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『談話室』 総集編 7月分 (▼03/07/01〜 03/07/31) | |||
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内容としては既にご存知の向きも多かろうが、こういう風にまとまって仏典にあるのだと初めて知った。『西遊記』で知られる玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰ったとされる大正大蔵経の第二巻、雑宝蔵経が出典だそうである。色々解釈はあるが簡単には以下のようである。@眼施(がんせ)…人によい眼をして接すること。
A和顔悦色施(わがんえつしきせ)…いつ、優しい顔、微笑を絶やさぬ顔をして人に接すること。
B言辞施(げんじせ)…柔らかい言葉で人に接すること。
C身施(しんせ)…礼儀正しく人に接すること。
D心施(しんせ)…善意をもって人に接すること。
E座牀施(ざしょうせ)…他人に席を譲ること。
F房舎施(ぼうしゃせ)…人を泊めてあげること。何も貧乏人にだけ許されたことでなくて、お金持ちのあなたがやってもいいのだ。これで徳がつめるのなら か〜んたん。ン? もう毎日やっている? エライなあ! でもこれやってると、なおのこと踏みつけにされる場合があると思うんだけど、それはこっちの都合なのかあっちの都合なのかどっちなんだろう。
今日はめずらしく、5分ばかりの余裕を持って駅に着いた。座っている女子高生がグレーのトートバッグから、ディオールのポーチを出した。見ればトートはエルメス。パンパンにはったディオールには筆記具が入っていると思ったのに、、出てきたのは、ビューラー。続いてエルメスから出てきたのは、直径15pのピンク色の100円ショップの鏡。まつげのお化粧が始まった。丹念に、カールさせた後は、えっ?白色のマスカラ?どうでもいいが、ブランド物ではない。 上から下から横からまつげにこすりつけている。「それ、何?」とここまで出ているが私は分別盛りのおばさん。聞けない。フト前を見ると、向かいのホームでも鏡を取り出した。オーこちらさまもおめめのお化粧。そちらに気をとられていたら、お隣さんのまつげが長く長く太くなっている。続いて黒のマスカラ。「そっちの左から3本目あたりダマになっているよ。」と言いたいが、言っちゃならねー。電車が入ってきた。私は立ったが、電車が止まってもまだやっている。乗らないの?と要らぬ心配をしていると、ドアが開いた瞬間、立ち上がると同時に、道具をエルメスに滑り込ませる早業を電車の窓に映る姿で確認。電車に乗れば、ここでもやっている。彼女の降りたあと、窓際には付けまつげの空箱が残されていた。無駄なく上手に時間を使うもんだと、感心する。これも若さの技術か。おばあさんは、なんでもゆっくりしかできないもの。あなたは今、この二つを結んだ線のどの辺にいますか?人生って、わずかの余裕の中に面白い事が隠されているのかもしれない。(だからといって公衆の面前で化粧する彼女達を肯定するものではありません。)
「皆さんは写らないようにいたしますので、9月号です。7月28日に出ます。」といわれて買った、Oggi。比叡山での護摩供養の様子が、載っているはずと、探しに探した。あった! モノクロの数枚の写真の間に、いかにも若い女の子好みの文章がちりばめられている。「こんな安手な気持ちで行ってもらいたくないね。」と彼女達のまだ知らない心のひだを知ってしまったおばさんは、そこにたまった世間の垢を垢すりして貰ってもかなわないから、「そんなもんじゃないよ」とむくれる。失望!そんなことは百も承知で、阿闍梨さんは広い大きな心で受け入れられるのだ。それがすごーい。はねのけていたら、宗教は孤立して、ただ学問になるだけ。天台宗では自分が勉強する自利行と衆生を救済する化他行(ケタギョウ)双方の修行をしなければならないそうだ。私は、その場の雰囲気、匂い、声などをそこから思い出せるが、私以外の人にはただの写真。もしちょっと見てみようかなという奇特な方、p355です。立ち読みを奨励いたします。
ご存知であろうが、“堂入り”という「千日回峰行」の中でも、一番きつい行がある。9日間断食、断水、不眠、不臥で真言を唱えるのだが、行者さんは一日一回だけ、午前二時に仏様に供える水(閼伽)を汲みに行くためお堂の外に出られる。最後のほうになってくると、小さな小石に躓いてよろけてしまうので、歩かれる前を、掃き清めるのだそうだ。図書館で、この前比叡山の上で会った、上原行照大阿闍梨さんの行の大きな写真集を見た。これはそこに書いてあった話である。そういう状態でも、人はまた、回復して、小さな石はおろか大きな石もよけて歩けるようになる。小さなことに躓いてしまう人をいたずらに非難はできない。また、躓いてしまう自分を情けないと思わなくてもいい。だれもいつも最善の状態で生きているのではない。やがて大きいと思っていた石は、原寸大に見える日も来よう。誰でもきっと思っている。私の人生は石ころだらけだと。自分もその石ころのひとつだとも気づかずに。
朝から出かけたら、山科から、琵琶湖湖西地方、敦賀方向への道が車の列。いつもはがらがらで、100キロくらい出せるのに、お花見の頃と夏の休日はいつもこれ。ドドーッと人がそちらへ移動する。それにしてもこのとき24℃。夏ばてする気温でもないけれど、今日は土用の丑の日。朝の街角からうなぎを焼く匂いがもれてくる。「今日は鰻を食べる日ですよ〜!」というスーパーのおじさんの呼び声もそんなに熱くない。山盛りの鰻に「そうそう、そうだったわ。」と近寄る人もいない。私はむしろ、鱧が食べたかったのだが、今日は役不足で端に追いやられている。すでに、衣料品は6割引よ!あちこちの用事を涼しい顔して済ませて、ホッとしたらもう我慢できない。ちょっと横に・・・のつもりが、軽井沢?の快適な風に吹かれながら、ぐっすりお昼寝。眠りたいときに好きなだけお昼寝する。なんてったってこれが夏の最高の贅沢ね。
涼しいと仕事?もはかどる。ひとつお絵かきして、こちらのページに加えました。見てね。いくらはかどってもデジタル絵日記は無理だなぁ。あなたは、今年の夏は何かにチョーセンしてますか? 私は毎朝歩くつもりが............。...。...。 あるいは何か絶っていますか、涼しい顔して。 タバコ?発泡酒?
涼しかろうと、夏はやっぱりしんどいって人、明日28日と29日は、唐崎神社の夏越の祓い『茅の輪くぐり』。行ってみたら? 御手洗団子もおいしいよ。
関西は梅雨が明けたとのことだが、とっても涼しくてしのぎよい。窓を開けていると、吹き込む風で寒いくらい。昨年できた大きなビル(実はこれは大津警察署だが)とパルコの間に、私の窓と琵琶湖が直結した風の回廊ができたのかもしれない。本当にそうなのよ。寒いのよ。クーラーしすぎじゃないってば。このマンションができた頃は、パルコも付近に林立するマンションもほとんど無くて、「軽井沢のような風が入った。」という当初からの住民の言葉が信じられる昨今。![]()
間違いなく夏休みなのは、元気な子供の声でわかるし、土、日、休みのラジオ体操もやっている。2.3日前から、せみも鳴き始めているが、心なしか肩身の狭そうな鳴き声。あちこちで踊っている、「夏物バーゲン 半額!」の文字は、今が夏の終わりなんじゃ?とフト錯覚するほど。
昔、籐むしろや室内のすだれ、風鈴なんかで夏の涼感を得られたのは、やっぱりこの程度の暑さだったからに違いない。毎日お天気や気温を記録した子供の頃を思い出す。
“ウエストウォーク”というショッピングエリアには、200の店舗のうちの8割が入っている。どこもかも懲りまくり、吹き抜けのフロアーの天上近くから流れ落ちる滝が・・・・。言われなければ知らずに通り過ぎそう。壁面はどれも、イタリア産などの何種類ものカラフルな石で覆われている。この重厚さは地方ではあまり見かけない。しかし、デザインに外人がたくさん参加しているせいもあろうが、やはり乾燥したイメージ、かたくななイメージが石の壁にはつきまとう。「アッ、今日は並んでいない!」とガイド嬢が言うほど、中華にも、本邦初のレストランには、毎日列ができているそうだ。
一歩、ビルを出ると、“けやき坂”。1本の道を挟んで、両側に高級ブランド店が立ち並んでいる。面白いのは、お菓子店も、ブティックも、真珠屋も渾然一体となっていることで、ご存知ルイヴィトンの工事現場もここである。ビルの1階の奥まった、わかりにくいところにある和菓子「とらや」の初めてのカフェ“TORAYA”の前にも列が。そして、もうひとつは、道路沿いにあり、テイクアウト用とカフェ用の2列がよく見える、世界一の日本人パテシェ辻口博啓氏のチョコレートの店、“LE CHOCOLAT DE H” (ル ショコラ ドゥ アッシュ)。食べることだけが、楽しみの私にも、さすがにその日は並ぶファイトの持ち合わせがもう無かった。どなたか行ったらお土産お願いしますね。
六本木は今、日本で一番熱いかどうか知らないが、後で知った。関西から飛行機を使った1泊2日、2泊3日のツアーも出ている。往復の交通費より安い! 某H激安交通社ある。無念! こんなに日本が均一化した今でもやっぱり東京は直接世界と接している感じがする。でも東京経由でなく、本当は手間隙かけて、飛行機に乗り、自分で世界に直に接したい。SARSも収束して、我慢していた人達はもう出かけ始めたかな。「六本木ヒルズ」のお散歩リポートでした。お疲れ様でした。
新しい物ばかりの中に、由緒正しき日本庭園がある。中国地方の大大名、毛利家の上屋敷の中にあった広さ4300uの“毛利庭園”である。屋上庭園とは全く趣を異にする。元々TV朝日の敷地内に非公開で存在し続けていたのだが、今回の大プロジェクトにあたり、東京都の管轄となり一般公開された。TV朝日は傍にすでに完成している真新しいビルへ、秋には引っ越し予定との事である。お預けになった赤穂浪士の数人も見たであろう、大きな池のほとりには、春の桜の頃はさぞ美しかろうと思われる桜の大木もある。池には翌日、宇宙めだか1万匹が、放流される予定で、宇宙飛行士の毛利さんも来るらしい。
ビル群を借景に、夜はライトアップされて、「昼とはまた違った美しさで、昼も夜も、お楽しみいただけます。」と言う説明に、私は「では、六本木ヨルズですね」と言った。ガイド嬢は一瞬きょとんとして、たいそう困惑していたが、やがて、「面白すぎる、みんなに広める、流行語大賞になるように」 とずっこけながら言った。広まったら、震源地は私ですからね。「あーあ、あほやなあ。」 と笑ったわね、あなた。 毛利庭園に隣り合わせた半屋外、アリーナはこちらのHPによくとらえられた画像がある--------性懲りもなく明日へつづく
これぞ極めつけ。このツアーに参加した人しか行くことが出来ない、“屋上庭園”。普通のビルなら、15階ぐらいの高さに、稲が青々と育っている。なすびがなっている。ルバーブもある。獅子脅しみたいなアルミのパイプが、日本庭園然とした池に生えている。400坪の屋上がすべて緑で覆われている。「NHKのニュースで見たのとよく似ている」と言ったら、そのものだった。お茶会が開けるようにもなっていて、キッチンも用意されている。そして、この庭園の重さが、このビルの耐震構造に一役買っていると、前日に調べたHPで説明されていた通りの説明があった。----roppongihillsヒストリー “逃げ込める街”の中に「グリーン・マス・ダンパー」として図が出ている----この庭園と、下層との間に空間があり、何本ものパイプが交叉して取り付けられている。それが上の重さを利用して揺れを吸収し、上と下の揺れを切り離す・・・ようだが、本当のところはわからないので、「知ってます。HPで見ました。」とは言わずに、再度聞いたがやっぱりわからなかった。
ガイド嬢からは「ここに来るとホッとする」と予想通りの答えが返ってきたが、ビルの谷間の庭園は私にはいささか珍奇に見えた。この為に、どれだけの英知が集約されているかわからないのに、素人とはかように冷酷なものである。
そこへ行くために乗る小さなエレベータがまた大変である。VIP専用で、監督やスターが、駐車場からファンにもみくちゃにされることなく、直接隣の9つある映画館やこの屋上庭園へ行くためなのだ。6面のすべてが、蛍光灯で囲まれているように白く輝き、私が銀色の宇宙服を着ていないのが恥ずかしいような気持ちにさせられる。さすがVIP様用、乗る時に鍵を開けねばなら無い。降りたところは、木の床、木の壁。意表をついた演出と、自然を引き寄せる、涙ぐましい努力である。あなたもこのツアーに参加すれば、乗れます。私のように一人で行けるかどうかはわからないけれど。
まだ終わらないroppongihills。
広場にある、パオの骨組みみたいな黒い大きなぐにゃぐにゃした物は、パブリックアート(ママン)。鉄製のクモで、足1本1トン。全部で10トン。ルイーズ・ブルジョアの作品で、世界に3つしかないそうだ。中央高さ3mほどにある腹部には玉入れの篭よろしく網の目から中に入っている20個の大理石の白い卵が見える。これは生命と芳情の源である“母性”の象徴だそうだ。若い女の子が、「朝に見るクモはゲンがいい、夜は悪いから殺す」と言っているのを最近京都でも聞いた。あなたのところではそんな風に言いませんか? この不気味なクモのえらいところは、耐震構造を持っている事。地震が来ると、自身が滑って動く。足2本は、逃げ出してしまわないよう芝生の土手に捕まっている。“母性”とは気味が悪くて、強いものなのか?
クモの左には、東京タワーを従えて紅バラが見える。花は鉄、葉と棘は、アルミ製の全長8mのお化けバラ。ドイツの女性アーティストの作品である。
あちこちにアートがあると、得意げであるが、あまりにも無駄を省き過ぎた東京では、アートが排除されがちだったのだろうか。歩道にはストリートファーニチャなるカラフルベンチがたくさんある。「座ることを拒否した椅子」という岡本太郎の作品を思えばいいのか、それとも座ることも許されるのか?
そうかと思えば、親指のお化けのような先の膨らんだ巨大な石の塊がある。見ていると、落ちてこないかと不安になる。現代が抱える不安を表現しているという説明は無かったが、なんだか身につまされる。
質は知らないが、最近は大津でも、アートや噴水はいくつもある。「こんな道端にじゃまっけじゃないの?」という人もいるかもしれないし、人畜無害のようだが、無いよりはある方が良いと私は思っている。案外、土地に余裕のある地方都市の方がこういう面では進んでいたりするかもしれないね。 ------つづく
六本木ヒルズは、どうやら当世一流のアーティスト達が暗躍しているようである。広場ではキンコン、カンコンといった金属的な音楽が時折、ザワザワした騒音の陰から、遠慮がちに流れているのが聞こえる。これがあの有名な坂本龍一作曲のテーマミュージックである。しかし名前を知っていたのは彼だけである。
たまたま5月に、偶然TVで見たのは、村上 隆。その後すぐに名前は忘れていたが。すでに彼を知っているあなたは相当造詣が深い。彼の手になるあのルイ・ヴィトンのカラフルな“モノグラムマルチカラー”も知っている? そりゃすごい!!
たとえば、インターネットで販売している420、000円のバッグの説明は以下のよう。
3月14日発売から即日完売、ニュース等でも取り上げられ、今、日本のファッション界の話題を独占しています。ポップなカラーの33色のモノグラムで鮮やかに彩られ、華麗にデザインも一新されました。独創的な新しいファッションの可能性を感じます。まちを歩けばだれもが振り向くような存在感、どこをさがしてもみつからないこのレアアイテム、早いもの勝ちです!一体そいつは何者かという人はこちらを見ると雰囲気が伝わる。ちなみに私はルイ・ヴィトンの信者でもファンでもない。9月開店予定で、現在工事中のカバー外壁にはこの“モノグラムマルチカラー”が派手に描かれている。でこぼこのトタン板が無造作に覆っているのとはわけが違うのが、ここ六本木ヒルズである。内部にはあちこちにイメージキャラクタが描かれた旗がぶら下がっている。画像はそんなひとつ。こういうアニメチックな世界がそんなにすばらしいとはねぇェぇェぇ。でも一度、若い人の会話に無理やり入って、「村上隆は良いねぇ。」とつぶやいたら、どんな反応があるか試してみたい。
地下鉄を降りて、「六本木ヒルズ→」に誘導され、明るい広々とした丸天井の下を長いエスカレーターに乗る。左側に見える“TOFUカフェ”の「とうふアイス」の文字に引っ張られながら、着いたところは、各建物への導入中央広場(画像)である。広場を取り巻く白く見える壁は、ゆるくカーブしたガラス面に沿って流れる滝で、清涼感を演出しているそうである。木々や芝生がふんだんに配され、ベンチに休む人も。それはビルの林立する中のオアシスとでも言いたげだが、私から見ればとってつけたような印象を否定することはできない。いくら森ビルとはいえ、森陰に生えるしだや、きのこのように、生育環境がその生物にあっているかどうか疑問だから。照り付けるあくまでも明るい太陽の下、あっけらかんとした都会独特の、涙ぐましいまでのサラサラ感である。
この程度の緑で癒されるほどの、軽い疲れなのかというより、何をしてもさしあたって文句を言わない木々の犠牲の上に、どうしてもほしい、緑なのであろう。陰湿な人間関係を否定し便利さを追求してなおかつ、きれいな水や空気や緑を求めるのは傲慢というものであろうが、そんなことを言っていられないほど人間は自分たち自身を追い詰めて、不自然ながらも自然を求めているのであろう。
森タワー(地上54階、高さ238m)前の私。足元向こうは石畳、手前は木、両サイドに木々の緑が見える。左は巨大なクモのオブジェ。右はゴミ回収のおじさん。
>「信じられない現象」といえばそうだし、「あたりまえよ」と言われればそうかなとも思ってしまいます。
女性のpureさん、よくぞ言ってくれました。まったくこの思いが私の科学する心?をくすぐってくれたのです。。ところで今回の上京の用事を済ませた後の目玉商品は、roppongihills。しばらくお付き合いの程を。
ついに、うわさの六本木ヒルズに足を踏み入れた。東京ドームの8個分の広大な敷地、一人マスターするのはとても無理と、“六本木ツアー”に参加した。ちゃんと前日にHPで予習したとおりに、日比谷線の「六本木」で地下鉄を降り、長いエスカレーターで2Fのインフォメーション、ツアーデスクに向かい、予約。1500円也。ヒルズというくらいだから、傾斜地に建物が建っている。1階のつもりが、地下2階だったり、気がつけば、2階だったりする。その上、建物が不等辺多角形で、自分がどっちに向かっているのか皆目わからない。これはツアーの後も同じだった。TVの印象では、大きなショッピングモールのお洒落なやつかと思ったが、意外、オフィス棟が大きくて高い。しかもなぜこんなに高層住宅があるのかと思うと、元々ここに住んでいた人たちの住居だという。私はまったく知らなかったのだが、17年を費やした、民間の手になる最大の再開発地域なのだそうだ。
希望のツアー出発時刻は満席だったのに、次は私一人。いかにも田舎から上京しましたという、あかぬけないツアー客になりすまして、---なりすます必要なんてあるのって?----そうね。ありのままで十分でした。好きなところで好きなだけ質問して、1時間かけて、あちこち回り詳しい説明を受けた。ちなみに、ガイド嬢は吉田さん、行かれたら指名するといいです。行かない? そりゃ残念。
ガイドのコンテンツは、2Fウェストウォークのエントランスにある小さなスーベニアショップ ---ああ私も変になりそうなカタカナばかりが似合う町---- に売っている小冊子にあるようだが、読むのも面倒なので買わなかった。各論は次回にして、roppongihillsのHPはこちら。しかしまあ、何度行けばマスターできるのか、またどんどんイベントを繰り込んでいるし、建設中のものもある。この賑わい、当分続きそうである。
>買って帰ろ」と近づいたところ、「宇治茶」と書いてある。もう一度よく見ると、私が飲み残したのは「静岡茶」である
よくも気がつかれましたね。「信じられない現象」といえばそうだし、「あたりまえよ」と言われればそうかなとも思ってしまいます。
お茶とかお米とかは純粋にその産地のものばっかりではないんですよね。一定の割合入っていればその産地名を名乗れるそうです。(こんなんおかしいと僕は思いますが)
あんまり下衆の勘ぐりをしても仕方がないけど、茶の葉自体がそうなら、ペットボトルの中身はねぇ・・・。
>肝心の味であるが、同じと一瞬思う。しかし後に残る味が、宇治茶には飲みなれた渋味が残り、静岡茶には抹茶のようなごくわずかの甘さが残った。Naと水のせいかもしれないが、
さすがに科学者ですな。芸が細かい、じゃなくて分析が緻密です。しかし、実のところはどうなんでしょうね。あんまり追求しない方がよかったりして・・・。(^^)
東京のホームの自販機で、お茶を買った。降りた京都のホームで同じお茶が自販機の中に見える。おいしかったので、「なんだ京都で買えるんだ、買って帰ろ」と近づいたところ、「宇治茶」と書いてある。もう一度よく見ると、私が飲み残したのは「静岡茶」である。外見は瓜二つ。じゃ、中身は? もういつもの好奇心で自販機の前から離れられない。昔、学生の頃、インスタントラーメンが全国同じ味なのかすごく悩んで、それを友人に言っても、ばかばかしいという一瞥がくるのみだったが、後で地域で違うとわかってホッとした。同じ名前のラーメンでも違うとなれば・・・・。お茶の缶をぐるぐる回して調べた。
一番摘茶入りの記載から品名、原料名、内容量、栄養成分(100gあたり)まで同じかと思うと、ナトリウムだけが宇治茶7.6r、静岡茶が8.0rと後者がわずかに塩辛いとわかった。他の相違点は以下の文章のみである。
宇治茶:古く鎌倉時代に中国から伝えられたと言われる宇治茶は、その時々の為政者に愛され発展してきた、日本のお茶の起源とも言えるものです。一年間、丹精込めて育て、八十八夜を迎えて摘み取られる一番茶(新茶)は、深みのある甘みを味わうことができます。
静岡茶:日本一のお茶の産地、静岡。温暖な気候と豊かな土壌、良質で豊富な水は、お茶を育むのに最適の環境といえます。一年間、丹精込めて育て、八十八夜を迎えて摘み取られる一番茶(新茶)は、深みのある甘みを味わうことができます。一年間、丹精込めて育て、八十八夜を迎えて摘み取られる一番茶(新茶)は、深みのある甘みを味わうことができます。
肝心の味であるが、同じと一瞬思う。しかし後に残る味が、宇治茶には飲みなれた渋味が残り、静岡茶には抹茶のようなごくわずかの甘さが残った。Naと水のせいかもしれないが、販売者は、東海旅客鉄道株式会社で同じである。 地元民として悔しいが、JRのホームで買うなら、僅差で静岡茶に軍配を上げる。あなたはもう知っていた? そして、まだおいしい兄弟達いるのかしら。
まさか祇園祭に誰か知っている人がいるなんて・・・。函谷鉾(かんこぼこ)のテントの中に、浴衣姿の見覚えのある横顔に釘付けになった。3年前、20年ぶりの宵山の帰り、子供を育て上げ、中むつまじく二人でお祭り見物の帰りの友人夫婦と、大津に向かう同じ電車に乗り合わせた。「久しぶり、元気?」という問いに、私はうつむき加減に「ん、何とか。」と言葉少なに嘘をつき別れた。
その後、彼は、勤め先の銀行が他銀行に吸収合併されて、思うに任せない毎日を送っていると聞いていた。そのまま行けばそこそこえらくなっているはずの人が、函谷鉾(かんこぼこ)で粽を売っている。四条烏丸に一番近い、この鉾町の夜間人口は現在0人で、元の住民や、その他色々な人の協力で、運営されていると最近聞いたばかりであった。自分も商工会議所から手伝いに行ったというその人に、会うつもりだったのに、彼を見つけた。でも声をかけずに、そのまま通り過ぎた。
ザワザワとした騒音と人の熱の上に、コンチキチンの祭囃子が、覆いかぶさって来る。宵山に集う上機嫌の群衆一人一人に、重くのしかかるそれぞれの人生があるようには見えない華やかな夜だった。でも今日の巡行はもっともっときらびやかである。
やっぱり晴れるのはうれしい。 しかもこんなに涼しいと宵山も楽に楽しめる。とれたて大画像一挙公開。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。御用とお急ぎでない方、残念ながら行けなかった方、あんな人ごみたくさんだという方 左の画像をクリックするだけで京都祇園祭宵山の臨場感があなたのお手元に。→画像削除しました。
先日TVで、映画『シャレード』を見ていたら、パリのメトロの公衆電話ボックスにオードリー・ヘップバーンが隠れているシーンがあった。「なんとか連絡とって下さらない。」と受話器に噛み付くように言っている。「携帯にかけてあげれば良いのに。」とどこかで思っている自分に驚いた。「そんなことあの時代にあるわけない。」と知っているのに。この地球に生物が現れてからこのかた、人間が出現したのはつい最近のことだとよく言われるが、私にとって、携帯電が出現し、老若男女の常識と化した事こそ本当に瞬く間の出来事に思える。どこに電話すれば、この進化のスピード緩むんだろう。早すぎる。でも電話の“突然変異”みたいなメールは、なかなか良いわね。
明日は、宵山。私は行きます。行こうよ! 連絡は左上の「かおる」をクリックしてメールでどうぞ。もちろん電話も可。
私にはあまりなじみがないが、今日は“パリ祭”。そもそも、私が最初にフランス革命に接したのは、小学4年生、ツワイク原作『悲しみの王妃』という本を読んだときである。宝塚歌劇“ベル・バラ”で知った人も多いだろうが、その頃はもう、歌劇を卒業していて、“ベル・バラ”は見ていない。映画では見た。>かおるさん、映画の見すぎです! スミマセン。気をつけます。
>ところで、Matrix-Relorded見られました? まだです。ところで、私は若い頃、「ボクは、フランスが好きで、好きで・・・」と、若者達の前で平然と言い放つ、蝶ネクタイのおじいさんにデッサンを習っていたことがある。その人は光風会の山田新一。新聞でその人の死を知ったので、案外著名な画家だったらしい。私もフランスを嫌いではない。大学に行ったら、第二外国語ではフランス語をとるつもりだったのに、選択の余地なくドイツ語だった。初めての海外旅行で、ドイツも、オーストリアも、フランスにも行ったのに、私がすっかりドイツ、オーストリアのとりこになったのは、案外子供の頃に、要因のひとつがあったのかもしれない。フランス革命のヒロイン、マリー・アントアネットは、オーストリアの王女である。今「私は、ドイツが好きで、好きで・・・・」と言う時に、相手がどんなにばかばかしい思いをしてるのがわかるのに、やっぱり平然と言い続ける自分は、救いようのない可愛いおばさんだと、一人苦笑している。
今はそんな余裕の持ち合わせがないが、年老いて時間がたっぷりできたらフランス語をやりたいと、ひそかに思っているのだが、映画館に入り浸っていたりしてね。
>ドアをそーっと開けるか、一気に開けるか、覚悟を決める。鍵はかかっていた。ちょっとなりにくいが、ギャング映画に出てくる、腕利き、敏捷、美人の秘密警察員となる
かおるさん、映画の見すぎです!
ところで、Matrix-Relorded見られました? スミスがアリンコみたいにざわざわ出てきます。
筋はやや冗漫ですが楽しめました。秋の第3作が待ち遠しいです。
あはは、僕も映画の見すぎのようです。
駐車場に車を置いて、家のあたりを見ると、ひとつの部屋だけ電気がついて明るい。誰か居る!? そんなはずはない。私の部屋に入る間抜けな泥棒なんて居るはずがない。でもマンションの住人同士というのは、半年も会わない事はザラ。案外、そ知らぬ顔でそこに誰かが居るかもしれない。泥棒とは違う人が。友人か? 鍵をかけ忘れた事がないと・・・・・・・・言えない。誰が来ても自信をもってどうぞといえるほど、室内はきれいではない。どうしよう。さまざまな疑念が駆け巡る。階段を上がりつつ、ドアをそーっと開けるか、一気に開けるか、覚悟を決める。鍵はかかっていた。ちょっとなりにくいが、ギャング映画に出てくる、腕利き、敏捷、美人の秘密警察員となる。飛んでくるかもしれない弾を避けるように、壁にへばりついて、トイレのドアを開ける。誰も居ない。一つ一つ隠れていそうな場所をチェックして、ついに電気のついた部屋へ。誰も居ない。押入れもチェック。隣の部屋の影に小さくなって隠れているかも。誰も居ない。誰も居ない。結局私の電気の消し忘れだったが、こんなにハラハラした事はそうない。犬飼道子の「人は、ありそうもないことを勝手に作り出して、そのことに不安になっている。」という言葉が、にわかに真実味を帯びた、梅雨の夜だった。99%ないと思っても、もうこんないやな気分を味わいたくはない。ちゃんと消して、ちゃんと戸締りしようっと。
よく降りますね。雨が降ると香りが高くまで飛んでいかないのか、今年はことのほか、クチナシの芳醇な香りが強いような気がする。クチナシには少し思い出がある。大学4年のとき、祖母と一緒に祇園祭見物に行った。「帯を結んで、ズックリ汗をかく」事を考えると勇気が出ず、祖母はそれまで実際に祇園祭を見たことがなかったのである。もうその頃は、夏は洋服だったのに、日常的なことに気をとられていると、時は矢のように流れる。
その日は、四条河原町の交差点で、“辻回し”が行われる一番ダイナミックな場所を選んだ。ノースリーブの服の形が肩につく程の強い夏の太陽が照りつけていた。祖母は人々の好意でいつの間にか一番前に押し出され、私は大勢の人越しにピョンピョン跳びながら見物した。細く切った、たくさんの青竹が車輪のそばに広げられ、その上に大量の水が撒かれる音さえ聞こえる。前に綱を持って立つ二人のほかに、両車輪の上にも人が乗り、四人が扇を振りながら音頭をとる。お囃子が激しくなる。うまくみんなの気が合えば「ヨイセ、ヨイヨイセーーッ」の「セーーッ」で一気に向きが変わる。やがて、お囃子は元に戻り、鉾は何事もなかったかのように河原町通りを北上していく。次の鉾が来る頃には、アスファルトの上に撒かれた水は、乾きかけている。すべてがこううまくいくわけではない。何回にも分けて回る鉾もある。
秋の季候のいい頃、大津祭りを親類の二階座敷から見慣れた祖母には、ちょっと粗雑だったかもしれないが、われわれは十分に楽しみ、車の置いてある、私の大学まで戻ってきた。(時々私は車で通学していた。)構内のクチナシに、ふと祖母が気づいた。余りのきれいさに一輪手折り、持って帰って土に挿した。今年はもうその祖母の13回忌をつとめたが、一輪から大きくなった庭のクチナシは今年も、きれいな花を咲かせている。 クチナシの迫力大画像へ(ちょっと重いですが)
世間は大騒動だ。人を殺しても罪にならないのかと怒っている、被害者の声ばかりが大きく聞こえてくる。人を殺していいはずがない。それは当たり前だ。加害者と被害者と単純に二つに分けると大変わかりやすいが、本当に加害者は被害者ではないのだろうか。彼も何かから被害を受けていたから、そこまで突き進んでしまったかもしれない。家族の中で彼一人が病んでいる事はありえない。家族も病んでいる。家族が病んでいるのは社会が病んでいるのと無関係ではないはず。社会が病むのは、各々が知らないうちに加害者になっているから、・・・・こんな風に考えれば、被害者と加害者の境はあいまいになる。被害者に本当に非はないのか。加害者に本当に、情けはないのか。どの事件にもそれぞれの理由がある。あっても今度のことを許してはならないが、ただ罰を重くするだけで、秩序を保とうとするのは、何か野蛮な匂いがする。自由社会だから人を殺しても自由なはずはない。しかし、もう重い刑罰でしか己を律することができなくなる人が増えるのが、自由社会が進化したことなのだろうか。戦争なら、このような異常な事態が異常でなくなる。平和だと思っているが、気がつけば、こんな事件が恒常化していくとともに、社会が戦場化していたなんてことにならないことを祈る。異常だと騒ぎ立てるほうが、まだ正常、平和だと安心できる。
ドライクリーニングのマークのタグがついているものがが家で洗えるなんて考えたこともなく、いつもクリーニングに出していた。仕舞い込んだ、気に入っていたダウンのコートがどうしても出てこない。ついにたまりかねて昨年の冬の初めに、アイボリーのような薄いベージュのを新調した。ご想像通り、薄い色だから知らぬ間にどろどろになっている。ドライクリーニングに出して、あまりきれいにならなかったり、生地が傷んだような経験はないだろうか。梅雨の晴れ間に、勇気を出して初めて自分で洗濯してみた。洗顔石鹸で私の顔を洗うように丁寧にやさしく。大成功!! やさしさは、ドライに勝る。
大事なものは、手洗いに限る。科学的な知識が、こういうときにまあちょっとは手助けになる。どの有機溶剤がどの程度力があるか、なんとなくわかっている。ちなみに、ケチャップの汚れは、キシレンで落ちる。すごい力だが、生地には強すぎるのは、除光液に入っている、酢酸エチル。一番いい気持ちになるのは・・・・・・、試したことがないので残念ながらわからない。
「祇園祭がすんだら下がる」のが、慣わしだったのに、今は年中バーゲンみたい。でも、さすがこの時期は迫力が違う。デブのせいで長い間この楽しみから遠ざかっていたが、ここ2年は、入るようになったのに、購買意欲が欠落していた。昨秋からは、その気になって、バーゲンロードを歩いてみる。しかし見ただけでわかる。試着の必要はない。♪なんでかな〜、♪なんでかな〜、なんでこううまくいかない!もしかしてっていう可能性を試さずになくするのは不本意。売り子さんは、顔で泣いて、心であざ笑う。そのハードルを乗り越えて、試着室に突入。「おー、ここの鏡は、ちょっとゆがんでいる。太めにうつる」のではない。ここでファスナーに無駄な戦いを挑んで、私のボディが勝ってしまう可能性を試すわけにもいかない。
今度は、プールだ。とりあえず、好きに泳げる場所を確保した。でも25mを3往復したらフーフー。玄米ご飯は、なかなかいい感触なので、夏のファイナルバーゲンには間に合わせる、決意!
清水寺へは、雨が降っても、予定を変更できない観光客は、めげずに、いやめげてもやって来る。その大多数は修学旅行の団体さんだが、最近はリッチな中国人の団体も多い。米国の個人旅行者も相変わらずだ。243年ぶりの奥の院ご本尊のご開帳の期間中、境内の経堂で展示がある。その日は、始まって3年になる『青龍会』という蛇踊りのような催しの衣装と龍が展示されていた。ワダエミのデザインで、京都の工芸作家達のプロジェクトチームによってなされた。古来、東西南北にそれぞれに青龍、白虎、朱雀、玄武が配されているのは、キトラ古墳内の壁画などでおなじみだが、清水寺は京の都の東にある。その音羽の滝に、観音の化身である、龍が夜毎水を飲みに来るという伝説に基づいて作られたそうだ。その折のビデオも流れている。
外人さんが、ジェスチャを交えて「フォトシテモイイデスカ?」と問うている。衣装の独特の色や、8000枚の鱗のついた龍の込み入ったつくり、そりゃ撮りたい。こっそり撮ってしまうかもしれない日本人と違って、偉い。でもこんなに多いのは、外国のガイドブックに、きっとこんな風に書いてあるからに違いない。「清水寺は、一番の人気スポットである。京都に行ったら絶対はずしてはならない。滝の水を飲んで、ご利益に預かろう。」
こんなに毎日雨が降ると、びわ湖だけではなく、天の川も水かさが増しているかもしれない。久しぶりに早朝、雨上がりのびわ湖畔を走ってみた。びわ湖ホールも、パルコもない頃からだったからもう、何年になるだろう。片時の梅雨の晴れ間をいつくしむように、数人のランナーやウォーカーがいる。数が増えた。ワンちゃんを連れている人は以前はいなかった。こういうことが「物好きな」から「あたりまえ」に変わっている。
道端のくちなしの花びらには、雨の粒がいくつもでダイヤのように光っている。強い香りが無視して通り過ぎようとする私を振り向かせる。その上、カメラまで持ち出そうと思わせる。今日の作品をタイトルにしました。題名の文字色も少し触りました。今日は緑色。晴れるといいね。★今 日 は 七 夕 !☆★・☆★☆★・☆★☆★・☆・・・☆・・・・☆・・
京都の市バスに乗り込む際に、若い女の人が、よろけた。それを見て、私の後ろの席で二人の女の子が激賞している。「めっちゃ可愛い!! お人形さんみたい。外人さんみたい。」二人の顔を見たいが、振り返るのは、いくら私でもちょっと躊躇する。お人形さんは、ほとんど金髪のカールした茶髪、塗りこんだ化粧。反り返るまつ毛、おへその見え隠れする小さなTシャツ。ジーパンの裾から見える、折れそうに細いヒールのミュールで走れば、そりゃこけるよね。
明治時代に比べ、こんなに強くなった日本でも、女の子の心はいまだに鹿鳴館をさまよっているのか。今でも、お人形さんみたいな女の子を男の子が好むからなのか。でもお人形さんみたいに黙ってはいないと思うけれどね。などといらぬことを思いながら、おばさんらしく、嫉妬の裏返しかもしれない非難のこもったまなざしをお人形さんに注いでいた。
なおも後ろの二人の会話は続いている。「これな、本当の事言うたらびっくりするから、この半額やというといた。お母さん、これ50パーやったらおいしいなぁって。そうやったら、ほんまの値段の1/4やもんな。これで買えたらいっぱい買うわ。」
お人形さんが肩にかかったシャネルの黒の布の袋から定期を取り出した。オーここは有名某女子大前。おおー、後ろの二人も降りる。確かに、少し太っていて、あのお人形さんに較べるとダサイ。こうも言っていた。「よろけてても可愛いなぁ。私らやったら、ほっとかれるわ。」人ごとじゃない。私だったら、邪魔だと蹴飛ばされるか、下手をすると骨折なんてことも。別にその気はないが、あんなTシャツ着たら、出るのはおなかだけ。おへそじゃない。あーイヤダ、イヤダ。しかし、厚化粧はおばさんのものだったのに、これまで若いやつに取られてどーする!
大津の町は古くて、狭い道だらけだから、一台が判断を誤ると、夕暮れ時など、にっちもさっちも行かなくなることがある。私は道をよく知っているから、そういう判断が抜群で、ここは待つべきだとわかる。しかし待つばかりではない。国道1号線の信号のないところを右折することがよくあるので、少しの間を見つけて鋭く曲がる技術力を獲得した。同乗する男性ドライバーは「うまい」という人と「こわい」という人がいるが、私は、この際にも待ってもらった事に対するお礼の会釈をうやうやしくするのだ。反対に、しばしば横断する車を入れてあげるし、対向車を、すれ違い易い広い場所で待つ。バス通学していた子供の頃、こんな場合に、運転手さんがよく手を上げるのを見て、「バスの運転手さんは知り合いが多いのだなぁ」と感心していた。余裕がないのかもしれないが ,最近めっきり、互いに挨拶することが減ったような気がしていた。ところがだ。今日は、2人の若い男性ドライバーが、丁寧に、手を上げて挨拶してくれた。そのうちの一台は、手を上げて、クラクションを「プッ」と鳴らし、首尾よく私の前に入れたら、テールランプを2.3度点滅さえさせた。マナーの良いドライバーばかりで、気持ちよく運転できれば、事故も減るだろうと思う。
あーよかった。あんなコネクタの名前知ってるのがジョーシキだと言われた日にゃ、「この背中の桜吹雪が黙っちゃいねエ。それが親切のつもりかい。てめえ弱い者いじめして、どういうつもりなんでエ」と啖呵をきりたいところだが、あいにく私の背中にあるのは、南の島でできたシミだけ。片肌脱いだって説得力ない。みんな知っていて、私だけ置いてけぼり食ってんじゃないかとちょっといじけていたのだ。実際、その手の販売員は、パソコン専門店にはいるらしい。また量販店には明らかにバイトと思しき、知識不足の販売員がいたり、「まったく、売る気あんのかい」という書き込みを、よそに見つけた。
私の買ったPCメーカーの名は、SOで始まります。おタクが多いのかもしれないが、その掲示板の少なくとも“初心者”の文字ははずしてほしいなぁ。気を悪くして、放置していたが、気を取り直してWindowsFAQに質問してみましょう。ありがとう。
>[2列Dsub15ピン]
こんなん知らん方が普通じゃないでしょうか。+、−RWもしかりです。僕らは末端のユーザーです。テレビやステレオの部品なんか知ろうとも思いません。なんでそんなこと知らなアカンのかなあ・・・、これって常識(!)ですよねえ。
>初心者の世界を、細かく分けてくれないものだろうか
もっともだと思いますが、かおるさん、あなたは初心者ではないでしょう。ちゃんと勉強されたみたいだから。
初心者というのは僕のように頭の中になーんにも予備知識のない者のことです。(自慢してどないすんねん)
ついでに一つ情報を。
Office2000はCDからインストールすれば登録しなくても使えましたが、OfficeXPは50回しか使えません。しょうがないので2000に戻さないといけません。くそ、商売人やなぁ。僕のせこさもたいがいですが・・・。(−−)
しかし、初心者ったて、いろんな分野でいますから分類するの難しいのんとちゃいます?LAN作ってくれたN氏はエクセルのことあんまり知らんかったです。他のことはめちゃくちゃよう知ってるのにです。
WindowsFAQに質問しますとすぐ誰かが答えてくれますよ。あれは役にたちます。お試しあれ。
1日の タバコの値上げで、禁煙する人が増えるらしい。電車や、駅など、人の集まるところでの全面禁煙も増えて、税の増収が危ぶまれるようだ。こんな梅雨時の密室だと、一人でもタバコを吸っている人がいると、髪の毛にタバコの匂いが絡みつくから禁煙は大歓迎。レストランでは(マクドナルドだが)禁煙のマークのついたテーブルへ直進する。喫茶店でタバコの煙がやってくると、知らずに上を向いて、“禁煙コーナー”のプラカードを天井付近に探して、移るべき場所の見当をつける。今までは、喫茶店でタバコを吸えない場所などないのが常識だったのに。昔、「タバコを買って来て」と頼まれて、コカコーラが、富士山の上で馬鹿高かったのを思い出し、「隣のラーメン屋に売っているけれど、ちょっと高いかもしれんよ。」と答えると、その人は、教養ある?私の言葉とも思えず、煙に巻かれたような顔をした。その人は、一瞬たじろいで、その後、一回深呼吸をして、自分を取り戻し、親切に、日本国中、タバコが均一価格であると教えてくれた。郵便が、全国どこでも80円で届くのと同じくらい感動した。これ、私の二十歳台後半の話。今の若い者は、とばかりも言えない常識のなさである。
もっと昔、幼稚園の頃でも、近所の独身のおっさんに、「かおる、タバコこうてきてくれ。」とよく“お使い”させられた。いっぱい子供はいるのに、私だけ。しかも呼び捨て。並外れて可愛かったのか?(^.^;)。今なら子供にタバコなんて売ってくれないと思うが、そんな非常識な時代もあった。常識とは煙のように時間とともに、変化する。でも煙のように実体がなくなってはならない。
pureさん、ソフトうまく入っておめでとう。私はそれが面倒なばっかりに、液晶のモニタだけともかく見たいと元のPCにつないだんです。暗ーい画面がとたんに明るくなると思いきや、とたんに出たのはピー、ピ、ピ、ピ、ピーッというものすごい音。それっきり死んでしまった。画面はそのまま真っ黒。コンセント(これじゃまるっきり初心者。コネクタのピンの配列というとそれらしいかしら)との相性があるなんて知らなかったよ。PC界は知らないことだらけ。+RWと-RWなんてもちろん初耳。予期せぬ出来事に私は真っ青。まだ全部バックアップがすんでいない。動揺が走る。真っ白のXPに、情けないことに、自分のHPをダウンロードしなければならない。手持ちのFTPをインストールした。やっぱりいつものがよくて、インターネットからFTPソフトをダウンロード。もちろんその前に、インターネットとつなぐため、忘れきっているパスワードなんかを探したりした事は言うまでもない。
新PCと新モニタは、無事作動したが、悪戦苦闘はまだ続いている。まだプリンタとスキャナがうまく認識してもらえなくて、頭の中は???の嵐。“初心者コーナー”にピンのこと書き込みしたら、[2列Dsub15ピン]の名前知らないなんてと馬鹿にされた。
提案します。初心者の世界を、細かく分けてくれないものだろうか。この世が、四聖(仏、菩薩、独覚、声聞、)六道(天上、人間、修羅、畜生、餓飢、地獄、)と分かれているように。「ヤーヤー我こそは○○界の初心者なりー」と名乗って質問する作法を確立してほしい。誰か。まあしかし、ひとつのことも、地獄を通して受け取るか、仏を通して受け取るかで、違ってくるそうで、結局自分で自分の首を絞めていることにもなるという話だ。うーん。
夏越しの祓いの“茅の輪くぐり”は、大津祭りのある天孫神社では、6月30日と7月1日に行われる。近江神宮では、一年の半分を終えた6月30日。いつも白い半紙の人形(ひとがた)の入った案内状が来るが行ったことがない。きっとここで、車のお払いを受けた人に軒並み出しているのだろう。車以外の災いを祓ってあげようという親切で。唐崎神社では、これは7月の28.29日の“みたらし祭り”である。もう今年も半分済んだなんてね。早いわね本当に。
天孫神社の横を通ったので、ついでにこの茅の輪をくぐってきたから、今年の夏はばっちり大丈夫!ついでじゃだめだって? くぐらないよりましじゃない? 梅雨の晴れ間、暑いような寒いような日々、くぐってない方、体調壊さないように注意してね。