれしい。
私はと言えば、メールばかりなのに、肉筆の手紙をもらうと、感動してしまう。ものすごくセンシティヴになっている友の気持ちが、行間から、サラサラと銀の砂がこぼれるように、あふれ出てくる。すごく頑張って、手紙書いてくれた気持ちが、ビンビン響いてくる。こんな私でも、役に立てたようなことが書いてある。その上「今頑張っている君も、すごく魅力的だけれど、数年後にはもっともっと輝けるのではないかと思う。」なんてぇ〜。ちょっと資料を送ってあげただけで、こんなに言ってもらえるのなら、もう、どんどん送っちゃうよ〜。私も勇気付けられるしね。手紙の威力、いまさらに!
お風呂上りに、隣でおしゃまな女の子が、ブラシとドライヤーで器用に髪を乾かしている。私だってあの頃からやればもうちょっと何とかなったのではと思い、見とれていた。・・・だけではすまないのが私。「何歳?」聞いてしまった。すると敵は、薬指は完全でなかったが、指を三本立てた。さ、3歳? 私なんか、濡れ髪も色っぽいと思っているわけでないが、そのまま帰るのに。化粧水をつけていると今度は、「それなに?」と聞くではないか。私は化粧水を薬局で使用する小さなポリの薬びんに入れて持ち歩く。後ろで下の子の髪をとかしている若いきれいなお母さんの手前、「化粧水」なんて無様な答えはできない。私はすまして言った「綺麗になるお薬」本当だっ!と思ったのか理解できなかったのか、リアクションは無かった。
阪神淡路大震災が起こって9年経った。追悼の行事を報じるTVのニュースで車椅子の女性が、「元気な人がいっぱい亡くならはって、私なんか小さいときから、身体が不自由で、世の中の役になんて何にも立ってへんのに、代わってあげたほうが、、、、」と涙ながらに語っている。役に立ってへん人はきっと、無いだろう。運命とはそういうものである。「忘れないでいなければ」と言う人もいる。アメリカの9.11も同様だろうが、もっともっと、忘れてはいけないのは、あの日ではないだろうか。昭和20年8月6日14万人、9日7万4千人の命が失われた日。決して戦争はしない事を決して忘れてはいけないのではないだろうか。
以前から滋賀県では美味しい魚が食べられないという定評がある。きっと住民の要求が低いからだろうが、回転寿司しかり。海の近くの土地で入った回転寿司の美味しさにたまげた事がある。おまけに、天ぷら、赤だしから、プリン、ゼリーなど、目もくらむほど色々回っていた。回転寿司はよく見かけるようになったが、回転飲茶って知ってる?久しぶりに、千里中央にある中華街に立ち寄ったら、なんとガラガラ。曲がりくねった長蛇の列で中が見えないくらいだったのは、1年位前のことだろうか。ヤッターとほくそえんだ。急いでいるが、中華が食べたい。一人で、ちょっとずつ、色々食べたい。そんな時、回転飲茶は最高に便利だ。
お姉さんの説明もそこそこに、流れているお皿を、3つほど取ってさっさと平らげた。パンフを見ながら食べていると、だんだんにわかってきた。お皿の色で値段が違う事。チャーハンとラーメンは注文してから作ってくれること。90種類のお料理が回っている事など。あせっていたからよくわからないが私の前をお通りになったお料理は、20種類も無かったような気がする。時代が変わって、人々のニーズが変わると、それを聞いてくれる商売を誰かが考え出す。大阪の人の舌に耐え得る美味しい中華に満足して、次の予定に向かって走り出した。今度はちゃんと天天常常回転坊のHPで予習していこうっと。
毎日騒がしい。大津市長選挙で、小、中、高校の後輩が、立候補している。昔、選挙はおじさん、おばさん達のもの、と思っていたのに、知らないうちに、我々の世代のものになっている。あまり知的でない、野生の雄叫びのような雰囲気がつきまとうので、知性を旗印に生きてきた人たち、特に高校の同窓生は、ノンポリなのかシャイなのか選挙にかかわりたくない人が多いようだ。でも、自分の見栄なんかより、税金がどう使われるかとか、福祉がどんな風にされるかとか、ちゃんとしてもらわなければ困ることは一杯ある。今回も、組織票というマンモスに飲み込まれそうという風評が飛び交っている。組織票って知的じゃない。情で決めてどうする? 我々の知性を結集して、同窓生を政治家にしたほうが、我々の意見に近いことが政治に反映できるのではないのだろうか。いっぺん、なってもらって、よ〜く見ればいいじゃないかと思う。私はどちらかというと浮動票≠フ仲間であるが、浮動票を吹き寄せる風を彼には吹かせてもらいたい。今又新しい人生、始めようと60過ぎのおっさんだって立候補しているのよ。目覚めよ50代、立ち止まれ浮動票=I
最近無秩序さが目立ってきたものの、大津は古い町なので、まだ京都のような町家が残っている。そんな町家を改装して居酒屋や、創作料理屋を営む若い人が増えてきた。若い客でいっぱいである。私はこのような町家に生まれ育ったので、そこへ行くと、家に帰ってきたような変な気持ちになると同時に、映画のセットにいるようなウソっぽさも感じる。マンション育ちの若い人に、これが古い大津の文化の一つと思ってもらうと困るなあと思う。古くなってしまったからだけではなく、一部の改装によって、全体の緊張感が消え去っている。昔のままに再現する技術も材料も資金もないからであろうが、やっぱり私は好きになれない。私の中にある伝統文化や因習やしがらみの負の部分が膨らむ。家庭料理でもなくプロの料理でもないような気がする。妙な苛立ちで落ち着けない。今の若い人には、行儀作法をはじめ、あらゆる日本の伝統文化の継承がなされていない。基準が無い所へ、TVから変な考えが入って、言動が滅茶苦茶であると。そんなことはあまり言わない人が珍しくつぶやいていた。
負の文化を毛嫌いして、自由ばかりを求めた人の子供達は、正の文化をも捨てさせられたのかもしれない。このような場に集って、皮肉なことに、旧民法が持っていたいえ≠フようなものを知らずに探しているのだろうか。
久しぶりに会った友が、「かおるさんに謝らなあかん。悪いことしたんや。」というが、私には思い当たることが無い。みんなが何だ、何だとはやし立てる。
お酒を飲みながら彼は話しだした。昔私が、テニスクラブの仲間である彼に結婚のお祝いをしたらしい。それも彼がドイツ語が出来るので、ドイツ語の手紙をつけるといういやらしい事をしたらしい。私にお礼の手紙ををドイツ語で書こうと思っているうちに、気がつくと20年経っていたという。お祝い品の四角いそのお皿が食卓に上がるたびに、お料理の下から私の顔が浮かんでくるのだそうだ。私はお化け?私にプロポーズしなかったとでも言うのかと大いに期待したのに。なーんだそんなことなの。世の中には礼を失する、失礼な人は大勢いるのに、こんなに律儀な人がいたなんて驚き!時≠ヘ我々にお構いなしに過ぎていく。お先に〜という挨拶もせず、なんて失礼なヤツなのだ。私はいつも、待って〜と叫んでいるのに。こんな風に私の思い出が誰かの中にひそかに沈んでいるなんて、驚き!ちなみに律儀な彼のHPはこちら。
さるデパートの抽選で、「開運おみくじ」でさる吉≠ェ当たった。これは、大吉、吉、中吉、小吉、末吉のどのあたりに入るのだろう、と悩む必要は無い。いつものように最下等である。景品は、お飲み物券。
【全体運】今年のあなたは出会いに恵まれています。ただ悪い人に出会う可能性もありますのでご注意!
なんて書いてあったが、今日は久しぶりの会合に出たら、本当に様々な人に会って、確かに出会いに恵まれたといえる。10年くらい会っていない人も大勢いた。同級生も4人いた。みんな若い!仕事をして、世間とかかわりを持っている人は若い! 夫や、子供や、妻の話は一切無い。今日はいい人ばっかりだったと思っているが、このおみくじを信じれば、悪い人にも会っているのだろうか。あなたは、新年会まだ続いていますか?
ホント寒いね〜。「今年は、本当に寒やなあ。いつも腰砕けの寒なのに。」という言葉を聞けばなおさら震え上がる。今朝、北向きの窓が鍵がかかっていないのに開かない。ふと下を見ると凍っている〜〜〜。そんな中、最後のお願いに≠と一日、熱く燃える人たちがいる。文字通り寒風吹きすさぶ中、旗持って歩く若者達も固まっている。後でさむ〜い思いしないように、「新しい目で大津市を見られる、内容のある若い人選ぼう。ともかく投票しようよ。誰選んでも一緒じゃないよ」と、お炬燵でいじけていそうな自分に言い聞かせるかおるさんである。
「明日を信じて生きていく」事は、もうこんな歳になって似合わないよね、と大方の人は(ひょっとして30代でさえ)思っているが、いくつになっても明日を信じて生き生きと生きている人はいる。数は少ないがいる。「ピンチがチャンスやで」こんなこと、さらりと言える同級生がいる。その言葉を生きてきたからこそ言葉に迫力がある。次に会ったときには「えっ? そんなことゆうた?」とはにかむ。その日の二次会のカラオケでは、♪明日がある、明日がある、明日があぁ〜るぅ〜さぁ〜♪ と誰かが歌いだすと、全員が立ち上がり、いっしょに歌い、一緒に踊りだした。誰も信じられないのにどうして明日が信じられるのか。などとは一切考えず、青春の日の自分を信じて、さあ、あなたもご一緒に、♪明日がある、明日がある、明日があぁ〜るぅ〜さぁ〜♪
明日があるからいいや、今日はさぼっちゃお って、それダメよ〜!
月桂樹の葉は、お料理に頻繁に使われる。ヨーロッパでは、ベイリーフの無い調理場は調理場ではない≠ニまで言われるほどである。この葉っぱ一枚で、私のダサい料理がたちまち地中海料理にランクアップすることもある。クスノキ科の常緑樹で、日本には明治時代に入ってきたそうだ。実家の庭に1本ある。植木屋さんが入ったときに、切り落とした枝ごと持って帰ってきて、葉っぱをちぎって使っている。生も使うが、乾燥した葉の方が、スーパーで買うものに比べても、断然香りが強い。この香りは精油成分で、それには、抗菌作用、抗酸化作用、糖尿病ウサギの血糖値の低下作用などが知られているという。そのほかに、葉には健胃作用、抗炎症作用があることが伝承されている。加えて、最近発見されたのは、アルコール吸収抑制作用である。アルコールによる胃粘膜損傷を強く抑制するそうである。そんなことわかっていたら、先に月桂樹の入ったお料理食べてから飲んだのになぁ。ああ、今日も飲み会。こんなに努力しているのに強くならない。また割り勘負け。
50代後半で、心筋梗塞をして、面倒なので薬を飲まずに、そのままにしていたら、今度は脳梗塞が起きてしまった。3ヶ月間車椅子生活。人の言うことはわかるのだが、自分の意思が言葉にならない。なのに1年後、ナントこの人は自分の会社を立ち上げた。今から5年前の話である。 HPはこちら。「こんなひどかったのによう治ったなぁ」とドクターに言わせしめた。どうして言葉を回復したか。彼は百人一首が好きだから、一日2回ずつ、大声で百人一首を読んだと言う。そういえば、言葉に少し滑らかさが無いが、こういうしゃべり方の人は大勢いる。普通に歩く。そして普通以上の柔軟な頭を持っている。我々と楽しく語り飲む。「薬飲んでるから納豆あかんのやて。身体に好いと毎日食べてたのになぁ。」等と言いながら。違和感を感じさせない。謙虚。今は欠かさず薬は飲んでいるそうだ。
気≠ナ治る、病は気から≠セと言い切る。リュックを背負ってトボトボと歩く後姿がなんとも言えず、味わいがある。それだけで、映画のワンシーンである。こんな人がいる。
石山の方面から、膳所あたりまで来ているので、そろそろ大津に来るだろうと、確からしい事を言う人がいる。この駅名を見れば、JRに乗って来るなと、予測してもいいような並び方。しかしそうではない。台風でもない。インフルエンザの北上である。鶏インフルエンザの話題がアジアのあちこちで出現しているが、先日TVで見たのでは、初代のウィールスの毒性は非常に弱いが、26代目くらいになると、感染した鶏は3日で死んでしまう程の、強い毒性を獲得するらしい。寒さも今日あたりがピークと天気予報は言っている。本当は寒いのに、日の出が随分と早くなり、増えた日の光が暖かそうな感じをかもし出す。でもまだまだインフルエンザは、住み着く相手を探して、どんどん強くなっている。油断したときが危ない。冬の南風は、ちょっと危ない!ご注意を!
「いじめた人は、いじめられた人に、自分の運を取られてしまう」という解釈があると、「私はそれを聞いたとき舞い上がっちゃったわね。」とキラキラ目を輝かせて教えてくれた人がいる。そういう事を私は知らない#゙女と今までそんな話はしたことが無かった。そうかもしれないと帰りの道々考えた。いじめをするような人は、大した徳は持たない。なのにそういうことをすれば、そりゃ、なけなしの運もなくすよね。他人同士なら、まだ許せても、いや決して許せないが、親が子をいじめるなんて事を私は知らない$笆]的で言葉が無い。江戸時代のような、過酷な時代ではないはず。何が彼らにそこまでのことをさせるのか私は知らない≠セから私は知りたい=B養老孟司って好きなんだ。養老大先生リンク集はこちら
長期にわたって薬を飲んでいると、そんなつもりは無くても依存していることはあるし、はっきりと、無くては生きていけないと感じている人もいる。特に心の病の人に処方される薬に頼ってしまう事は少しばかりはあろうと思っていた。昨日リタリンについてのTVを見た方もあるかもしれないが、病気を治すつもりで、飲んだ薬に犯されたという、妙な話である。実際に似たようなことはあるのだ。今日は、目の前で、ちがう向精神薬を、もっと欲しいと言っている人がいた。処方箋には、「頭がもやもやするとき」に飲めと書いてある頓服薬である。いつもは無反応の静かなおばあさんが、「これでは、次の診療日まで足らん。もっと欲しいのや」と再度ドクターに食い下がり、結局、あと一週間分をゲットした。明らかに習慣性が見える。
事故が起これば、患者は処方したドクターが悪いというが、あの目で、あの態度で迫られれば、つい処方量を増やしてしまうであろう。医者の権威でもってしても、止められない耽溺性を獲得させたのは誰か。薬会社は売らなければならない。説明書に薬の危険性はたぶん書かれているが、それは正しく飲んだ上での話。処方したドクターが患者の薬生活の追跡調査をすることは不可能である。誰だって気持ちよくなりたい。一粒のタブレットでそれが得られれば最高だ。でもそれは無理。PCのような鋭いレスポンスを人は知らず知らず、自分に要求して、深みにはまってしまうのだろうか。
ちなみに、習慣性が報告されている薬は、次のようなものである。
〔睡眠薬〕ハルシオン、ベンザリン、ネルボン、カスルミン、フェノバール、ブロバリン、レンドルミン、
〔安定剤〕デパス、ベゲタミンA,B、セルシン、ホリゾン、セレンジン、レキソタン、〔中枢神経興奮薬〕リタリン
すごい携帯を見た。カメラ、動画も撮れる。あんなに小さな身体でなんということだ。しかも電話番号の押しボタンは、全体が黒白の市松模様になっていて、お洒落。それに向かって、特別いい顔をして構えていたら、「ハイ、チーズ!」と可愛い声が聞こえた。「えっ?!(・・)」携帯をこちらに向けて写している人は、むくつけき中年男である。「全部やってくれるんや」と、ニタニタ笑っている。折角のお澄まし顔が滅茶苦茶。夏からずーっと欲しくて、ついに買ったそうだ。誰かが「わたしもそれほしかったの」と言っている声が聞こえる。私は、携帯を電話としてしか使わないので、新型に興味が無く、そのコマーシャルがTVで流れていたそうだが気がつかなかった。こんなに色々できる新しいものが、PCや、DVDやオーディオ、デジカメなどいっぱい出てきて、「みんなはどうしたはるんやろ」と家電店でお兄さんと話していたら、「みんな寝んの削ってやったはります。」と言っていた。そうよね。まず、使い方と機能をマスターするのに時間がかかり、すべて使いこなせるようになったとしても、それで遊ぶとなおのこと相当な時間が必要になるよね。あなたはどうですか?
「アンケートにお答えください。」というメールが来た。ちょっとのぞいてみると、次にあげる「生活環境」の中で、現在あなたが満足しているものを全てお知らせ下さい。その次の質問に、同じ選択肢で、満足させたいものをすべてお知らせください。(あてはまるものをすべて)とあった。
1. 住まい
2. 耐久財(家庭電気製品など)
3. 情報通信機器(携帯電話、インターネットなど)
4. 日常の生活用品
5. 食生活
6. フアッション
7. 財産を持つこと
8. 自由時間、休暇を楽しむこと
9. 時間的な余裕を持つこと
10.家庭生活、家族との親しさ
11.健康を維持したり、体力を増進すること
12.知人、友人と付き合うこと
13.知識を増やしたり、自分の能力を高めること
14.他人や社会の役に立つ行動をすること
15.仕事や家事、勉強の内容
16.その他
17.満足していることはひとつもない考えてみると、人間というものはいかに、あつかましく、欲張りなものかと思った。私は17をお知らせした。あなたは何に満足していますか?
04/1/01▲〜04/1/31