『私のオーストリア旅行』
第23話 " ハイドンの生家近くで アクシデント "
ウィーンの街は古い大きな石造りの建物が建ち並び、数多くの彫像に、古い文化の香りが漂います。昔の建物が色々な形で再利用され、我々の訪れたウィーン市の建物もホーフブルグなどの古い建物が密集している中心部にありました。
ご挨拶の後、観光客は入ることの出来ない州会議場を見学しました。内部はすべて深い茶色の木造で、立派なシャンデリアがいくつもぶら下がる天井には、どこの宮殿にも描かれている、色鮮やかなフレスコが描かれており、ここが元々宮殿であったことが容易に想像できます。本来なら、ロープ越しに遠く離れてしか見られないような文化財の中で、実際に会議が行われているわけです。羨ましいですね。でもこんな中で議論したら、ちょっと保守的に傾かないんだろうかといらぬ事を考えていました。
私は、機会があれば渡すように大津市からのパンフレットを預かっていましたので、幸いにも私だけ特別に、ウィーン市の観光局の様なところに入れてもらう事が出来ました。中はどこも変わりのない普通の事務所で、「大津市長からよろしくとのことです。」なんて事を言って握手してその代わりに、ウィーンについての冊子をいただきました。
私達が表敬訪問すると、必ずプレゼントに、市の概要や歴史や観光地についての本や印刷物をいただきます。これがたまると結構な重さで、ドイツ語か英語の間にある美しい写真を絵本としては楽しめますから、捨てるわけにもいきません。さながらハプスブルグ家が領土を広げていったかのように、時間とともにトランクのスペースがどんどん侵略されていきます。オーストリア国内の移動はバスですから、それほど重さが負担にならなかったのですが、いざ日本に帰るときには難儀しました。
でも年月が経って、生き残っている冊子を開くと懐かしさが立ち上ってきますし、ヨーロッパという所が、少しの年月でそう簡単には変わらない事が解ります。
その後、ウィーンの森を抜けてブルゲンランド州との境に近いニーダーエステライッヒ州のロウラウRohrauにある、ハイドンの生家(今はハイドン博物館となっている)に向かいました。バスは牧場や山小屋風の昔からの家が並ぶ、カントリー風の景色の中を走ります。もう家々の窓をきれいに飾る花にもすっかり慣れきって、美しさにはしゃいでいる人も余りいません。程なく、舗装もなく、土煙を上げて車がたまに走る西部劇に出てくるような田舎町に到着しました。ついたと思ったのに、実はアクシデント。目的地までもう少しのところで、バスのタイヤがパンクしてしまったらしいのです。
にわかに見学とランチの予定が逆になることに。私達は、バスを降り、土地の人だけが利用するような付近のレストランに入りました。予約していないので、好きな物を注文して良い事になり、メニューの説明を受けながら、それぞれ違う物を注文しました。
ちなみに、ドイツ語で "Menu" 〔メヌー〕とは、定食のことで、本日の定食は "Tagesmenu" 〔ターゲスメヌー〕。日本語でいうメニューは "Speisekarte" 〔シュパイゼカルテ〕です。
ここはもうちょっとでハンガリーと言う場所ですから、自ずとお料理もハンガリー風です。その名も〔ハンガリアンプラッテ〕という、木の丸いプレートに乗った、お料理もありました。 ハンガリアンとつくのはこの木のプレート(お皿)が特色みたいで、スイスのベルンでもこの名で、このスタイルのお料理が出てきました。お皿からあふれんばかりのポンフリッツは、ここでも同じ。久々のカレーライスもぱさぱさの外米に「違う!」と一声聞こえました。パプリカの強い香りの"グラーシュ"という牛肉のシチューのようなお料理もこの辺りの郷土料理です。
ハイドン博物館から次々と続く今日の予定を消化できるかを気にしていたのは、エスコートの人達で、思いがけない楽しいランチにありついた我々は、パンクの治る時間も苦にならず、この大量の食物を胃が消化できるかだけを心配していました。
ハイドンの生家は、茅葺きの平屋の幾棟かが中庭を取り囲んだ割合こじんまりした家で、特にそこいらで目立った存在ではありません。著名な大作曲家ならもっと大邸宅に住んでいたかと思いましたが、かえって親しみが持てました。木の床が張られた室内には、愛用の古い形のピアノ、楽譜などが展示されており、中庭には、ハイドンの彫像と葡萄のつるが絡んだ棚があり、真っ白の壁とのコントラストが素敵でした。
私は音楽は好きですが、特にやかましい方ではないのでハイドンが、この国の人であったこともすっかり忘れていました。バロック音楽をたくさん作曲した、髪の毛が白で顔の両側に、クルクルとサザエさんみたいになっていて、後ろで一つに束ねている"ロン毛"のあのヘアースタイルのおじさんと言う以外は。
余談ですが、昔はドイツ語を学ぶ人は、医療関係の人が多かったようですが、今は法律、音楽関係の人が殆どです。
この日の予定は、まだワイン工場の見学、昔ながらのワインケラーと葡萄畑の見学を残しています。そしてウィーンに帰った後は、夜にパーティです。ところがアクシデントによるこの2時間程のずれは、我々にまた思いがけない楽しさをもたらしました。
【補 足】 "ドイツ大好き"のページでハイドンについてもう少し