『私のオーストリア旅行』
第5話 " 期待の歓迎晩餐会 "
英語とドイツ語を交えて、話し合いが行われている間、私は暇なので、プラットフォームとは名ばかりの高さ20センチメートル、幅1メートルくらいの細長いコンクリートに乗ったり、線路に降りたりしていました。
日本ならさしずめ乗降位置を示す特急の名札が、プラプラ下がっているところに、コンポートに植え込まれた、ペチニアがいくつも飾られています。 その下には、これも手持ちぶさたな雰囲気の受け入れ側の女の子が幾人も立っています。金髪に縁取られた、ぬけるように白い肌と高い鼻の横顔を「綺麗だなー。」とチラチラ横目で見ていたのは私だけだったでしょうか。
ほぼみんなの行き先が決まった頃「車が混んでネー。」とエスコートの二人が到着。
私は英語の出来る14歳の女の子を見つけて、友人と二人でその子について行くことにしました。人の良さそうなパパの運転するちょっとポンコツの外車(オーストリアの国産車)で、のどかな村を走ります。
フォアアールベルグ州ルステナウの白いシンプルな家に着きました。親愛感のある家の外観とは反対に、人を拒むような重いドアを開けて一歩、中にはいると、微かにいい匂いがします。何かスパイスのようです。塵ひとつなく清潔感いっぱいです。
早速、代々木のオリンピックセンターで大声あげて練習した、とっておきのドイツ語でご挨拶。
"エス フロイエ ミッヒ ズィー ケネンツーレルネン."
「お知り合いになれて嬉しいです。」あと、知っているドイツ語は、"ダンケ"、 "ビッテ"、 "バス コステッテ ダス?"これで全部です。
Hugspiel家の家族は、パパとママと4歳の妹ルート(Lute)、主にインゲ(Inge)と私が、英語で、次の日でも思い出せないくらいどうでも良いことを、作り笑いと共に話します。
そしてともすれば訪れる気まずい沈黙を、救ってくれるのはいつも『ごはん』。 2階に上がって、可愛い赤いチェックのテーブルクロスのかかった小さなテーブルにつきました。レースのカーテン越しに見える隣の家の屋根もやはり、あの渋いオレンジ色です。
さあ、薄切りのソーセージとチーズが綺麗に並んだ、お皿が運ばれてきました。パンとバターとジャム。ジュース。それに「こんなん知ってるか?」というように、なんとネスカフェ。
私は緊張のあまり、空腹なのに食欲もなく、ボツボツ食べながら考えました。
「これは前菜、後からすごい重いステーキか、煮物か、かなりの物が出てくるはずだから。ちょっとセーブしておかないとネ。」
ところが待てど暮らせど、それ以上の物は登場せず、
「パパがスイスを見に行こうと言っているが行くか?」と言うのです。外はまだ暗くないのに、「寒いよ!」とも言うので、時計を見るとなんと「9時ッ!?」
私は日本人の小さな常識のひとつひとつが壊されていくのを感じていました。
ヨーロッパの夏は、夕刻がやけに長いのです。
はるばる遠い国からやって来た東洋人に、『大ご馳走』をするのが歓待だと思っていました。
私達は、"ホームステイ"でオーストリアのフツーの家庭生活を経験するのだと言うことをすっかり忘れていました。
アールベルグは山の名前ですが、有名なスキー場を抱えた、フォアアールベルグ州はスイス、ドイツと境を接するアルプス間近のオーストリアの端っこの州です。夏でも、夕刻になると深々と冷えてきます。そろそろ夕闇の迫る高台に、スイスとの国境がありました。高速道路の料金所のような所に、チロル地方独特のオリーブグリーンの帽子と同じ色の厚手のマントを翻して立っている役人のかっこよさといったら……。それほど外は寒かったのです。
こうして、オーストリアの第一日が、心地よい疲労と満足を伴って、暮れようとしていました。
【補 足】 "ドイツ大好き"のページでフォアアールベルグについてもう少し