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『談話室』 総集編 10月分(04/10/01〜04/10/31▼) | |||
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寒いくらいの入院生活で快適な9月を過ごしたが、10月なのに、この暑さ、何? 普通なら長袖よ。ああ病院が懐かしい。蘭さんのおっしゃるように体力使った久しぶりの、入院生活、思い出すままにちょっと書いてみます。
本もペンもMDもごっそり持ち込んで、無駄なく過ごすつもりが、やはり手術の後は、全く力が入らなかった。本さえ読めない。書くなんてとんでもない。ただ眠るだけ。元気な隣のがん治療中のおばさんが、隙を見つけては、いえ、私は隙を見せてはいないのに、大声で話しかける。専業主婦のお決まりの、夫と娘とその婿などについての世間話に相槌を打つ以上の興味は持てない。傷が痛む。「お願い勘弁してよ」と言う代わりに黙ると、やっと静かになる。すかさず眠る。
こんなところには居られないと思わなくても、翌日から、看護婦さんが「歩こう」と誘いに来て、一日も早く娑婆に出られるよう、手伝ってくれる。点滴の棒を頼りに、廊下をヨロヨロと一周。合格だ。今度はトイレ。点滴をしていると頻度が増す。そのうちに慣れてきて、帰ったときのマンションの階段を想定して、点滴の無いときは、エレベーターを使わず、信じられないくらいの勤勉さで、非常階段を上り下りする。誰も居ない上に、ここはエアコンが効かず、暖かい。冷えると、血行不良になり、回復が遅れると勝手に考えて、踊り場では体操さえやる。しょっちゅう出歩き、「元気やね〜」とおばさんには感心されるが、部屋が静かなら、眠っていたいのだ、私だって。運動して疲れると、隣の見舞い客の話し声も子守唄。お構い無しに眠る。もう大丈夫と戻ってきたのに、世間のスピーディな動きにすぐに疲れる。睡眠中心のスローな生活の足を洗えないでいる。
それで、持参したものは消化できたかって? 当然消化不良である。
近くのスーパーで66円の安売り、これはきっと背番号だなと思ったら、やっぱり。中日優勝は150億円の経済効果だそうだが、昨年の阪神タイガースの1/10だそうだ。確かにレジに並んでいる人の持つ籠は全てあふれんばかりである。「レジにて5%off」という貼り紙に踊らされてのことだ。その手には乗らない、失敗経験豊かな私である。し、か、し、…荷物になるし、次でも良いやと思ったサンダルが、なんと二割引になっている!! 買わねばならぬ。やっぱり引っかかった。獲物をしとめた帰り道、ルンルンと、休日で車も人も通らない大津の町を悠々と歩いていた。ある町角に、「徐行」なんて立て札立てて、十数人の男達が何やらしている。TVカメラも居る。古い柱のような木が、道端にたくさん置かれ・・・、そうだ『大津祭』だ。一年ぶりに、古い蔵から出てきた、飾り金具のついた黒漆塗りの部品達がさわやかな秋の陽に照らされて、キラキラ光っている。祇園祭のように、専門の職人さんではなく、町内のおっちゃんたちが、楽しみながらの作業である。よくみるとあちらの町内でも、こちらの町内でもやっている。デジカメ持っていたら、このシャッターチャンスは逃さなかったろうが、病み上がりの身とて、無駄なエネルギーは使わず、美人の素顔を、見なかったような様子で通り過ぎた。
麻酔に超感受性の私は、手術後も、コンコンと眠り続けていた。誰かが何か言ってるなと分かるが、それに対する反応が出来ない。うなずくだけで精一杯。声も手も足も私のコントロール下にない。目を開けると、その光景が一瞬飛び込んでくるが、輪郭ははっきりしない。すぐにまた霧の中に入る。「目は開けるのだが反応が無い」と、普通の健康な人には映る重病人状態を、患者サイドから表現するとこんなだろうか。自分が患者になれる事は、そうあることではないので、いちいち何でもものめずらしい。手術室に入ると、最初に、本人かどうかの確認がなされる。この時に、「由美かおる」にしようかそれとも、「小泉今日子」にしようか「八千草薫」にしようかと、迷っていたが、入った瞬間、その場の雰囲気で、やっぱり本名を名乗ってしまった。ベッドに寝ているから、視界が限られる。前日の説明どおりの硬膜外麻酔が準備される。この最初の注射がめっぽう痛い。「お酒強いか?弱いんか。」と執刀Dr.が緊張をほぐしてくれる。私は、目だけ動かして、キョロキョロと見回す。まな板の上の鯉というにはあまりにでぶなトド。だから、この部屋もコンクリート打ちっぱなしの魚河岸を連想する。部屋の片側に、たくさんの引き出しの付いた戸棚が無造作に並んでいる。天井には、魚河岸には不釣合いな上等のライト。TVで見たヤツとはちょっと違う。
「酸素です」と言ったかどうか、マスクが私の口元に置かれたな、という記憶の次の記憶は、部屋で傷が痛いと思った瞬間である。この間約3時間。ウソつき!!麻酔だとは聞かなかった。その後も、時々、前述のような途切れ途切れの記憶を経て、夜中の3時まで、トロトロと眠り続けた。全身麻酔初体験であった。
穏やかな秋の日差しの湖岸にテントが一張、その前に、大きな白い器がずらり並んでいる。その傍らに立つおじさん達のハッピの襟に見えるのは、『琵琶湖金鱗会』の文字。熱心に覗き込んでいる人達の中に女性は二人だけ。おずおずと近づき、そーっと人の間から見ると、真っ白の琺瑯びきの大きな洗面器に金魚が一匹、ユウユウ泳いでいる。「らんちゅう」である。見れば私にも分かる、特殊なお姿。「親」、「2年もの」などと書いてあって、「20年もの」の洗面器には、15pはあろうかという巨体もいる。向こうの四角の大きな水槽は余興の金魚すくいかもしれないと、近づくと、それも全て「らんちゅう」様ばかり。 らんちゅうの金魚すくいは、無理よね。残念!写真を撮っている人も居る。
「夏の暑いときに、おじいさんは、洗面器に金魚一匹入れて、遠くの品評会に行って、浴衣の背中にずっくり汗をかいて、帰ってきはった。」と昔、祖母が憎憎しげに語っていたのをフト思い出した。所帯盛りの大変な頃に、祖父は・・・・と言いたげであった。実務的な祖母の血を引いた私は、この手のロマンにはとんと縁がない。
テントの中には、トロフィーが並んで、役員風の人が大勢、難しそうな顔で並んで座っている。選定基準は何で、一等賞のヤツはいくらくらいなのか、ちょっと聞いてみたい気もしたが、「あの〜」と言っただけで、重い沈黙が破れ、『金魚オタク』達の非難の目に晒されたり、「笑ったな!」といちゃもんつけられても困る。こみ上げる笑いをグッとかみ殺し、うつむいていつもの道を歩き出した。
やっと運転のお許しが出た。普通に走っているだけなのに、久しぶりのスピード感がたまらない。やっぱり歩いているよりは速いもんね。当たり前のことがうれしい事だと分かるのに、人間は回りくどい手順が必要なようだ。昨日テンションが上がったせいもあるかもしれないが、今日はだるい。お陰さまで日に日に良くなっているのに、時々後戻りする。傷が痛む。雨の日がダメ。特に台風は応える。「膝が痛い、明日雨かも」というのはよくきく話だが、傷が痛いとは新発見。昨日から痛くなり、今日はドーンとしている。体中がしんどい。「今年に限ってこんなにいっぱい台風来なくてもいいじゃない、もう」と八つ当たりしても、台風は帰ってはくれない。あなたは、そんな経験ないですか? 今私は、無免許の気象予報士。「明日も雨です。」
そんなこと分かっているって? 誰だって雨の日はしんどいって? まあそういわずに・・・。
手術の日は、点滴と酸素マスクでお腹いっぱいだから、何も食事は出ない。というより、いっぱい器具をつけて寝たきりで、自由に出来ることなど何も無い。眠くて自分の意思も欲求も定かでない。水になった氷枕のタユンタユンした感触だけが確かなものだ。痛くて痛くて、寝返り打つだけでも重労働の朝、「そんな、もういいよ。」と思っても、朝食の時間は容赦なく訪れる。パラマウントベッドがギリギリと巻き上げられ、頭が上がって、視野が変わる。化粧の濃いきれいなウェイトレスが、いや看護婦さんが、朝食のトレイを運んできてくれる。
予定表には「重湯」と出ていた。奈良の名物、「茶粥定食」を知っている人はあろうが、ああいうものを想像してもらっては困る。ベッドにテーブルが横断する。お手拭のペーパータオルとお茶が付いただけの「重湯定食」が乗せられる。黒いお椀にどっさり280gも入っている。傷が痛いが、難儀して声を出し、荷物の中のスプーンを取ってほしいことを告げると、「いらないでしょう。」とあっさり。確かに。なるほど、お椀のまま飲めばいいのである。ペットボトルを口飲みする私が、ここでそれが出来ない訳が無い。力を振り絞って・・・、お椀を持ち上げる力はあった。一口飲んでみる。乾いた口を潤していく少量の重湯がこんなに美味しいとは。出来る限りゆっくり、一口、また一口、食事を楽しもうとしても、5分もかからない。余韻を楽しみながら、熱いお茶をすすり、目が覚めた実感を味わう。
「全部食べられましたか?」と看護婦さんに聞かれ、お腹などすいていないはずだったのに、「お代わりほしいくらいです。」と答えている。身体が傷を治そうと戦っているのだ。人間の回復力と食欲との関係、我ながらすごいもんだと思った。
台風いかがでしたか? あなたのところは被害は無かったですか?
私は、ずーっと朝から、傷がドーンと痛くて、不調でゴロゴロしていたのに、夕方、台風が伊豆半島に上陸する頃に、嘘のようにグングン調子が戻ってきた。見れば、東の空は晴れている。お天気も私の調子も整った。暗くなるのを待って、『大津祭』の宵山に出かけた。今年は、えらく遠くまで、風に乗ってお囃子が響いてくる。台風の風が残っているのだろうか。特に鉦の音がよく響く。
祇園祭と違い、『大津祭』は曳山も小さく、囃子方も少ない。若い囃し方は、もう時代が忘れさせたかと思う、粗野な威勢のよさで、足りない部分を補おうとするかのようである。全員が大声で、「ピヒャラ、ピヒャラ」と掛声をかけながら、燃えている。もちろん、曳山の周りには、お酒の匂いがそこはかとなく漂っている。
今年、復元新調されたという、源氏山の見送り幕を近くで見ようと、一直線に源氏山に向かった。ところがこの山だけ、すっぽりレインコートで包まれ、ライトアップも無く、演奏は、古い見送り幕を背景に、集会所のような場所で行われていた。その中で、2歳くらいのチビがお兄ちゃんたちに混じって、鉦をたたいているのがなんとも可愛いい。この風景が、がっかりした私の気持ちを、すっかり和ませてくれた。
私のところにも、ついに来た。そういうことが何より嫌いな父のいる実家に、私の名宛の、最後通告。慌てふためいて、母が電話してきた。「電子通信の・・・・・、払ってないって!! 期限を過ぎたら、法的な手段に訴えて・・・・・・差し押さえ・・・・・」専門用語が羅列されているらしい。すぐに素人の私が理解できないと言うことは「おれおれ詐欺だな」と直感した。一度目で最後通告、請求金額が無い請求書なんてある? まあ、私のような文無しにまで名誉なことである。あらかたお金持ちはすんだのかもしれない。
以前、保険料支払の督促状に、「払えば済むことなのに、なぜ払わない! なぜ自分がこういうことを言われなければならない」と大変な剣幕であった。もうちょっとで、また家庭内に嵐が吹き荒れるところだった。くしくも台風22号の来た同じ日のことである。警視庁のまとめで、今年8月中に全国で起きたおれおれ詐欺は1680件で、被害額は23億1200万円だったことが6日分かった。1月からの被害総額は100億円を超え、昨年1年間の被害額(43億1800万円)の2倍超となった。とのことである。あなたもよーく御注意を!
Oh!Oh!大津の『大津祭』、撮れたて画像を導入しました。重くなったけれど、色はきれいです。ご覧ください。
アテネで、アリストテレスが夜毎「流れ星」を見つめていたなんて知ってた? ロマンチックに見つめているだけでなく、気象学にまでしてしまうのが、すごいね。そもそもMeteorologyとは、「流れ星を論じる」と言う意味で彼の著書の名がルーツだと言うから驚く。 「エーゲ海の流れ星」-気象学の歴史を考える-、講師:廣田勇京大名誉教授、で聴いた話である。昭和63年から始まった「京都大学春秋講義」というイベントで、タダで聴ける。場所は京大の時計台の中。PM6:30〜8:00。すごくきれいにリニューアルされて、新幹線のような小さなテーブルが脇から出てくる座り心地のいいイスもある。おしゃれなレストランまで出来ていて、これがまたいい。友人に誘われて、参加したが、眠っていた大脳に、流星群がビシバシと入ってきて、刺激的だった。一般市民に開放されているので、アカデミックな雰囲気は残しつつ、かなり分かり易くくだけた感じで話して下さってもだ。下を向いて、目の前の錠剤の小さな数字ばかりを追いかけている仕事をしている私には、空を仰ぎ見て、星の瞬きや、雲を眺める雄大な学問に目がくらむばかりである。えせ気象予報士の私が、一歩本物に近づいたわねと満足した夜であった。
一つ残念だったのは、あらかじめ『談話室』でお知らせして、この楽しみをお分けできなかったことである。これは私の不徳のいたすところ。お許しください。今後の予定は以下のようなので、興味のある方はご参加を。「神経細胞がゆっくりと死んでいく謎に挑む」(11/4)を聴きたいなと思っている。
久しぶりの仕事。まるで、長い夏休みが済んで、新学期に友達と会うような気持ちである。予定が無ければ、果てしなく眠り続けるし、身体はだらけきっているのに、それに気付かず、調子が悪いと思っている。ぐずぐずしながら、イヤだなーと思いながら、いつものようにギリギリにとびこんだ。特に違和感も無く仕事が進むのが、不思議で、私って働き者かもしれない。と妙に感心したりした。以前は、へとへとだったのに、知らずに、いつも満員電車に乗っているような、息苦しさを自分に感じていた。少し休むだけで、心のゆとりが生まれる。あなたも働きすぎよきっと。日本人だもの。むかし、仕事があるから、週末のテニスが楽しい。テニスがあるから仕事が楽しい。と言った人がいたが、今日は、ちょっと分かるような気がした。待っていたと言ってくれる人が居るのがうれしい。まだ、でこぼこはあるが、体調は順調に回復している。でもテニスはまだまだ無理だ。
私の点滴の輸液は、普通によく使われるものだったが、「やっぱり点滴してもらうと元気になる」という実感はあまりない。ところが、重湯にしろ、お粥にしろ、口からごっくんと飲み込むと、程なくむくむくと力が湧いてくる。点滴は、知らないうちに、そーっと、こそ泥のように身体に入ってくるからだろうか。食べると元気になったという体験から来るものだろうか。手術翌日は重湯。2日目は五分がゆ。3日目全粥。漸く4日目に銀シャリにたどり着いた。この中で、感動があったのは三回。一度目は先に述べた重湯。二回目は、お昼の五分粥におかずが付いた時、そして3回目がご飯になった時である。固形物をトレイの上に見たときは、思わず「ヤッター!」と叫びそうになった。歯があれば、誰だって噛みたいと、こんなことも心情的に分かった。
寝ることと食べること、そして少しの歩行が病人たる者の勤めである。お粥だとすぐにお腹が空いて、もう居ても立っていられない。しかし、立っている必要など無い。空腹に耐えて寝てさえ居れば、優等生である。食事の時刻が近づくと、枕元の時計を何度も見ながら、今か今かと、放送の入るのを待つ。「お食事のご用意が出来ました。歩ける患者様はデイルームまでお越しください。」という甘い声が聞こえたら、飛び起きて・・・、そんなわけには行かない。
指先をちょっと怪我しただけでも、ボタンを掛けたり、文字を書いたりするのに不便であるが、手術となると何をするのも、大仕事である。ベッドサイドのパイプに摑まり、痛くない方法を模索しながら、よじれて起きる。姿勢を整えて、一呼吸おいてから、そろりそろりと、歩き出す。デイルームまでの距離が、食事のたびに短くなる気がする。
待ちに待った食事であるから、ゆっくり時間をかける。たとえば、アフリカで内戦中の国で、怪我をした兵士はこんな食事が出来るだろうかなんて思うと、雑多な不満は消えうせ、満足が私を包みこむ。さらに、食後30分もすれば、力が身体中に満ちてくるのだ。これさえ飲んでいれば栄養的には大丈夫と、ダイエットのために、色々なサプリメントの錠剤を手のひらいっぱいに飲んで、栄養失調になった若い女性のニュースを見たことがあるが、食べなきゃダメ。ちゃんと噛まなきゃダメ。飲むだけじゃダメですぞ、あなた、夜の巷で。
私が本人であることを確認するために、「自動車の免許か保健証を、アッ、免許書には性別が書いてないから、保健証を見せてください。」と言われた。私、女に見えない!? 確かに女らしいと胸張っていえるかと言われると・・・・・、んーん。しかし、保健証を作るときには、自己申請して、誰からも文句は無かった。それが証明書として有効なら、今私が女ですと言ったって同じ事ではないのか。「性同一性障害」とか「性転換」とかが話題のとき、性別記載が不当であるとかで、その都市の公式文書からは性別記載が削られたとか、削られなかったとかというニュースがあった。免許書に性別が無記載なのも初めて知った。私がそういう問題に困ったことが無いから横暴だと言われるかもしれないが、どれだけの割合の人のために、どれだけの人が、その弊害を受けねばならないのだ。民主主義の世の大原則は多数決ではないのか。
本人であるという証明は、偽造旅券で裏切られているではないか。また、その書類の提出のために、見た目以上の男女差がどれほどの意味があるのか。窓口業務のマニュアル通りに、やっているのはよく分かるが、もう30代後半から40代の感じの男性である。保健証を取りに戻らねばならなかった面倒さの腹いせに書いたまでであるが、世の中おかしいと思う事は薬の業界でも山ほどあるから、まあ仕方ないと思うしかない。これで私が少なくとも大人である事は証明できたろうか。
人間病気になると健康の有り難さを痛感するもの。小生も肩を亜脱旧?してしまい、一ヶ月近く不自由な思いをしています。
<人間病気になると健康の有り難さを痛感するもの。小生も肩を亜脱旧?してしまい、一ヶ月近く不自由な思いをしています。
おー、新ちゃん、災難でしたね、お気の毒に。桟橋が、か細い(?)新ちゃんに負けちゃったんですね。派手な登場の仕方をする新入りに、さぞかし魚もびっくりしたことでしょう。きっと今頃魚達は胸をなでおろしていますよ。しかしさすが、体育会系、おぼれませんね。
>健康体の有り難さをつくづくと感じた次第です。
全くです。
>そこで口直しに、・・・・・「韓流」とかが・・・
ずっと、「冬ソナ」におぼれていましたが、漸く済んで、土曜日の夜ゆっくり眠れるようになったと思ったら、今度は、完全版をまたBSでやると言うではありませんか。柳の下には、まだまだ何匹もどじょうが居ると踏んで、まあNHKも商売上手!
この間、滋賀会館の前を通りかかったら、ぺ・ヨンジュン初めての主演作!とか書いてある、セクシーなポスターが貼ってありました。立ち止まってしまいましたよ。二本立てだった様に記憶しているけれど、あれかなぁ。でも28日は仕事。残念、無理です。5時からだったらねぇ。知り合いに声をかけて置きます。
これから寒くなってくると、傷とか整形外科系のものは、直りが遅れがち。運転も大変でしょう。くれぐれも無理をしないようにしてください。どうぞ、お大事に!
「お腹が空いた」と何度もいうので、私をかわいそうでたまらなくなった、同室のおばさんが、プリンを買ってきてくれた。いい人だ。彼女は、がん治療だけでは暇だから、この際に歯の治療もしてしまえと、歯科にかかっていて、刻み食、お粥で、お腹がすくと、たびたび売店に行く。私も、間食は許可されているが、買いに行く力も情熱も無い。そこで、このおばさん、私が流動食しか食べられないのを知った上で、この親切である。誰が拒否できよう。実はこんなチャンスにやせない手は無いと、私がひそかに考えているなんて、そんな事言えない。うれしいが、うれしくない。もうちょっとでおせっかいと名前が変わる、度の過ぎる親切とつきあう体力が、今はちょっと足りない。元気なときにはなんでもない大きな明るい笑い声が応える。カップが台に触れる音が傷に響く。
あまり反応しないと、親切心が足りなかったかと、もっと粘っこくなる。プライバシーにはあまり踏み込まない配慮が感じられるのに、粘っこい親切と会話から逃るなんて、横着、ふとどき、人でなし。彼女だって、時間があればフトがんのことを考えてしまうだろうから、そこから逃れる手段でもあろう。でも今回、私は疲れ果てての入院で、眠りたい。暇を見つけては、カーテンの陰で話し声を子守唄に眠っているのである。病院というところには、悲劇≠ェゴロゴロ転がっていて、悲劇のヒロインのはずの私の不幸なんて物の数ではない。眠っていないときは、私は、いつもニコニコしてバカ話をしてしまう癖があるから、とても不幸な人の仲間入りはさせてもらえない。除去してもらった塊は、良性であった。あとは傷が治るだけの安堵感は、傷が治っても残る不安感とは異質である。明と暗あるいは、幸と不幸を分けるついたて≠ェ人と人の間にある。
おばさんの親切は受け入れなければならない。でも、彼女には、毎日のように訪れる夫が居て、細かく心配してくれる娘がいて・・・・・。歩けるようになってからは、この親切に屈しないで、自分の居場所を別に探すことにした。その結果、「いつ行っても(ベッドに)いーひん。」どドクターにもナースにも言われる事になった。病院に入るときには、それぞれが、それぞれなりの命のかかったギリギリの状態を持ち込んでくるものなのだと知った。
6月オープンした琵琶湖の見える近所のプールは、10月から温水プールになった。プリンスホテルの野外プールとほぼ同じロケーションであるが、大分違う。まず、室内と屋外、従って閉塞感と開放感、ヘルシー一本やりとリゾート感覚。プールサイドと言えば、狭くて真っ赤な制服のポロシャツを着たおじさんがいるのに対して、たくさんの真っ白のデッキチェアーの間をボーイさんが行き交う。値段はホテルの1/6程度。窓から見える琵琶湖は同じだが、いわし雲の並ぶさわやかな高い空は、夏だけ営業のプリンスホテルのプールからは見ることが出来ない。昼間の貴重な時間、露天風呂と家の掃除とプールで迷いに迷って、いつも外から拝見していたプールの中に入って、内見会≠決行。若い人が喜びそうな歌のBGMが絶えず流れてはいるが、お客は中高年ばかり。健康なこどもは塾に行く時間帯である。ジムなども併設されているが、昔の体育館に漂っていた、誇り臭い汗臭さは何処にも無い。
男性の長い水泳パンツをみて康介を思い出しながら、気分はアテネ。イメージトレーニングの成果か、今日は快調〜!と泳いでいたら、アッ、足の裏が一部つった。「どうしたんですか?」と言ってくれたのは同じレーンで泳いでいた女性。プールサイドをうろついている、赤いポロシャツは、誰も気が付いていない。どうせおばさんだと、知らん顔か?たった20分で休憩。あーあー、アテネも北京も遠い。
帰り際、右の耳に水が入ってとれないっ〜! ケンケンをしても取れない。ケンケンしても傷が痛まないことに感動。でも取れない。足はすぐに治ったが、夜になってもザワザワ音がする。物を噛み砕くと、まるでマンモスが茂みを踏んでいるような、バリバリとすごい音が響く。その上飛行機から降りたようにワーンとしている。朝になってもゴワゴワ音がする。どうしよう。と思って再び横になったら、何か汗のようなものが流れてくる感じがして、取れた!! ちょっとはしゃぎすぎた。反省。
台風で「漁にでられへんさかい」といつもの時間より早くやって来たおじいさん。腰が曲がり、歩くのも漸くというのに、現役の漁師さんだった。帽子のつばの陰からのぞく、しっかり刻まれた大きなしわと日焼けした顔。「へ〜、何が採れるんですか」と同僚が聴く。「今はいさざとささえびやな。そやけどいさざはもう獲れへん。もろこも今が盛りやで。南湖で産卵して北湖へ行く。そそやけど、ちょっとも顔見いひん。3匹か5匹や。前は、ようけ獲れたけどなぁ。野洲川の改修してから、ミミズがおらへんようになってなあ、魚の餌がなくなったんやろ。岸はコンクリートばっかりやし。藻もなぁ、琵琶湖独特の藻で、四季、はえ変わっとったんや。それが今は、ぼうぼう生えて、底は藻だらけや。小さい船やったら引っかかってしまう。藻はそのまま腐って、沈んでヘドロになって。湧水があったけどなぁ、それもない。ブラック(バス)ばっかりやあらへんで。」琵琶湖の汚染のピークは1975年頃で、それ以降はだんだんきれいになっているというグラフを見たことがある。でもその頃、いさざは度々食卓に登っていた。そういえば、最近見ない。行政は水を取って検査したり、机の上でPCをにらんで計算して、よりよい住環境を作っているつもりだろう。我々も数値とかグラフを見て疑念の余地無く安心する。でもこのおじいさん達のような現場の声は届いているのだろうか。今朝の琵琶湖岸に打ち寄せる大きな波は泥色だった。
かおるさん、こんにちは。
体の具合は、良くなっていますか?
こちらは、鼻炎で苦しみ中です・・・( >Д<;)
昨日の台風、すごかったですね〜。
そちらに何か被害はでませんでしたか?
うちの家は5階なので、揺れているような、ないような。
2歳になる子供は「こわい〜」といってビビっていました。
私は「大丈夫よ〜」とか言いながら、ビビっていました(笑)
琵琶湖、すこしあふれていたような!
ベランダから見える琵琶湖は、にごってました。
でも、水位はそんなに上がってないし・・・。
今年は渇水に見舞われなかったけど、被害が大きすぎましたね・・・。
これから、どんどん寒くなるので、体に障りませんように。
p.s.
Windsの「街のリンク集」ずいぶんと追加しました。
まだまだ、追加していく予定です。
かおるさんのHPは健在です!
蘭さん、こんにちは。
体の具合は、良くなっていますか?
お陰さまで、どんどん良くなっているのに、台風で戻るんです。もう堪忍してと大声で言いたい。こちらは、鼻炎で苦しみ中です・・・( >Д<;)
秋も鼻炎はつらいですね。
昨日の台風、すごかったですね〜。
雷と風怖かったですね。こちらは、自転車やバイクがペタペタこけていたくらいです。TVの映像で、この間見たタイタニック思い出しましたよ。病み上がりだったせいか、疲れて翌日半日寝ていました。力入ってたんですね。
ベランダから見える琵琶湖は、にごってました。
今朝もまだすこし濁っていました。それより、この台風で、ほっと胸なでおろしています。まっさかりの金木犀が見事に落ちて、匂いが一掃されたから。あの匂い強くてたまんないんです。
風邪引きさんが、ボツボツ出てきています。皆さんもご注意くださいね。
晴れた午後には空一面に、いわし雲が見える。台風が行った後は、琵琶湖の対岸のその向こうの山も、その又向こうの山も、朝日に照らされて、よく見える。目を凝らしてもう少しよく見たら、富士山も見えた、と、そんなわけには行かないが、お正月でもここまでは無理という奥行きである。この台風の置き土産、二日もたてば、賞味期限が切れてしまうのが残念だ。
私は元来エレベーターやエスカレーターが大好きな人間である。文明社会に生きる特権として、その価値を充分に認識して、それを十二分に享受して来た。やっとこさ、支柱が無くても歩けるようになると、すぐにどこかへ行きたくなる。あっという間に体重計のある15階まで軽々と運んでくれるエレベータに乗って、頻繁に体重測定に通った。某病院のエレベーターは、3階まで行く間に、ホテルなら38階まで行きそうに、恐ろしくゆっくりしていた。きっと病人に負担をかけないための配慮だろうとでも思わないと、腹立たしくて仕方の無いものであった。でもここは、静か、スピーディ、そして安定感抜群である。術後最初に、エレベーターに乗ろうとした時、ボタンを押しても、ランプがつかない。なぜかともう一度押しても反応しない。もう一度力いっぱいに押してみた。やっとついた。指先の力が弱くなっている。私ってなんて女らしいのだろうと感動した。でもそれは、一日のことだった。こんなに弱弱しくても、普通服で乗ると、誰も場所を空けてくれないが、パジャマで乗ると、スーッと退いてくれ、私の場所が確保できる。エレベータが止まって、看護婦さんと一緒に車椅子のおじさんが乗ってきた。痛いから、そろそろ立ち位置を動いていると、何やら言っている。エレベータの正面には鏡が取り付けられている。「海老蔵が乗ってきたのかと思たら、わしやった。」他人ばかりの乗客である。残念ながら、大した笑いも取れずに、次の停止階まで、狭い空間は気まずい沈黙で満たされていた。
台風が行ったと思ったら今度は地震。惨状が毎日TVで伝えられる。今朝出勤途中で、カーキ色の横長のヘリコプターが、低く飛んでいた。方向は新潟方面だったから、きっと自衛隊の救援隊だろう。人も食べ物も毛布も、何もかも不足していると言う。何かできる事は無いのかと思えるのは、それだけ私の心身に余裕が出来てきたからだと思う。
先ほどTVで0990-53-5000ここへ電話するだけで100円募金が出来ると言っていた。すぐだと混みあってかかりにくくなるので時間を置いてという事であった。ご参考までに。この際だ。イラクに行っている自衛隊、「うち(母国)も大変で、助けを必要としているから、帰らしてもらいます。」というわけには行かないんだろうか。
時々黄色い声を上げてボール遊びする3〜4歳の子が数人いて、それを暖かく見守る祖母(といっても60歳前後か)がいて、赤ちゃんの入ったバスケットをイスを二つ寄せて載せて、それを挟んで3人ばかりの若いお母さんが楽しそうにおしゃべりをしている。珍しい光景でもないが、ここは病院の待合室。ボールが飛んでくると、「オー、オー」と言ってよけるが、それ以上、誰も何も言わない。身の安全と、病院の評判を考えれば、黙って見過ごすのが安全である、こういう人達に限って、悪い噂の源になったりするとの判断が働くのだろう。
私が失うものは、もう命ぐらいしかないが、ここで命をかけるのももったいないような気がして、ぐっと我慢した。同僚も、我慢しているのが分かった。案の定、その一団が引き上げるとき、イスはそのまま。私が、彼等にイスを戻せと言おうとした時、同僚はすでに、ぷりぷり怒ってイスを戻しに一歩進み出ていた。
悲しいのは、そういうことを平気でする人が(もちろんん薬剤師の中にも)大勢居ることではなく、分別盛りであるはずのその親の世代が、我々の世代であると言うことである。日本人はいつからこんなに寛大になってしまったのだろう。あなたもやっぱり放っておきますか?
その人の持つ価値観の違いを乗り越えることが可能かということを友と話し合うことがありました。つい最近のことです。
生まれ育った環境が与えた価値観、これは恐らく一生付きまとうだろうというのがその時の結論でした。それは万有引力のようにその人をその生い育った地に縛り付けるだろう、というものでした。
これは運命論じみていささか悲しい結論でした。でも小さじ一杯分くらいの真理もあるかなとは思います。
訓練によって得られる社会性に関しては『見栄』という価値観を通して修正の余地はあるかもしれません。しかし、公共の場で騒々しい音をたてる子供のしつけに関しましては『愚かな』という一語で評したいと思います。
しかし、人様のなさることに関しての評言は、それが否定的なときは、むなしいものです。
人の振り見て我を正します。m(_"_)m
環境から与えられた、価値観は強固ですね。同感です。なかなか変えられるものではありません。たとえば、「秋には、恒例の野球関連のバーゲンセールがあり、安い!行く価値がある」という価値観にどうしても逆らえず、行ってしまう。本当はそうでもないと、どこかで知っているのに。掘り出し物を色中の若い女性のこんな声も聞こえる。「安物が安いだけやん。」でも「あんたも来たじゃないか」とこれはおばさんの影の声。西武ショッピングセンターまでは徒歩5分であるから、お手軽なレジャーあるいは散歩である。リーグ優勝の時は知らずに行った。いつも静かで人もまばらな店内に、♪オ、オ、オ、ラ〜イオンズ、ライオンズ、ライオンズ〜〜〜♪♪♪♪という派手な音楽が聞こえて、それだとわかった。偶然初日だったが、お買い得を求めて、何処から現れたのか、まあすごい人。よく知っているもんだ。活気がある。私もつい、触発されて、買わないと損という気になる。しかし、はっと我に返った。もう一度あるはずだ。
見事私の予想は当たって、やっぱりやって来た。「カットソーですか?」と店員さんが声をかけてくる。「ほしいもの無いんです。」とすげない返事をする。なら来なきゃいいじゃないかと思ってるだろうな。ダメだ〜乗り越えられない。
結局食料品だけ買って帰った。自分ではエライと思ったが、どんなもんでしょう。
薬剤師会から、「新潟へ行く、薬に関するボランティア」を募るお知らせが回ってきた。出発の日のみが書いてある。早速に手帳を出して予定を調べていると、同僚に言われた。「行ったらアカンよ。病み上がりなんやから。きっとかおるさんやったら行くて言わはると思った。」と。そうなんだ。まだまだ自分もしっかり立ち直っていないのに、これ以上迷惑はかけられない。自分を冷静に見つめることが出来ない、無責任な人が行ってはいけない。新潟へもイラクへも。義援金だけにしておこう。
歩いて、デイルームまで行き、そこで景色を見ながら、食事をする。部屋まで持って行く人も居るが、一日に3回は気分を変えたいし、寝床とご飯が一緒というのもあまり好きではない。さらに、二度往復するのが面倒である。そういう人が幾人かいて、「こんにちは」と言うようになる。最初は自分が食事をする作業を完遂することに夢中だったが、そんな余裕が出てくると、「晴れてきましたね」なんて言ってみる。脳梗塞で半身不随になり、ただいまリハビリ中のおじさんと友達になった。このおじさんの奥さんは、食事のたびに、バスに乗って世話に来る。そんな年に見えないが「これがあるから、助かるわ」と老人無料パスを利用している。「はじめは、何ゆうてるか分からんかったけど、しゃべれるようになってん。」こぼしてもいいように、ポケットの付いたプラスチックのエプロンをつけ、少しの力でつかめる特性お箸を使い、不自由な様子で食べるのを、そばで見守る。
おじさんの頭には、周囲だけを取り巻く、短い髪の毛がある。伸びてきてむさくるしいからと、病院内にある散髪屋に行ってきたと言う。「ほんまは1,500円やけど、1,000円でええわ やって。頭見て値段決まんねん。」と奥さん。「そしたら私やったらいくらくらいやろ。」と言いながら私とおじさんは同時に答えを言った。「3,000円かな」、「6,000円くらいかな」おじさんの答えはどっちだったと思う? 髪の毛の量を比較検討した結果なのであるが、3,000円である。自分の髪の毛の量を人は冷静には判断できかねるものらしい。
食事が済んで、車椅子を押して帰りぎわ、後ろを振り向いて「来な、食べへんねん。」と奥さんは顔をしかめながら笑った。
04/10/01▲〜04/10/31