『私のオーストリア旅行』
第11話 " オーストリアのランチ "
私達は"日襖交流"が主目的の旅行ですから、市庁舎への表敬訪問とか昼食会とかのスケジュールが各都市で組み込まれています。その時には男性はスーツにネクタイ、女性もかなりきちんとした格好で臨みます。今日のように町は普通、山の上は寒い、昼食会はあるなんて日は、朝何を着ようか大変です。
若者ばかりのグループですが、団長とリーダーは年かさの男性です。木造のどっしりとしたレストランで、テレビ中継で見る宮中晩餐会のように、我々も互いの挨拶から始まりました。ちなみに宮内庁雅楽会?等による演奏はありません。しかつめらしい挨拶の間、翻訳の手間もあり、我々は退屈しています。
その日が初めての公式の席だったせいか、挨拶の途中で、団長が緊張して、"チロル"を"チロリン"と言ったのが聞こえました。若者の遠慮のない爆笑がはじけます。退屈して聞いていなかった人の笑い第二波もあり、一瞬にしてその場から退屈が消えました。これが分かるあなたは?歳以上ですね。子供の頃、人気だったNHKの人形劇"チロリン村とクルミの木"に登場するクルミの頑固爺さん見たいな団長の発した言葉だったからです。
通訳の人がどんな様子だったかは、ご想像にまかせます。
さて、その日のメインディッシュは鹿の肉のカツレツでした。オーストリアのお料理はドイツのように素っ気なくもなく、フランス料理のようにおしゃれで凝ってもいない、その中間的なものだと言われています。私は今日のお肉が鹿だと言われるまで、全く何も感じず、言われても分かりませんでした。何でジャムなんかつけて食べるのだと、廻ってきたジャムを不思議に思っていただけです。確かにヨーロッパではウサギや、鳩等何でも食べると聞いたことはありましたが、若いって事は、残念なことです。
若者が相手のご招待ですから、完璧なフルコースと言うわけではありませんが、オーストリアでいただいたお肉は全て柔らかくとてもおいしかった記憶があります。
私は初めての海外旅行でしたので、そんなもんだと思っていました。ところが海外旅行の経験のある人はみんな言うのです。「外国はお肉が固いからねえ。」と。 私はいつも、「そんなこと無いよ。」と言っていましたが、「あの人は、日本であんまり良い肉を食べていないな。」と思われていたにちがいありません。その後パックツアーに参加して初めて、彼らの言うことも、もっともだと分かる食事に遭遇しました。それも連日。
やはり良い物を吟味して出していただいたのだと、ずいぶん後になってから分かりました。
日本のランチと一番違うと思ったのは、山盛りのキャベツがどこにも見あたらないことでした。その代わりに、"ポンフリッツ"となぜかフランス語で呼ばれる、大きめのフライドポテトが、お皿に乗っています。私はジャガイモが大好きでしたし、その揚がり具合が又絶妙で、大変満足していました。量が多すぎる点を除いては。
それにパン皿にバターがひとかけらも乗っていないのも不思議でした。パンを実際に食べてみて分かりましたが、さっぱりしておいしく、メインディッシュとの関連でバターが必要ではなかったのです。すぐにそれにも慣れました。
スープは日本のようにこってりしていず、おかわりが出来るほどさっぱりして、かなりの量でも飲めました。独特の風味は田舎の小さなレストランでも「ウーン、本場の味だね」とうならせるものがあり、スパイスのせいだとばかり思っていましたが、一番スープで使われる分量の多いもの、即ち水そのものではないかと今では思っています。これは全く私だけの見解ですが・・・・。
必ずついてくる付け合わせの胡瓜のピクルスも、はじめは敬遠していましたが、(私は胡瓜が嫌いです。)次第においしくいただけるようになり、今では自分で漬けるほどです。
デザートの、アイスクリームや、見かけの素朴なケーキのおいしいこと。日本では生クリームで飾り立てたケーキに、必ずフォークがついてきますが、スプーンがついてきたところもたくさんありました。一流レストランでなかったからかもしれませんが、私はそれ以来、家でお客様をして、たまたまフォークが足りなくなったときは迷わず、スプーンをお出しするようになりました。形式と内容どちらかと言われたとき、私はフランス風のテーブルマナーよりおいしくいただく雰囲気と内容を重視することにしています。
一通り、お食事が済むと、『旅芸人一座』の興業の時間です。こんなにたくさんが、ただで食べさせてもらうのはあんまり悪いじゃぁないかと言うことで、代々木のオリンピックセンターで合宿して練習した成果のひとつ「日本の歌」のご披露です。「花」と「さくら・さくら」以上のレパートリーはありません。幸か不幸かアンコールは一度もなかったので、これでうまく切り抜けられました。あと、我々の芸域は「炭坑節」と「ソーラン節」を踊ることだけ。これは偶然同じ時に合宿していた日本民謡協会(こんな名前だったかな)の人にわけを話してただで教えてもらったものです。
こんな風に各地で興業を織り交ぜながら、交流の旅が続いて行きました。
蛇足ですが、その日の夕食のメニューは、、マリアテレジア大通りの屋台のソーセージ屋さんで(写真→)、これ又初体験、ホッカホカの立ち食いブルスト(日本で言うところのフランクフルトソーセージ)とパンだったことを付け加えておきます。