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『談話室』 総集編 7月分(04/07/01〜04/07/31▼) | |||
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はや〜い。一年の半分が済んでしまった。今日から後半が始まる。選挙はまだ半分行っていないが、今日は近くの繁華街に、「純さま」がお出ましになると、案内が来ていたが、仕事で行けなかった。見に行って、ああだ、こうだと書きたかったのに、残念! それぞれの党首が、一応顔見世に来るようだが、私はまだ誰も見ていない。お宅の近くには現れていますか? 今回はマニフェストという言葉を聞かないが、参議院議員選挙の場合、関係ないの? 特に決めた人がいなければ、医師に全部お任せするのではなく、患者さんにより近い薬剤師も矢面に立てるよう、この人をよろしくね。
もう、びっくりしたなぁ。^^
あの○いずみの方ね。
あいつのイラク派兵おかげで・・・、いややめておこう、言うだけ気分が悪くなるから。
ところで、8月13日例の二日会の集まりが雄山荘であります。時間は多分6時ころからです。
是非足をお運びください。m(_"_)m
pureさんの予定表に無かったから、大津に偽者があわれたかと、びっくりしてくださった?
それは何よりでした。^^非常任漢字様から、ご案内いただきました。その翌日、中学の同窓会よ。ご先祖様帰ってくるのに、毎日出かけたら顰蹙じゃないかしら。どっちでもいいけど、ヒンシュクってこんな感じだったんだ。漢字で見ると変な漢字。7月1日から、日本漢字能力検定協会で『変漢ミスコンテスト』ってのが始まったって。賞にはいれば、景品もあるという。教はこんな見事な変換よ。(*_*) 思っている人いたのね。ワープロの涙ぐましい努力、讃えたいと。もしうまい具合に、ミスが出たら応募してみたら? HPから応募できます。こちら
なお三省堂の国語辞典によれば、「顰蹙を買う」は世の中の人に嫌がられる。あの世の人に嫌がられるとは書いていない。出席届け出します。
昼間の、団地の公園の空に、今頃トンボが飛んでいる。しかも群れ飛んでいる。トンボの住める湖沼つまり、琵琶湖をめぐる水環境がよくなってきたのか? ただの異常気象の異常発生か?まだセミも鳴いていない。つい夏の終わりを思ってしまう。「秋津島大和の・・・、」というのは、古代トンボが多かったからかと思っていた。日本列島がトンボの形に似ているからと聞いたような気もしたが、そんな頃、日本列島の形を知っていた人がいたのか????分からなくなった。するとこんな記載を二つインターネットで発見。
1.トンボの古名。方言分布では「とんぼ」は関東地方の少数派で、他は圧倒的に「あきづ」が多い。「蜻蛉島」は、元来は孝安天皇が宮(秋津島宮)を設けた葛城の一地名であるが、後に大和の別称・枕詞となり、更に日本全体の別称となったもの。(古事記の説話19吉野の童女より)2.神武天皇が国見をした時「まさき国といへども、蜻蛉(あきづ)の臀(とな)めの如くあるかな」と言ったという故事による。「臀め」とは蜻蛉の雌雄が尾をくわえ合い、交尾をしながら輪になって飛ぶことである。その形で周囲を山々が連なる大和の国を喩えたわけである。これからもわかるように古代では蜻蛉に呪性を認めていたようで・・・・(日国フォーラムより)
そうだったのか。夏の暑い日に、、琵琶湖の水面ぎりぎりに、鬼ヤンマが、このようにして飛んでいるのを幼い頃よく見かけた。水をかけられても離れない、何をも恐れぬ強い愛の姿は、犬の場合も感動的だった。進化の途中、ヒトはどこでこのような愛を置き忘れてきたのだろう。土曜日、「冬ソナ」をまた見てしまう。
日曜日にはなるべく外出しないようにしているが、たまたま近くのデーパートに立ち寄った。いつもは閑散としているのに、大きな袋を抱えた女性達が大勢ウロウロしている。いつもは恥ずかしくて入れない売り場も私を誘う。一応触ってみる、大きさを見ると全く不可能では無いと見たが、目測は往々にして自分に甘い。最近運動不足気味なので、一思案したほうが、ショックが小さい。今ここで、ゆっくり入る洋服を買ってしまったら、身体が油断してしまう。安いだけに踊らされてはいけない。しかし驚くほどの安さ!すでに半額近い物が多い。みんなゲームのようにバーゲンを楽しんでいるのだろう。どうしても買わなければならないものなんて、誰でも無いよ、きっと。ごちゃごちゃ考えながら、結局何も買わずに出てきた。天晴れ!と自分をほめてあげたい。
雨の予報は外れたが、早朝からずーっと暑かった。あなたのところはどうでしたか?
夜8時ごろ、バリバリと何やら崩れるような大きな音がして、雷かと思ったら、そのあとBAーN 。花火だ。あわてて窓際に行くと、やっぱり。8月8日までまだまだ間があるのに、打ち上げ練習のようだ。びわ湖花火大会と同じ場所に見えた。5分ほどで終ったが、これが、今年の新顔! あと一つピンクのハートも上がっていた。
(なお、この画像は、デジカメ撮影ではなく、私が作ったイメージです。)今年の観覧席その他については、[Oh! Oh! 大津]にアップしました。こちら
私の今日の作品はこれ、昨日のを動かしてみました。
これに音が入るとさらにリアルだが、臨場感はどうしようもない。きっとこれとそっくりなのが、打ちあがるから。見に行ってね。
有料観覧席のほかに、無料の湖岸で、浴衣着て、座ってお弁当やビールで盛り上がっている人もいるわよ。
暑いね!七夕様の日に曇った夜空を仰いで、今年もダメだと思うことの方が多いが、昼間はよく晴れていた。今夜はきっとお星様が見えるに違いない。今朝歩けなかったので夜のウォーキングに出かけた。琵琶湖岸のさわやかな風を期待していたがムーッとしている。星は出ているが、人も出ている。でも空を見上げている人はいない。スターウォッチングに取って置きの場所がある。朝は誰もいないが、夜はカップルがいて、迷惑そうな視線を送られるかもしれない。でも私はおばさん、めげずに上がって行った。ヤッター!誰もいない。ここなら、ライトに邪魔されないでよく見える。ただ天の川が、どの方向にあるのかが分からない。昔、大学生のときに小笠原でキャンプして、見上げた夜空には、はっきりと、区別されて、おおらかに横たわっていた。漆黒の空全体に散りばめられていた無数の星は、時々流れ星となって落ちてた。天の川には星がさらにぎっしり詰まっていて、探さなくても誰にでもすぐ分かった。しかし、大津では、探しても分からない。
ともかく今宵の星の画像をとカメラに集中していると、雲間に点滅している光が!UFOか?! いやちがう。飛行機だ。すると今度は反対側からも点滅した光が、近づいてくる。そして、星屑の中を大きな二つの光は、すれ違い、あっという間にそれぞれの方向に去っていった。人もこのように出会い、逢瀬を楽しむ暇も無く、それぞれの日常に去っていく。夜空の星は、何事も無かったかのように、同じように瞬いている。時々は、見上げてご覧 夜空の星を。すがすがしい気持ちになれるかもよ。星の画像はダメでした。その代わり、あなただけに内緒で教えてあげる、取って置きの場所とは、びわ湖ホールの展望台です。
「誰にでもミスはあるさ」と開き直れないのが薬剤師の仕事である。こんな話を聞いた。処方箋に●●●とあったが、●●●Sという薬を投薬した調剤薬局があった。Sの方が、含まれているビタミンが一つ多い。私から見れば、「得したじゃない」と言いたいところだが、問題がどんどん大きくなった。もちろん、気が付いた時点で、薬は交換されたのだが、患者さんはすでに1錠服薬していた。患者さんの体調に変化は無かった。自身は納得されたが、息子が怒り出し、病院全体を巻き込み、「訴える」等ということになった。薬剤師の多くが、「訴えられる」ことにビリビリしている。結果的に横着な患者を育てている。そして常にいくつもの手を打っている。しかし、これにより血の通わない医療になる恐れも否めない。逆に、温かな心のこもる、仕事をしていれば、それに甘えることはいけないが、患者さんはこの程度のミスなら、許してくれるものである。そのための勉強は、止められない。知識が増えても、それが処方に生かされることは稀である。疲れ切ってしまう。
この薬局の、常の対応によって、問題が顕在化したことは、容易に想像できる。薬がどのように身体の中で働くのかを薬剤師は勉強してきた。医師はそれが、実際にはどうなのかを知っている。一番悲しいのは、この問題の収束が、主治医によって可能になったことにある。「薬のことは薬剤師さんに聞いたほうが良い」と言ってくれる患者さんがいるのだから、その数が増えるように、薬の知識だけを振りかざすのではなく、患者さんをバカにするのではなく、言いなりになるのでもなく、訴えに耳を傾ける余裕をもってほしいと、思うことが多い毎日である。
アナウンスでわずかに「明石」と聞こえるような気がする。列車はどうやらトンネルを走行中。それでも重い瞼をこじ開けて見ると、今度は私は船に乗っていて、丁度小さな港に着いたところだ。「えっ?! 列車ごと船になったの?」寝過ごしてしまった。慌てて桟橋に下りる。私は大阪に行くはずだったのに。岸に向かうと改札口があり、融通の利かなさそうな女性が何か言っている。こういう夢を見た後の目覚めは・・・、頭がズーンとしている。人生の列車はよく乗り過ごす私だが、実際の列車で乗り過ごしたことは一度も無い。不快眠。ウツウツとして次の夢を見る。考えもしない昔のボーイフレンドとお墓のようなところを歩いていたりする。又も不快眠。寝不足が貯まって、久々に夢の3本立て見ながら余裕の午睡。暑くて寝苦しい夜、真夏の前のあなたの夢は?
私の夢は、いらぬ夢を見ないで、すっきりした朝を迎えられる熟睡が得られること。
昨夜の暑さったら無かった。そして朝は、すごい雨だった。でもさっとやんで、後からさわやかな風が窓から吹き込んできて、しばし暑さを忘れられたのに、熱い熱い最後のお願いがやって来た。私の周りでは“NO,KOIZUMI”の声がよく聞かれる。自衛隊がイラクになんて行っていいはずが無いではないか。しかし、目の前の権益のために、たいていの人は、党の名前を見ない振りして、入れてしまう。すると、“YES,KOIZUMI”になってしまう。組織票ってヤツもかなり怖いモンスターで、個人の思惑が政治に反映される事は少ない。少ないけれど、それが集まれば大きくなるのだから、ともかく行って意思表示しようと思う。弾丸の雨なんか日本に降ってきたら困るじゃない。たとえ今日のようにすぐに上がったとしても。
又今宵も、パンパンと派手な音が聞こえる。この前、今年の新顔としてご紹介したあのニコニコ顔の花火、前からあったんだって。失礼しました。何しろ大津は、花火銀座。夏になると、毎週 ポ〜ン、PA〜N! バリバリバリ等と、大きくまた小さく、音がして、どこかで花火が上がっている。大して珍しくも無く、余り興味も無いので、鑑賞の仕方はかなりいい加減。種種の既知の花火が上がった中で、たった一個上がったあのマークが、多少ひしゃげていても正しく微笑んでいた事にいたく感動したのだが、逆立ちしたコニコニ顔もあったんだって。ちょっと安心して、ちょっと恥ずかしい。私が、すごい!と思っていることも、あなたにとっては「な〜んだ。」ということも、まま、あるでしょうけど、まあ聞き流して頂戴ね。反論してくだされば、私の反省の材料とすることも出来ますが・・・・。
孫を殺そうとしたり、やさしい普通の教師が女の子誘ったり、もう、大人だって油断できない!
目の前で、1万円ちらつかせて、私をカラオケに誘ったら、行ってあげるわよ。昔は私だって・・・・・、大学の門でてすぐのところで、トラックの運ちゃんが、わざわざ止まって「乗らない?」って誘ってくれたことがある。いっぺん乗ってみたかったが、座席が余りに高くて乗れなかったので、今があるのかもしれない。30代のとき、母の身体の調子が悪くなって仕事場から帰らねばならなくなった。またバスがなかなか来ないところで、ちょうど知らない男の人が止まってくれたので、渡りに船と乗っけてもらった。(ヒッチハイクの合図なんてしてないわよっ!)「神様ありがとうございます。」と心の中でつぶやいていたら、何事も無く、家の近くまで、送り届けてくれた。昔はいい人ばっかりだったのね。
ランは好きな花の一つだが、中でもあまり高価でないデンファレというのを時々買ってくる。原産地はティモール地方だそうで、デンドロビウム・ファレノプシスの略だったが、今は正式名称となっているらしい。以前街で、タイ航空の宣伝に配っていたのを一輪貰った。タイから直輸入の濃い紫っぽいピンクで、まんまと敵の思いは達成され、まだチャンスは訪れていないが、隙あらば行くぞ、と思っている。白いデンファレも清楚で好きだが、どれも先のつぼみは、咲かずに枯れてしまう。このところ熱い日が続いたので、無理やり手伝ってあげなくても、つぼみが次々開いてきた。一生の間に、持てる才能を全て花開かせる人なんていないだろうが、環境が整えば咲くこともあるのだと、わが身をもう一度振り返った。
誰が決めたのか知らないが、誕生日の花とか、花言葉とか、すぐにインターネットで見つかるが、これが困ったもので、幾種類もある。たとえば、11/27 12/17、1/17 見ただけでもこれだけの日、花言葉は、わがままな美人、魅惑、お似合いの二人、有能。こんな事知らずに好きだったけれど、無いものねだりだったかしら。もっと調べればもっと出てくるかも、でももう、どうでもいいやって気になってきた。
午後に激しい夕立があった。きっと涼しくなるだろうという、私の期待は大きく裏切られ、相変わらずのムーッとした空気。でも新潟のあの泥の海に比べれば、文句は言えない。仕事も無い、何もかもダメと笑いながら答えている被災者。本当に悲しいとき人は笑ってしまう。涙が流せる余裕が出るのは、まだまだ先のことだろう。
昨日あたりから、団地の公園で激しくセミが鳴きはじめた。夏本番!
もう、夏休みの計画は立ちましたか? 病院はお盆休みなし。従って、調剤薬局も休みなし、のところが多いのよ。トホホ。
「おねえちゃんこれやって」私の真後ろで声がする。オッ私のことだな。と振り向くと、鋭く方向を変え私の隣にいた、年若い女性にFAXを頼んでいる。ただ自分がやりたくないために、うまいこというね。前はおばさんでも、ひょっとして後姿はおねえちゃんだったのかもしれないと、この気分、当たっているはずの無い宝くじの番号を調べている時の気分。
いつもと同じムンムンする、ビルの間の細い通りが、祇園囃子に彩られて、いつもとは全く違う表情を見せる宵山で、今年のテーマは「鯉山」と決めていた。去年京都のボランティアガイドのおじさんに教えてもらった、鯉山のタペストリーを見ようと思っていたからである。大体あの辺りと辺りをつけていったら、うまい具合に近いところに出た。年に一度、宵山の日に町で貰うマップを見るだけだが、なんとなく頭に入っているらしい。よくある細い路地をさらに入り口と出口に分けて、二列に並んで待つ。鉾町のそろいの浴衣姿のおじさんが、パンフを渡して説明してくれる。そこには一枚のタペストリーの写真が載せてあり、それを大胆に切り分けてこのように山の周りに飾っている、と図示してある。
では、大津祭の龍門滝山(鯉山)のタペストリーと兄弟という話はいったい?
答えは、こうである。ローマ法王パウロ5世から支倉常長が貰った5枚のうち3枚は、伊達政宗から会津藩にわたり、会津天寧寺から京都天寧寺に行き、そこから商人によって、売り渡された。一枚は鯉山(重文)へ、あとの一枚は1/3ずつ、白楽天山、大津祭月宮殿山(重文)、大津祭龍門滝山(重文)、最後の一枚は、鶏鉾(重文)、霰天神山、長浜鳳凰山(重文)に使われたそうである。なお後の二枚は、徳川家光に渡り、増上寺で焼失、加賀前田家(重文)に行ったそうである。こんな事を一つ一つ知って見ると、若いときにはただの雑踏とお囃子だけだったお祭に深い味わいがあることがわかる。でも、でも、暑くて、暑くて、毎年見ることが出来るのは本当に少しである。
バーゲンセールの値札は、祇園祭が終って、今度こそとばかりに、また下がった。ほしいこと≠ヘあっても、ほしい物≠ヘ何も無い。ものでごまかそうとしても、ごまかしきれないと残骸が叫んでいる。やっと先週、冬物を片付けて、夏物の山が出てきたから、今は、ちょっと賢い私。いつまで?ちょっと賢い私。
♪・・・・・一つ一つ乗り越えてきた、君に、おめでとう・・・・・・♪ 高石友也の歌う歌のなかにこんなフレーズが出てきた。昔、フォークソングが隆盛の折にも、私はあまりなじむタイプでなかったので、周りに一緒に口ずさんでいる人もいるのに、全て新しい歌を聞いているようだ。最近NHK『4時です上方倶楽部』の『西国巡礼倶楽部』で、高石友也が観音霊場をめぐって、歌を作って歌っているのを聞いた。それも一つ、二つ披露された。思いつきで寄せ集められたような出演者の顔ぶれの今今の香りと、いわばフォークソング古典派の音楽が、微妙に混ざり合ってまた面白かった。この歌の時、隣で「かおるさんのことみたいね。」と友人がつぶやいた。私は全ての歌をひとごととして、距離を置き淡々と聞いていた事に気が付いた。初めて行った『宵々山コンサート』での事である。
念のために言って置くが、コンサートが素晴らしかったからといって、あらためてフォークのファンになってはいない。
今日は土用の入り。さすがに、夏の見本みたいな暑い晴れた一日。でも昨日がどうだったって覚えている?京都は昼から何度も夕立が来た。初めての野外コンサートだったから、その聴き方の作法が分からない。雨なんて降るはずがないと、例によって傘など持っていない。しかし、雨は降ったのだ。
皆、降り始めると同時に、ごそごそと、ビニールのフード付きレインコートを着る。耳と心はステージに釘付けのまま、見事にその状況を克服する。傘はよほどの雨で無いかぎりささない。止んでくるといつの間にか、またもとの体勢に戻っている。さすが、京都、全てがしとやかに変化していく。お腹のすいた人は、それぞれ、おにぎりや、サンドイッチやお茶やビールを静かに召し上がる。この日の雨は、出演者の一人ピーコのせいだと、主催者側が説明する。ステージで彼が「いつもそうなのよ。リハーサルのときも降ってきた。私は雨おかま」と語りだすと、エッ?本当にポツポツ降ってきた。まあ耐えられたが、最後の『愛の賛歌』が始まったら、ばらばらと音を立てて、大粒の雨のつぶてが、大量に落ちてきたのである。しとどに濡れたが、帰る頃にはすっかりやんで、しっとりぬれた、暗い小路をゆっくり歩けた。世の中に不思議なことは、あるものである。
連休のせいか、猛暑のせいか、夏休みになって気が緩んだ子どもと、風邪引きの大人の患者さんが多い。毎日、どこかで最高気温の記録が更新されているようだが、私も、フラフラ。ちょっと遊びすぎじゃないかって? そんなことないよと言い切れないところがもあるが、『わくわく!木の遊園地』 がもう、そこまでやって来ているからでもある。6月15日からカウント開始して、もう745をカウントしている。たくさんの人が見てくれている。フリーでHP制作をしているプロの友人の力作だけれど、なかなかいいでしょ。クーラーの室内温度と、外気温の差が、中高年には応える。気をつけてね。ちょっと、よそ向いているあなたのことよ。
明日は大暑で、土用の丑、鰻の日。
町の川魚屋の店先に、何層にも積み上げられた鰻から、香ばしい醤油の香りが漂い、道行く人を振り向かせずには置かない。あんなもの一人で一匹食べられるものかと、悔しいが通り過ぎた。
「今年は暑いですね」、「ん、暑うてしんどい。」と患者さんは皆ぐったりとしている。おばあさんに「あまり無理しないで」と言うと、「お互い、気ぃつけましょうね。」(・・)? そんなこと私が言われてどうする。私もしんどそうだったのかしら。
近くにある国道1号線の下をくぐる道は、車道と、傍らに、一段上がって歩道が設けられている。歩道幅は太目の人一人分しかない。じゃあかおるさんが一人通れば、おわりだって? もう! でも、たぶんそうだろうと思って、今までトンネルの入り口で、向かってくる人が通り過ぎるのを待っていた。軽く会釈をして通る人もいれば、知らん顔の人もいる。なんでこんな細い道作るんだと大抵心の中で怒っていた。今日は、人が来るのが見えたが、時間が無くて、そのまま突っ切った。トンネルの途中で、お互いが身体を横にしてすれ違いざま、「すみません」と言い合った。言葉で聞こえるのは、目ですみませんと言われるより、心地よい。
この道を通るとき、人は「心」を思い出せる。見知らぬ人同士に礼儀作法が発生する。この道は良い。今度は、人が来るのを見計らって、向かっていこうと思う。
『わくわく!木の遊園地』の記事が毎日新聞や朝日新聞に載ったり、インターネットでは、大津観光協会、滋賀県の観光イベントページはじめあちこちのHPにも紹介されているが、ついに「JRおでかけネット」に掲載された。向こうから申し込んできたと思う? んなわけない。私が、こんなのがありますよと紹介したのです。すると、「載っけてあげてもいいよ。画像送って」と言って来た。
「おでかけネット」→「どこいこステーション」→「滋賀県」とクリックしていくと、その二枚目下の方。こちらです。
→画像をクリックすると→さらに詳しい情報ページに飛び、そこの「イベントHPへ」をクリックすると、『わくわく!木の遊園地』が登場します。そんな回り道したくない方は、こちらをクリックすると、すぐ。いよいよ明日から、始まる。今日は丹念に梱包されたすごい量の遊具を一つ一つ開けて、組み立てていった。子ども専用のイベントだけれど、大人が触れていると子どもの心を取り戻す。今日のお手伝いに来た大人たちは、「すごい!これポスターやHPでもわからんな。来てみな分からんな」とため息をつきながら、楽しんでいた。まあ、失礼ね。とHP制作にかかわった私はすこし、ムキになってはいたが。残念ながらそうなのだ。滋賀県で初めて。北海道から、おもちゃ作家の伊藤英二氏が来られている。24.25日は彼の指導によるワークショップもある。一度のぞいてみて!損は無い。
あなたにはどうでもいいことかもしれないが、今日は初日。HPを見て来たと、偶然私に声をかけてくださった。レポートがこちらに載っています。
阿鼻叫喚の中の一日、気になったこと、最近の子どもは、
- 遊び方を工夫しない。でも教えてあげるとちゃんと分かる。すなわち、親の怠慢。あるいは親の疲れ。
- すぐに飽きる。1分間もつかな、というほどすぐ次に興味が移る。じっくり取り組んでいるという様子が感じられない。あまりにもたくさんのおもちゃがあって、目移りしているのかも知れないが・・・。
- 総じておとなしい。あちこちで取り合いのけんかがあるかと思ったが、全くそんなことは無い。
- 大人が子どもを遊んであげているのかな、と思うと、ちがう。一緒に遊んでいる。親がガキだと知るべきか、好ましいことと取るべきか。
そして、ボランティアの皆さん。やさしく子どもに接することが出来る本当にいい人ばかり。こんな人たちが世の中に、こんなに存在したことが、一服の清涼剤。
「終るまでにもう一度来ます。」多くの親がそう思って帰ったそうだ。ホントに来てくれるの? ちなみに、本日の『わくわく!木の遊園地』HPへのアクセス数92記録更新中。トータルのアクセスも1000を超えました。皆さんありがとう。
人とぶつかったとき、人の行く手を邪魔してしまったとき、すぐに反射的に「あっ、すみません。」と今までの日本人は、言って来た。そういうマナーは消失したかと思っていたが、『わくわく!木の遊園地』では、そのような素直な気持ちが、若いお父さん、お母さんに戻っているのを感じる。木のぬくもり≠ニか、木の暖かさ≠ニかを押し付けがましく語るつもりは全く無いが、木の砂場≠ノ子どもと一緒に座り、素足に木を感じ、直径5p前後の木の球をもてあそんだりする、こんなことが案外人を素直にするのかもしれない。ここに座っていると、癒されるなぁ〜≠ニいう言葉が聞こえてきた。
皇族の人がローブデコルテを身に着けられたときに、ひじまでの長い手袋をされているのをTVで見たことがある。質感はちょっと違うが、早い話、軍手のようだが、半袖の下まで完全に皮膚を覆って、同じようにはめている人を何人も見た。黒色のをはめている人もいた。なんで?
UVから身を守っていると見たが、暑いじゃない。長袖ではどうしていけないの?
暑いのになんだか変。見ているだけでも暑くなる。ひょっとしてダイエット?どこかのTVでやったのかなぁ。誰か知っている人教えて!
毎日、毎日http://www.kinoyuenchi.comのことで恐縮だが、今日はNHK大津放送局で生放送にスタッフが出演した。大津放送局は家の近くなので、仕事の間に、飛び込んで、一枚シャッターを押してきた。こちらにアップしています。
25日に女性のカメラマンが取材に来が、実はその人が司会者だった。何処も人件費節減で、何でもやらされるのかな。
25日の分はニュースとして今日27日お昼前に放送されたそうで、それは見逃した。
今日は友人夫婦が来てくれたが、「大人も楽しめる」と宣伝すればいいのにという感想だった。ホントそうなのよ。私だけが言っていると、営業トークみたいに思われるけれど、来た人はそう言う。来ない人は、どう言うと思う?大人が楽しめるはずがないと言うわね。そう思っているから来ないんだから。でも来てから批判してほしいと、思うのだけれど・・・。
少しのつもりで横になったって目が覚めたら日が変わっていた。真夜中なのに、宵っ張りのセミが、一匹鳴いている。大津も都会になって、暗くならないからじゃないかって? 真っ暗よ。
セミだっておかしくなるらし土用の夜
皆様 厳しい暑さの真っ只中、どうぞご自愛くださいませね。
「げきを飛ばす」「姑息(こそく)」「ぶぜん」について、70%前後の人が本来の意味とは異なる意味で理解していることが29日、文化庁の日本語に関する世論調査で分かった。私も間違っていた。言葉は時代と共に変わるなんて言ってごまかしたって、間違いは間違い。
あなたは知っていましたか?次のどっちが正解だと思いますか?A「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」B「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること」、A「一時しのぎ」B「ひきょうな」、A「腹を立てている様子」B「失望してぼんやりとしている様子」
昨日NHK大津放送局からのニュースで、『わくわく!木の遊園地』が紹介されるはずだったのに、集団食中毒にその時間を奪われて、今日になった。明日になったら、台風がまた邪魔しに出てくるかもしれない。油断できない。今日しかない。テレビにかじりついていたら、出てきた出てきた。
「メッチャ楽しい!」とインタビューに答えた子どもの目は、普通の大人の腐った魚のような目ではない。
大人になると、「メッチャ楽しい」事はそうは無い。でもメッチャ楽しい子ども達を見ていると、大人たちがメッチャうれしくなり、メッチャいい大人たちになるような気がする。すると、その周りにいる人間は大人も子どももみんなメッチャ良くなると思うのは、甘いかなぁ。子どもは勉強ばっかりしないで、もっともっと色々な遊びを遊んでほしいと思う。遊びを学んでほしいと思う。もう一言、勇気を持って言えば、学びを遊んでほしいと思う、今日この頃。
04/7/01▲〜04/7/31