『私のオーストリア旅行』

 

第20話           "   初めてのウィーン  歓迎の夕べ    "  

 


いよいよ、今日はオーストリアの首都ウィーンに入ります。その昔、ヨーロッパの大部分を領土としたハプスブルグ家の華麗な文化が咲き乱れた街ウィーンとはどんなところなのか、アルプスの山々や牧草地帯、湖などクリアーな空気に満たされた自然を満喫してきた我々は、飛行機の到着地であった、フランクフルト以来の都会に足を踏み入れる、多大な期待に胸ふくらませています。

 

いくつかの村や、町を通り抜け、そろそろ夕方のウィーン郊外で、何度めかの休憩となりました。バスを降りて、夏草の茂る広大な敷地に入って行くと、池がありその中州にお城が建っています。こちら側の岸から中州へは、ボートとも橋とも見えるものがロープウェイのワイヤーの様な物でつながれています。どうやらお城へはそれに乗っていくようで、つまり船なのでしょう。私は、奈良県十津川村の川を渡る籠を連想していましたが、振り向いたら、突然まわりがおとぎ話の世界に変わっていてもなんの違和感も無い、時間が止まったような場所でした。 どこかの庭のように枝振りの良い松の向こうに近代的なビルディングが見えているようなことは一切ありません。

池の中州に建つフランツェスブルク城。右端にボートの様な橋が見える。

オーストリアは、すぐにタイムスリップできそうな物が、至る所にある国です。

ただ、これが夢でも、おとぎ話でもない、今が現実の夏であるのが確認できたのは、初めてのウィーンに早速、"熱烈歓迎"にやって来てくれたものがあったからです。それは飢えた「蚊」の大群でした。それまで汗をかくことも、蝉時雨も、ぼうぼうと生い茂る濃い緑の草も無かったのに、ここは淀んだ水と、深い叢(くさむら)と若干の暑さに恵まれていて、若いおいしい血を持つ我々は、彼らには格好の餌食であったらしいのです。このような歓迎が繰り返されるのはNein Danke.〔ナインダンケ〕ですが、この時一回で済んだのは幸いでした。

 

夜はウィーンの日襖協会主催の"歓迎パーティ"です。いつもの質素な食事とワインです。白ワインは、ドイツのものが有名ですが、実はオーストリアのワインもなかなか美味です。あっさりして日本人向きではないかと思います。少し前、モーツアルトの没後200年かの記念の年に、日本で"MOZART"という銘のオーストリアワインをもとめましたが、なかなかのものでした。

 

私はこの席でおもしろい容器を見つけました。それはワインを入れる容器なのですが、その仕組みは、日本ではトイレの手洗いの容器として昭和初期に、頻繁に使われ、どこの家の庭にもぶら下がっていたものとほぼ同じです。必ず隣で日本手拭いが風に揺れていました。もう少し詳しく言うと、ほうろうで出来た水のタンクの下に下向きに蓮の実のような細かい穴の空いたじょうろの首が付いていて、その中央に細い金属の管が下がっています。その管を掌でちょっと押し上げ、じょうろの穴からさわやかに落ちてきた水で手を洗う、あれです。

ワインの卓上容器そのワインの容器は、本体は透明のガラス製で、全体に見事な葡萄の模様がすりガラス状に描かれ、やはり葡萄のつるを思わせる、くねくねとした、黒色の金属にしっかり支えられてテーブルに置かれています。言うまでもありませんが、手拭いはありません。ヨーロッパには女の人がお酌をする習慣がありません。「おっとっと」などと言わないで、グラスを容器の下のパイプにつけ、自分のほしいだけの量を上手に注ぎ、みんなで会話を楽しもうとする合理性に感心しました。私達は口は動かしていましたが、議論を戦わせるほどの語学力に恵まれていなかったので、その容器に入ったワインはどんどん減っていきました。

それと同じく葡萄の模様の付いた二本の羽根の付いたワインのオープナーもこの時初めて目にしました。瓶の口にスクリューを、ねじ込んでいくと両側の羽根が徐々に上がっていき、それを両手で同時に下ろすと簡単にコルクが浮き上がって来る物で、女、子供でも扱え間違いがありません。日本に帰ってすぐ、舶来のテーブルウェアーのお店で2,500円くらいで買い求めたように記憶しています。今では100円均一でも売っていて、値段でその価値を云々するのはどうかと思いますが、何だかその時の感動が色あせてしまったような気がします。

点火した花火の下に、赤い丸い玉のローソクが連なって見える。もう一つこれも初めて見た燭台で、どうしてもほしくて、数年後日本で見つけて、購入しましたが、日本で燭台を使う機会はめったに無く、一度も燃やさず、ただの飾り物になっています。これは、鑞の玉が葡萄の様に連なっていて、一つが燃え尽きる直前に、次の新しい玉を上のお皿に載せていく、すごく可愛いくて愉しい物です。

 

みんな程々に酔っぱらって、歓迎会はお開きとなりましたが・・・、まだまだ宵の口。

クラーゲンフルトでは、夏休み中で学生のいない大きな寮が宿泊施設として提供されました。ここウィーンは、ユースホステルです。その固いベッドに横になるには、まだ元気すぎる我々数人のグループは、夜のウィーンの街へ繰り出しました。

 

つづく

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01/05/27