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『談話室』 総集編 2月分(05/2/01〜05/2/28▼) | |||
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今朝、うっすらと雪が積もっておりました。最近滅多に見ることがありませんので、綺麗だなど暢気なことをいっておりました。
確かにガレージから外へ出ますと道は所々凍結しているように見えます。それなりに気をつけて運転していましたが、途中で大渋滞に巻き込まれ普段なら20分くらいの行程に1時間以上かかってしまいました。
この渋滞は新大阪での数台の事故と天満橋での(何と!)50台の事故の影響によるものでした。
雪は綺麗ですが、凍結は危険です。道路を歩く時も気をつけましょう。
pureさん、「寒いですね」と私も書くつもりでした。耳が痛いほど寒いのだけれど、天気予報で言っていたようには、雪が降って居ないので、ちょっと拍子抜けなんて、不謹慎でしょうか。
今朝の琵琶湖岸から望む、頂上に雪が輝く比良連峰です。山並みの切れたところには琵琶湖大橋がかすかに見えています。この湖岸は、におの浜と呼ばれ、この「にお」がたくさん生息しているのはご存知ですよね。鳥たちが、橋の両側の欄干にいつもずらりと並んで私を出迎えてくれます。通ると、一斉に飛び立ち、今日こそその瞬間をと、カメラを手に歩いてました。MDのイヤホンが飛ばされるほどの、強い風が、昨日も今日も吹いていました。渋滞も、ケガも事故も誰も無く、誰も歩いていない、静かで平和な朝の一こまを、お楽しみください。
>この湖岸は、におの浜と呼ばれ、この「にお」がたくさん生息しているのはご存知ですよね。
琵琶湖には「かいつぶり」をはじめとして水鳥は多いですよね。まめに「鳥見」をしていた頃には双眼鏡を首に下げて楽しんだものでした。
>渋滞も、ケガも事故も誰も無く、誰も歩いていない、静かで平和な朝の一こまを、お楽しみください
えーっと、若干の訂正があります。玉突き事故は「天満橋」ではありませんでした。すみません、誤報です。いずれにしましても新御堂筋が大渋滞を起こしたため定時に間に合わなかったのは事実です。こんなことは開業以来初めてのことでした。
明朝も冷え込みそうです。お気をつけて。
イヤー、今日は期待通りのスゴイ雪だった。出かけるときには雪がやんでいたので、大胆にも傘をささずに、フードのついたダウンのコートで出た。左は、降りしきる雪の中で、昨日と同じ場所で、撮った画像。鳥たちが、寒そうに、身体を丸めて、膨らんで、冷たい湖に浮いて、私を見ている。かどうかは分からないが、こんな時間にこんな場所を歩く人はいない。変わったやつだと見ているのかも知れないが、れっきとした私の出勤コースなのである。特にこんな日は車は渋滞、電車はギュウギュウ詰め、歩きが最高。
手前の岩の上にいる二羽のうちの一羽が右の画像。この頃多いこの白い鳥はなんという名だろう。鴨も居るし、カイツブリもいるし、もっと大きいのも色々居る。あまり鳥の名前には詳しくない私のような人のために行っておきます。カイツブリが鳰(にお)です。
スーパーのお寿司売り場には、主婦が群がっていた。こんなに巻寿司の人気が沸騰する日は、一年中でもそう無い。今日は節分、恵方に向かって、巻寿司を丸かじりすると、幸せが来るとか来ないとか。死んだ祖母が「あんなこと昔は、しなかった」と言っていたから、大津地方の風習ではなさそうだ。どこかの山村のごく身内の習慣だったかもしれなくても、商魂たくましい海苔の業界の商人の手にかかれば、こんなにメジャーになってしまう。バレンタインデーだってしかり。私が幼い頃に、節分には「お化け」と言って、今の高校生のようにケバイお化粧をして、お参りに行く習慣がまだほんの少し残っていた。日本髪を結っていたかも知れない。今朝、ニュースで、祇園の花町の風習としてのみ存続していると言っているのが聞こえてきた。
明日は立春。暦の上では新しい歳が始まる。今年は、私の中で、どんな伝説が生まれるだろう。伝統は守るだけでなく新しく作るのも良いんじゃないかと思う。丁度、巻寿司を貰ったので、私も新しい伝統に共謀して、西南西に向いて、一口かじった。きっと幸せが来ると信じて。
「昨日の巻寿司効果がもう出た。お化けが出たのじゃないわよ。幸せが来たのだ。インターネットのジョーシン電気のHPから応募したプレゼントが当たったとメールが来た。私の巻寿司伝説が始まった。昨日食べなかった人残念でしたね。そんな品の無いこと出来ない、なんて言わないで、あなたも、丸かじり決行してね。来年の節分まで、あー、まだ一年。待ち遠しいわね。食べた人は、期待してね。まだまだ時間はあります。
商品は何かって?電子辞書です。あまりの誤字脱字の多さに、神様が見るに見かねてのプレゼントかも。
あまり土、日は外に出ないのだが、外出中に、ケイタイで夕食に行こうという相談が突然まとまって、回転寿司の駐車場で待ち合わせした。スゴイ人で20分待ちだというのに恐れをなして、次の回転寿司を攻めるとまた人の列。諦めて、36階の琵琶湖の夜景が見下ろせる和食になった。そういえば最近、こういう食事をしていない。可愛くて食べるのがもったいないような、綺麗で小さなお料理をつまみながら、そういう友の居る幸せをかみ締める。つまり、ご馳走してくれる友の居る幸せをかみ締める。「一人でこんなところ来て、一人で食べてもなぁ。」パートナーは、食事を楽しく食べるためだけに存在するのでは無いが、独り者の本音である。「健康のために、楽しく語らいながら、30分以上かけて食事することが、一日一度以上あるといいんですって。」いつもは10分もあれば、事足りるといいつつ時計を見れば、すでに2時間が経過していた。相変わらず、浜大津では、真っ暗な中、噴水が七色の電光に飾られ、小さく見えていた。今、「春待ち灯り」というイベントが、行われているのだがまだ、行ってい無い。
昼食を外で摂るつもりで、職場を出た。昼時で混んだレストランに入ると、おー、友人が居る。彼も食事で、職場の女性と一緒だったが、あつかましく割り込む。今日もおしゃべりをして楽しく食事が出来た。節分の巻寿司丸かじりによる運が、電子辞書ゲットで終ったら一年間何の楽しみも無い、と、実は、ひそかに案じていたが、良かったぁと胸をなでおろす。奢られ運、絶好調である。
小学生の男の子の患者さんのお母さんに、お腹にくる風邪の薬の服薬指導をしていた。丁寧に耳を傾けてくれる態度が、今今のお母さんとは一味違う。やや古風な感じを受けて、じっと顔を見ているうちに、「えーっ!? ○○さん?」と思わず、我を忘れて、叫んでいた。私が、ワープロやパソコン、簿記などを習っていたクラスメートだった。いつかこの『談話室』で書いたと思うが、「写真在中」という中国語の意味を教えてくれた人だ。詳しくは知らないが、中国で生まれ育った日本人である。すぐに思い出してくれて、「もう10年くらい・・・? 私の隣に座っていた? 私、途中でやめたから・・・・。」と言葉少なに、はにかみながら話す様子が、あのときのままである。お母さんの顔の上に、若い日の彼女がフワーと浮かんできた。この独特の話し方で私は気がついたのである。素朴な中にキラッと瞳が光る。最近、まわりにない、すっかり忘れていた、奥ゆかしさのようなものを漂わせて帰っていった。
後で、もう一度よ〜く考えてみた。なんと15年経っていた。彼女にもいくつかのドラマが有ったろう。今度ゆっくり聞いてみたい。
parcoの前に人だかりが出来ている。誰か有名人が金魚鉢みたいなサテライトスタジオにいるに違いない。私だって、野次馬根性は誰にも引けをとらない。ゴソゴソと入り込んで、確認に向かう。こちらを見ている、髪を銀と茶に染め分けた若い女性が、高校生が手を振ったのに答えて、手を振っている。例によって「かわい〜い!」という声が聞こえるが、私の目で見て可愛い子はいない。しかしガラス越しに、その女性にケイタイを向けている。数枚の「撮影禁止」の貼り紙もなんのその。どうしても、この人だかりの原因を追究せねば、次に進めない。ちょっと恥ずかしかったが、隣のケイタイの高校生に、「スミマセン。あの人誰?」と言うと、「コウダ フミ」、「歌手?」、そんなもん知らんのかという風に、「ウン」とうなずいてくれた。小さな声で聞いたつもりだったが、右前の男性が、「誰や、うっとしいおばはんやな」という視線で振り向いた。もういたたまれなくなって、するりと抜けて歩き出したところ、アナウンサーの可愛い声が、「今日は、コウダ フミさんに来ていただいています。・・・・・」と聞こえてきた。もうちょっと早く言ってくれれば、恥ずかしい思いし無くてよかったのに。もうちょっと思慮深く待っていれば、よかったのに。私は、若い頃、あんなふうに抜け抜けと生きていたろうか。今私はあんなふうに、堂々としているだろうか。歌手コウダフミを見てこんな事を考えながら歩き出した。私がコウダフミという音から想像するのは、幸田露伴の娘の「幸田 文(アヤ)」。あなたは、コウダフミ知ってましたか?
>コウダフミ知ってましたか?
もちろん、知りません。(きっぱり^^)
いまどきの歌手なんか知るわけないじゃないですか。10代の頃ビートルズですらその“シャウト”故に『不良の音楽』−そう、今で言えば『パンクロック』かなぁ−と思っていたくらいです。(恥ずかしながら文化祭のときに真似事をやらかしましたが・・・)
いまどきの歌手なんか、知らなくて当然です。どうせ99%はあぶくみたいに消えるのですから。
ぼくらの世代はもっと自分たちの価値観を明確に表現しないといけないです。若い人たちが理解してくれない、あるいは共感してくれないのは僕たちの怠慢もあるのとちゃうのかなぁ。
同世代で生きているものは何だろう?
昔から生き続ける日本の文化って何処にあるんだろう?
あかん、痕跡ぐらいしか思い浮かびません。
ガキになめられて当然みたいな文化状況じゃないですか。
というわけでわたくしめは今日もドラムの練習に励みます。^^
コウダフミ、知りませんよねぇ〜。良かった。結婚して、出産して、働いて、孫が出来て、という当たり前の生活を、なんと言うことなくさらりとやってきた人達から、「あの人は、異常、人生サボっている、浮いてる、とみなされている」ような気がしてならなくて、最近ちょっと疎外感感じて、私だけが知らないのかと、卑屈になったりしてたもんで。ホッとしましたよ。皆と一緒でないといけないなんて決まりもない、一見ありがたい民主主義の国日本。でもやっぱり「出る杭は打たれる」のが、今もって世の習い。出ない杭は腐ってしまうとばかりに、「痛いな〜」と思いながらも、出てしまう。一歩下がる事ばかりしていると、今の若いもんは、露骨になめてきます。そこでちょっと怒ったりすると、ちゃんと控えるようになる。若者に殺されないように、遠巻きにしていないで、時々は、教えてあげる勇気を持たねばね。そして、聞く勇気もね。
とはいえ、最近の歌を、「知ってるよ」と歌って、若者に、媚びへつらう努力を惜しまない私。ただいま、♪涙 そうそう♪を特訓中。もうこのブームは済んだっけ?
「おじゃまします。ウィーンに住んで2年目になります。
ブルゲンランドの人にウィーンで出会って、言葉もうまく通じないのに
好きになってしまって、ブルゲンランドのこと知ろう!って思って
検索しているうちに、素敵な部屋にたどり着きました。
日記、おもしろくて、じっくりゆっくり読ませていただこうって思ってます。
>おじゃまします。ウィーンに住んで2年目になります。
ようこそ、あささん。はるばウィーンからと思っても、インターネットだと、すぐなんですよね。うれしいな。ウィーンにお住まいなんてうらやましい。いいなぁ。私はウィーンに滞在したのは3日間だけ。「今度は彼と一緒にいらっしゃいね。」と言われ、「大きく」“Ja!”なんて答えたもんだから、行けやしない。遠い東洋からウィーンに恋焦がれています。ウィーンのこと、何でもいい、聞きたいです。寒いんでしょうね、今頃は。雪はどうですか? 今朝、日本は、というより大津はマイナス1℃でした。
>好きになってしまって、
これが語学の習得に、am besten (ドイツ語で「最高」の意)だということですよ。
私の知っているブルゲンランドは、素朴で、元祖オーストリアって感じで、とても好感が持てました。でも随分変わったことでしょう。 『ウィーン便り』是非書きに来て!! お待ちしています。
今日は板チョコ、生チョコ、アーモンドそれに義理チョコなどたくさんいただきました。なぜか泡盛の小瓶セットを下さった方もおられました。
舌に甘く、心にも甘い贈り物ばかりでした。
ただし食べるのは一日に3粒までにしようと思います。^^
近年、バレンタインチョコの対象がおじさんになってきたので、医療関係の仕事をしている私としては、つい、肥満、糖尿病、高脂血症などが気になり、チョコあげていいのかなとチョコっと気になる。pureさんのように、大量ゲットする人は、特に、注意と、自制心が必要になりますね。やめとこうかと思いながらも、うれしそうな笑顔を想像すると、やっぱり、まあ、お印にと、買う。気がつけば、つい自分の分もこっそりかごの中に入れている。
昨年は近所のデパートに、ウィーンDemel(デーメル)のチョコが出ていたから買いに行ったら、今年はない。ドイツ病の人が大津にはどうやら少なすぎたとみえる。ところが、季節に、したたかに迎合する「100均」にドイツ製のチョコレートが並んでいた。大阪の輸入食料品店で、そこそこの値段で購入したのと同じもの! 当然ムッとして、これを買い占めなきゃ損なような気になるが、数が多すぎるし、買って食べれば太るのは私持ち。チョコレート屋さんの思う壺にはまってなるものかと・・・・・、それでも一個だけ買ってしまった。
どんな食料も、それを穏やかな健康的な気持ちで、美味しく食べれば、正しいエネルギーになると、誰も言っていないが、そんな気がしてならない。例えそれが、甘すぎても、過剰であっても、・・・・ああ、これって、自分に対する言い訳かも。3粒でやめる為のストレス、感じないいられますか?pureさん。そうか、次はお酒に移るんでしたね。私は迷わず5粒くらい行きます。
こんばんは。チョコの話題を拝見し、久々にHPに書き込みさせていただきます
私は今年も義理チョコに頭を悩ませ、あちらこちらで試食をしすぎ、ただ今顎に吹き出物がいっぱいできていま〜す。楠田エリコはカカオポリフェノールが身体に良いからと、毎日一粒チョコを食べているそうですが、普段ほとんど食べない私は、小さな小さな試食用チョコをほんの数粒(ほんの数粒??)食べただけでこんなに大量のニキビ、いえ吹き出物。。。油脂の力を思い知らされています。毎年、ブツブツ出来てから、『そうだった。気をつけなくちゃいけないんだった!』と思い出すも、後の祭りです。この年になると治りも遅いんですよねぇ。。なので、味見したくて父に買ったチョコもしばらくお預けです。
でも、なんだかんだいってこの試食を毎年楽しみにしている私です!
薫さんお久しぶりです。義理チョコには頭が痛いですね。でも、試食などと言うありがたい企画があると、頭痛も少しはましになるというもの。どこでやってるの? そんなの私見たこと無いですよ。もっと早く言ってよ! すぐに試食ツアーに参加したのに。吹き出物の心配皆無の私ですから。試食した人の90%以上は買うという結果があると昔聞いたことがあります。もちろん、私も、試食のトレーの前では、必ず立ち止まる正しいおばさんです。それがお昼時だったりすると、それでお昼を済ませてしまうこともあります。レストランで一人食事しても美味しくないから、ものを食べたと言う価値においては殆ど同じです。
来年は早めに、この『談話室』で情報公開お願いします。みんなで悩めば、怖くない。みんなで試食ツアーに行きましょう。
『罪もない子の不意の殺傷症候群』なんて病気の病原菌が花粉のように舞っているといわれても、信じられるくらい、事件が度々起こる。実は、私もこの様な事件の犯人になったかもしれない気持ちを経験したことがある。と言ったらびっくりするでしょう。でも本当。それは私が、予備校から帰り道の暑い夏の午後だった。子ども達が大勢、母親に連れられて、どうやらプールの帰り道らしく、京阪電車の電停で、子どもらしい悪ふざけや、おしゃべりをして、あるいは、母親に手を引かれて静かに、思い思いに電車が来るのを待っている、無秩序な空間に私が足を踏み入れたときのこと。不意に、まかり間違えば殺意になるべき感情がムラムラと起こってきて、そこにいる子どもの頭をバシッとたたきたい気持ちに襲われた。子ども達は私に何をしたわけでもない。自分の気持ちにギョッとして、もちろん踏みとどまったから、私の外観からそんなことを想像出来た人はいないだろう。もしそのとき、私が包丁を持っていて、グサッとやってしまったら、私は通り魔殺人犯になれたのである。
その後、理由のある殺意は何度か感じたが、この時のような気持ちを経験した事はない。誰にでもそういう可能性があると、はっきり実感できた一瞬を今も忘れる事はない。
大津からちょっと離れたスーパーで買い物をしていた。ここまでくれば誰にも遭わないだろうと思ったのに、ここにもいた。またご対面。こんなところでもと、同行していた友人が驚いていたが、私達も驚いた。15年ぶりに遭った友人の事は2月9日に、この『談話室』に書いたが、この人もそのときのクラスメートである。ただの通行人として行き違う人はたくさんいるのに、何らかのつながりが出来る他人とは、一生でもそんなにたくさんはない。こういう日は“縁”などどいう言葉がにわかに光を帯びて湧き上がってくる。このクラスの終わり頃、「始め、暗かったなぁ。誰ともしゃべりたくないって感じで。」とクラスメートに言われた。全くその通りで、屈託のないクラスの雰囲気にどれだけ救われたか知れない。この間の話と、他の友人の近況を手短に話して、「同窓会したいね。」と私は言った。そういう言葉が自分の口から出た事に、少し驚いて、また、あの頃のように元気になった自分を感じて、うれしさが満ちてきた。
「口では説明できひん。まあ一回見て!」と言われて見た千葉!滋賀!!佐賀!!! 。説明してからでは、面白さとバカバカしさが半減するので、あなたもここをクリックして、数分間、付き合ってみて。アッ、まだよ。音がします。仕事中の人は、辺りに誰もいないのを確認してからにしてね。
信号を待っていたら、向こう側に見覚えのある顔が見えた。久しぶりだったので、ちょっと躊躇したが、やっぱり話したくなって、挨拶した。私のヘアスタイルが少し変わっているので、分からないようだったが、すぐに思い出してくれた。お茶を飲もうと歩き出したが、あいにく閉まっていて、その近くの、椅子とテーブルのあるスペースに落ち着いた。彼は脱サラして、社長さん一年生である。社員は奥さんだけ。この一年間にどんなことがあったか、どんな人と知り合ったか、また、信者ではないが教会に行くようになったとか、色々なことを堰を切ったようにしゃべりだした。少し精悍さが増した笑顔に比べると、こんなに元気になった私でもひどく色あせて見えた。目の前で「まだまだ大変。でも起業して良かったと言える様になりたい。」とキラキラした目で語る若い人を見ていて、なぜか、自分のことのように、うれしくなった。“ほりえもん”を引き合いに出すのは間違っているかもしれないが、命懸けて生きている若者がここにもいる。疲れた人とばかり話している毎日で、久しぶりに、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだような気持ちの良さだった。
以前、オーラを発している人に会ったことがあります。その方は特別奇矯な言動をされる方でもなんでもありません。ごく普通の社会人でした。ただ、ご自分の仕事に邁進されている方でした。
そのこと自体当たり前のことで取り立てて言うことはありませんでした。
オーラ、これはやはりあります。
その方が何かに集中しておられる時、多分周囲の人は感じるのではないでしょうか。
だからどうなんだとということは一切ありません。
オーラを発しない生き方、これはしたくないです。誰の役にも立たない人生、これも嫌です。
少なくとも自分のためにだけ生きようとしたらオーラは出てこないだろうとは思っています。
あ、最近下記のサイトではしゃいでいます。^^;
http://www17.ocn.ne.jp/~bebeatle/
「今日は飛んでる。」花粉に鋭く反応する人は自分の身体で分かるらしい。シーズンがぼちぼち始まった。今年は遅れ気味だが、来週は飛ぶと戦々恐々として、薬を飲み始めている人も多い。数年前はおじさんの花粉症はあまり見なかった様に思うのだが、最近はいる。スギの木は、日本固有のもので、花粉の飛ぶシーズンがやって来たら、アレルギーの人は、その間、外国に避難するといいのだそうだ。ちょっとお金が足りない人は、北海道か、沖縄へ。そのお金もない人は、滋賀医大耳鼻咽喉科へ来てくださいと、Dr.の講演は締めくくられた。
私は花粉症じゃないけれど、中部国際空港セントリアからエビフライ食べて、外国に飛びたいなぁ。もう行って来た人いますか?
トラバーユらない、トラバーユる、トラバーユるとき、トラバーユれば、と色々ケースを考えて、このところ忙しくしていました。昨日私が投稿したときに、pureさんの投稿を見つけましたが、クタクタでダウン。しかし、今日は見事に復活して、朝から仕事、昼から薬の勉強会のはしご。ご馳走つまんで夜に帰宅。私もヨーヤルと思っていたら・・・・・、http://www17.ocn.ne.jp/~bebeatle/拝見しました。pureさんもヨーヤル。バンマスとWebマスターまで・・・・・!! 最近、MDで音楽聞きながら、琵琶湖の漣と、比叡比良の雪景色を見ながら、ウォーキング通勤する術を体得して、自分の世界に落ち込んでいます。私は、ご存知のとおり、音楽に関してうるさくないので、ビートルズにしびれる人の気持ちは量りかねますが、難聴になりそうな音で聞いている私は、音楽嫌いではなさそう。もしコンサートされるんなら、チケット一枚買いますよ。今は、仕事を遊べる仕事場を、ひたすら探す日々で、まだまだ、温泉や趣味の学習に時間を割く余裕がなく、pureさんがうらやましい。トラバーユれという内なる命令に従って、「人生いくつになっても挑戦だ!」とかっこいいことばっかり言って、「しまった!しんどい、参った。」と言いそうな不安抱えつつ、近くトラバーユ決行です。
「pureさんもヨーヤル。バンマスとWebマスターまで・・・・・!!
えー、バンマスはしておりません。広報係です。^^ 確かに<よーやる>ですね。でも、仕事だけしてたら・・・、そんなこと想像したくもないです。
>チケット一枚買いますよ。
しっかりとメモいたしました。ライブハウスでやるときにはお声をかけさせていただきます。
タラの芽は、山菜で実家でも、春になると出てくる。この頃の人は、何処の庭であろうと、手の届くところならばお構い無しに採集するので、ボケの花も土手から無くなったし、このタラの芽も油断できない。近年スーパーでこの貴重なタラの芽の天ぷらをしばしば見かけるようになったのは、栽培されているからであると分かった。NHKでその栽培の様子が放映されていた。72軒の農家が互いに知識を寄せ合ってより良いタラの芽の栽培に頑張っている。こちらにもHPがある。こちらは、糖尿病に効くなどと書いてある。食べ物や、健康食品だけで病気が治れば、薬はいらないのだが、うまい事に、薬だけでなかなか思うように治らないケースもある。すると、大抵の薬剤師は、一度は馬鹿にしたい、健康食品の存在価値が否定できない事になる。私も健康食品やサプリメントだけで良いとは言いにくい。しかし、小さな錠剤だけを熱烈に支持している訳でもない。そんなに意固地にならないで、広く大きな気持ちで、効くものは何でも使えばいいと思っている。なんとなく良いなと思ったら、タラの芽でもタラのお鍋でも何でも食べればいい。頼まれたわけじゃないけど、かわいらしいタラの芽が育っている様子を見たい方は、再放送が3月4日12:00〜NHK教育TVであります。
05/2/01▲〜05/2/28