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■比叡山 延暦寺■ 東塔(とうとう)
無動寺谷 土足参内
■ 雨があがって、もやのたちこめる参道 2003/6/25無動寺谷へは、坂本ケーブル「延暦寺駅」から徒歩のみの一本道である。つま先に力のかかる急な下り坂を歩くことだけに集中していると、あたりの澄んだ空気が体中に満ちているのに、気付かない。約15分、明王堂につく頃には、つい先ほどまでいた俗世間からすっかり切り離されている。ここから見える、さえぎるものがない琵琶湖の雄大な景色はさらに、自分がもうこの山の一部なのだと思うことに、疑いさえ持たせない。山は何も押し付けはしない。けれど己の小ささを考えれば、おのずと謙虚にならざるを得ない。
千日回峰の行者は、静寂に包まれた無動寺谷の明王堂から、この道を日毎夜毎、駆け上って行く。
土足参内 (どそくさんだい) ------ 隋喜の記録
平成15年9月18日、千日回峰行を達成された、藤波源信大阿闍梨(関連記事と写真)によって、満行の人にのみ許される土足参内が平成15年10月19日に行われた。次は一般人の目で見たその記録である。
写真は嫌いです。と阿闍梨さんがおっしゃるからではない。この行事をはじめ、千日回峰行全体について、一般人の写真撮影は禁じられている。なぜだかはわからない。したがって画像がない。
それでも見たい、きっかけがつかめない、我々凡人のために、許しを得た人だけによって撮影された大きな写真集があり、図書館に行けば、いつでも見られる。あらゆる角度、あらゆる状態から、被写体を映し出そうとしているが、決死の覚悟も、その無駄のない豊かな肉付きも、印刷されてしまうと、なんだか真実味が薄れる。厳しい行の様子が余すところ無く映し出されているとは、言い難い。生き生きとした息吹や、気迫や、やさしさがどうも感じ取れない。人間を描くためにカメラがあまりにも無力であることを思うだけだ。写真集は、記録なのか、芸術なのか何なんだろう。阿闍梨さんの一瞬一瞬を捉えているに違いないのに、それは贋物くさい。言い方は悪いが、レストランの良くできたサンプルに似ている。そういうものらしいと思って、各種書物を見ていただきたい。
参考写真集:
光永覚道大阿闍梨写真集 「回峯行」 株式会社 春秋社
上原行照大阿闍梨写真集 「千日回峰行」 四十八人目の阿闍梨 角川書店
比叡山延暦寺の説明:
土足参内とは、回峰行の創始者・相応和尚(最澄の孫弟子)以来、千年の格式と伝統を誇る。由来は、文徳天皇の女御藤原の多賀幾子が物の怪に悩まされた時、京都市中の高僧たちの呪法も一向に効き目なく、師匠円仁のすすめにより、12年篭山中の相応和尚が草鞋履の行者姿で参内し加持したところ、女御の病気は直ちに平癒したと云われる。
千日回峰行を満行した行者のみ許されるもので、京都御所内小御所に土足のまま参内し、国家安穏と玉体安穏を加持奉修する。前回は、上原行照師が平成6年10月19日に行った。今回9年ぶり、戦後12人目にあたる。
普遍的な事象ではない。土足参内を知らない方が普通。かなりマニアックな世界である。私もつい最近知った。千日回峰行の中で一番センセーショナルに報道されるのが、不眠不休で不動明王の真言を唱える『堂入り』であり、最も華やかなのが、行の仕上げとも言うべきこの土足参内である。この行事に誘われて、隋喜させていただいた。(返信はがきには[参加]、[不参加]の代わりに[隋喜]と言う言葉が使われている。)服装は第一礼装とある。女性の場合振袖か、留袖がそれに当たる。まずここで恐れおののいてしまうが、満行とは、それほどの大変なことなのである。報道関係にもあまり知らされていないということでTVカメラが二社来ていたのみである。夕刻のニュースでは、ほんの少しだが、一般の人が見られない、参加した我々にも見えなかった光景が流れていた。
さわやかな秋空は、暑いほど青く晴れわたり、赤い傘をさしかけられた、あの白い装束、蓮華笠姿の藤波源信大阿闍梨が、多くの従者を従えて、京都御所の御苑を行く。その中には、三宝に載せられた「結(ゆい)草鞋」を高々とささげ持ちながら歩く、葵祭に出てくるような衣装の男性も居る。土足と言っても、あくまでこれは儀式である。行列は、御所近くの、清浄華院(しょうじょうけいん)を出発。宜秋門から、小御所へ。天台座主、大行満阿闍梨、高僧、一般僧侶、小僧、信者、そして、えせ信者など、総勢740人の長い長い行列の人々が踏みしめる砂利からは、砂埃がうっすら舞っている。
思えば、あの2003年5月26日の、清水寺でのお加持事件(『談話室』に記載)以来、阿闍梨さんにはまって、こんなところまで、追っかけて来てしまった。
御所のお庭(春、秋の一般公開時には、誰も行くことができる)を静々と進み、小御所の前庭に来た一般信者は、階(きざはし)下から池までの庭にぎっしりと並んで立つ。「静かにしてください」などと誰も言わない。咳払いがひとつ、二つ、聞こえることで、大勢の人がいるのを思い起こさせる。なぜかというと、よりによって、私は偶然、最前列、階の真ん中。開け放たれた襖の間から、暗い室内が少し見えるが、階部分以外の人は、しとみ戸で、中の様子はまったく見えない。こういうときに日ごろの良い行いが功を奏する。
我々が、じっとたたずんでいる間に、阿闍梨さんは違う入り口から、結草鞋に履き替えて、『諸太夫の間』に昇殿。そして、被り物と、その草履を脱いで、いよいよ小御所に入られたようである。
「はじめます」という合図もない。ほら貝も、ファンファーレも無い。朗々と阿闍梨さんのお経の声が響き始めて、玉体加持(陛下がおられると仮定して)が始まった。
小御所の前庭は、もっとシーンとして、数珠を手に人々はじっと頭を垂れている。薄暗い室内に入れるのは、阿闍梨さんと天台座主のみ。僧侶、関係者は、御殿の廊下。眠っていた文化財がにわかに、かすかな息吹を手繰り寄せる。
息障講社(そくしょうこうしゃ)の人たちが座敷をはさんで向こうの廊下に見える。こちらの廊下には、延暦寺の僧の面々。
京都と坂本には、阿闍梨さんの身の回りのことをお世話する『息障講社』という団体がある。特色のある縞の野袴と白い着物、手甲脚絆に丸い菅笠。阿闍梨さんが京都大廻りの時に、先導や警備など、陰になり、ひなたになり細かくお世話をする。彼らにとって、阿闍梨さんは生き不動≠ナある。阿闍梨さんの通られる道は、ずーっと変わっていない。何もかも、昔のままに行われている。昔はここに属していることがすなわちステータスで、代々同じようにお世話してきた人たちも、世代交代が難しく、今は老齢の方が目立つ。阿闍梨さんのお側近くを歩いていた、若い小坊主さんのことを「あの人は、千日ずーっとついてお世話したはったんえ」とか、女性のある信者を「あの人は、午前3時ごろ比叡山から阿闍梨さんが降りて来はるとき、いつもお迎えしはったんえ。」と知り合いが教えてくれる。息障講社以外にも、大勢お世話する人達がいる。たくさんの、本当にたくさんの人に守られ、助けられ成り立つ『行』である。阿闍梨さんと一緒に、人々も、自分達のできる『行』をしているのであろう。
大変な『行』千日回峰行がどれくらい大変なのか、私たち凡人には測るすべが無い。ためしに、阿闍梨さん一行が観光客で一杯の清水寺へ来られたとき、私は、境内の中だけをついて歩いてみた。歩いているとは思えない、小走りである。境内には階段が多い。あちこちで祈りをささげたあと、待ち受ける信者のために、お加持≠される。私は、たったこれだけで息が切れているというのに。
京都大廻りで、足の爪がヒョウソウになっても、自分で切り膿を出し歩き続けた酒井雄哉さん。初日に捻挫した光永覚道さん。胃腸がひどく不調で、文字通り這いながらの回峰。通常4時間のところを23時間を費やし、1時間休んでまた、翌日の『行』に出発した叡南(えなみ)俊照さん。何があっても、はじめたら1日たりとも休めない。
冗談≠ェ価値のある時代、このような真剣さ≠ェ価値を失っていない世界が存在している。我々には、その大変さを推し量ることすらできないほど、その尺度は違うようである。わからなくてもいい。わからないからこそ、その大変さに敬意を表する事ができるだけの、謙虚さを忘れてはならない。阿闍梨さんが我々に見せられる常は、あまりにも飾らず、当たり前すぎる様子で、つい、我々と同じと錯覚してしまう。
声が聞こえなくなり、再び沈黙が広がった。後ろの方では、阿闍梨さんの声も十分には聞こえなかったそうであるが、私には小さな声も良く聞こえた。やがて、廊下の人々が動き出し、玉体加持が終わったことがわかった。紫寝殿の前を通り、元の清浄華院に戻ると、天台座主をはじめ高僧方に囲まれて、心なしかくつろいだ阿闍梨さんが記念撮影をされていた。
「晴れてよかった」と口々にいう人々は、「私の常の行いが良かったからだ」とは今日は思うまい。『行』を開始してから、この日を迎えるまでに7年の歳月が流れている。阿闍梨さんの晴れの日に、天が雨を降らすはずが無いと、私はまったくお天気の心配はしていなかった。
行列の一員としてしか、女性は参加できないが、それだけでも、この上も無くすがすがしい気持ちになった。その後、飯室谷の松禅院にひっそりと住まわれる源信大阿闍梨を訪ねた。初めてのお加持体験の話をしていたら、涙があふれて出てきた。全く予想できないことだった。まだまだ、興味の尽きない千日回峰と阿闍梨さんである。
この『行』は、まだ千日には達していないところで、満行となる。わざと数十日を残して、その分は一生かけて修行をしていく、死ぬまで修行なのだそうだ。
毎日見ている、すぐそこの比叡山で、やっぱりこんな日常を送っている人がいた。なお、今また千日回峰行に挑んでいる人がいて、うまくいけば次の土足参内は2009年に行われるそうである。
【参考HP】 「比叡山の修行」
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【L.U】2005 05 29