『私のオーストリア旅行』

 

第7話           " 贅沢 ・ フツー質素  "   

 

その日の夜は、ドイツとの国境にある、ボーデン湖である水上オペラ『ベニスの夜』鑑賞のご招待でした。(ボーデン湖は、近頃、悪化していた水質が改善されたことで、話題になりました。)後で聞いたところ、一年に一度行われるこの催しのチケットは大変高価で、日本で言えばさしずめ歌舞伎の"顔見世"に当たるような物だそうです。私達は夏の旅行中ということで、ごく軽装なのに対して、毛皮のロングコートの人もいます。観覧席は、競艇場を思い浮かべてもらうと丁度良いのですが、階段状になっていて、ボートの走り回るはずの水中に、舞台が二つしつらえられています。

ヨハンシュトラウス作 『ベニスの夜』水上オペラ『ベニスの夜』

オペラのオープニングの演奏が始まる頃には段々暗くなってきて、急に冷え冷えとしてきました。電飾で飾られた舞台はライトアップされて暗闇に美しく浮かび上がり、その周りを小さなボートが何艘も、これもきれいに電飾をつけて、行き交います。

私は特にオペラに詳しい方ではないので、見ながら「音楽は暖房効果がないな。」とわけの分からないことを考えて寒を忘れようとします。あのおばさんの毛皮のコートは、見栄ではなく、この寒さを知ってのことだと、わかり始めました。お昼に行った町の小さなスーパーに、水着の隣りにさりげなく、ダウンのパーカーがぶら下がっている異常さ?も解りました。「毛布はいらないか」と聞かれたとき軽く考えていた私は、友人と二人で一枚しかない毛布にくるまって、ふるえています。

緊張や時差ボケでそろそろ疲労のたまりきった私に、この夜のヨハンシュトラウスは丁度良い子守歌。押し上げても、押し上げてもふさがってしまう重い瞼と、寒さとの戦いの内にその夜の芸術鑑賞はお開きとなりました。モッタイカッタナイネー。

家に帰ると、二階から大理石の階段を、素足のインゲがカモシカのように駆け下りて出迎えてくれました。寝間着の下から覗いているすらりと伸びた脚は、それ以外の形容の仕方を思いつかないほどで、思わずため息がでて自分の脚を見下ろしたのでした。

 

台所で、インゲとルート古い伝統を誇る音楽の国オーストリアで、新しい二つの事が印象に残りました。
ひとつはカチッと軽快な音をたててロック解除される、遠隔操作の玄関ドア。もう一つは、温度調節つきシャワー。二つとも今では珍しくもなくなりましたが、25年前の日本では、あってもまれで、ひどく性能が悪く、水と熱湯でシャワーを適温に調整するには、かなりの気合いと技術と忍耐力が必要でした。
電気コンロの台所は磨き上げられ、図書館のようにきれいでした。

眠ったように静かな、山間のどこの村や町にも、温水プールがあり、ディスコがありました。
日本に比べて簡素な食事、流行を追わない衣服、質素な家具、なのにインフラは日本より遙かに整っています。

フツーの人々がこんな贅沢をフツーに享受している。

私は「ナニカヘン」と日本のことを思いました。日本の贅沢は、生活水準は、中流は・・・本物かしらと疑問がふくらみました。
人が生きる上で大切なのは、ブランドのバッグでも、珍しい外国のお料理でもない。
明治以降身に付いた、付け焼き刃の西洋化を、文明とはき違えているのではないかしらと、私はちょっと国粋主義的になりかかっている自分を感じていました。
でもそんなこと口に出したら、「なまいきぃー」と言われそうで黙っていましたが・・・。

ともかくその夜は、暖かいけれど少々固いベッドに入るとすぐ、私は深い眠りに落ちていきました。

つづく

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