『私のオーストリア旅行』
第27話 " ホームビジット 1 "
――――― その朝は ...... ―――――
とても涼しい朝でした。今日はウィーンの家庭を訪問する、ホームビジットが予定されています。間もなくホストファミリーが、宿舎まで迎えにきてくれるのですが、まず朝食をとらなければなりません。
小さな食堂のテーブルにパンやバター、ジャムは置いてあるのですが、お湯が無くて紅茶が飲めません。なぜか誰もいません。「いいのかな、黙って入って。」という意見もあり、私もそうは思ったのですが、背に腹は変えられません。それに、私は人一倍好奇心が強く、苦境に立つとそれを切り開きたくなる、困った性格。大胆にもキッチンで、自分で沸かそうと考えました。
オーストリア(外国)の台所を使用するのは、初めてです。触れる事さえ躊躇させるほど、ピカピカのチリ一つ無いきれいな台所で、ガス台の上には、微妙に大きさの違う黒い色の金属製のまっ平らな円盤が四つ整然と並んでいます。バーナーのような小さな穴はありません。その時、これはガスではなく、電気のコンロだった事に、はたと気づきました。
そういえば、オーストリアは、水力発電が発達していて(山国ですものね)、電気代が安い事。各家庭に配電されている電気は220Vで、コンセントの形も日本と違い、日本の電気器具を持っていっても使えないこと。火力も強い事などを教えてもらったのを思い出しました。
どの円盤のスイッチがどれかは、絵ですぐに分かりました。いじっている内にスイッチが入ったようなのですが、円盤には温度による色の変化も生じません。私は、確かめてみたい気持ちを抑えることが出来ません。黒っぽい円盤を人差し指でそっと触れてみました。「熱い!」 成功です。
やかんも見つかりました。オーストリアの水道水は、ほとんどの人は飲んでも大丈夫と聞いていましたし、実際、私も飲んで、なんともありませんでしたのでそれを使用。スイッチを入れても、音もしなければ、当たり前ですが、炎も見えないので、念には念を入れて、水の入ったやかんと円盤を、そばでじーっと見つめていました。程なくジーと音が聞こえ、お湯が沸き始めたではありませんか。これが速いこと。
こうして、破壊や罰を恐れない、私の献身的な行動によって、早起きしていた5人ほどの仲間は、めでたく熱い紅茶と、パンのおいしい朝食にありつくことが出来たのです。紅茶の熱さがホントにうれしい、夏にしては涼し過ぎる朝でした。
Wienの街の中心部。王宮の入口「ミヒャエル門」より
オーストリア人に日本人が驚かされる事のひとつに、彼等が朝に強いことがあります。前夜、2時3時の夜更けまで遊んでも、翌朝8時ごろには、何事も無かったようなすっきりした顔で "Guten Morgen." 〔グーテンモールゲン〕 「おはよう」 と現れます。昨日のパーティでまだ眠い人も多いので、今日は比較的遅い10時頃、ウィーンでの一日を一緒に過ごしてくれる襖日協会の面々が、到着しはじめました。
その頃、日本に興味を示す人は、かなりの教養に恵まれている風采と、わずかに異端的な雰囲気を、併せ持っていました。たいての人は英語が出来て、日本語を少し話す人さえいました。
私のホストファミリーは、後で分かったのですが、石の彫刻家一家でした。夫婦と、小学生の男女の子供二人。そして彫刻家の友人の男性一人です。こちらは、私のほかには、女性一人、男性二人の計四人です。
我々は、今までエスコート役のマリアとギュンターについて、言われるがままに行動してきたので、今日もただ、ホストファミリーに付いて行けば、適当にウィーンの名所めぐりが出来ると簡単に考えていました。しかし、互いの挨拶が済んで、まず、彼等が言った事は、
「何が見たいか。何がしたいか。何に興味があるのか。行きたいところはあるか。」
などです。
予想外の質問に我々は、顔を見合わせてただ沈黙。若いとはいえ、謙譲の美徳を知る日本人。そんなあつかましいことは言えない、全権を委譲するのが客の心得と思っているから、答えの用意は無い。たとえ答えが見つかったとしても、ウィーンを知らなさ過ぎる。だから、あなた方に来てもらってるんじゃないか。宜しくお引き回しの程をと言いたかったが、それを伝えるすべが無い。私は当然と思っていた『美徳』の裏に実は半分『手抜き』が隠されている事に、ハッとしました。どうやら、自分の言動の責任を転嫁している。これが東洋と西洋の違いなのだと感じました。自分がどう思うかを言うのは、ここでは失礼でも厚かましくもなく、当たり前のことなのだと、むしろ何も言わないことのほうが問題なのだと分かりました。
英語が十分ではないことを除いても、このような複雑な気持ちで、4人が言葉に詰まっているので、ついに彼等は博物館の3択を提案。歴史博物館の見学が合議の上、決定しました。我々の様子から、これ以上話しても無駄だと知って、早速、二台の車へと我々をいざない分乗してウィーンの街の中心部へ走り出しました。
まず "歴史博物館" へ。その後、休日に開かれる "蚤の市" 、ウィーンのシンボルとも言うべき "シュテファン大聖堂" と終始寡黙でおとなしい我々を引き連れて、観光ツアーは続きます。