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■園城寺(三井寺)Onjoji(Miidera)■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
さざなみの志賀の都は荒れにしを昔ながら(長等)の山桜かな
・・・・・・・・千載和歌集 平忠度(たいらのただのり)作だが、読み人知らずとなっている
と詠まれた桜の名所(ライトアップ)、長等山の山麓一帯に広がる。散策にゆうに一時間はかかる広大な境内は、秋には紅葉が美しい。 木立の間に、たくさんの堂宇がゆったりと建ち並ぶが、全てが公開されているわけではない。昔そのひとつ光浄院でのお茶会のお手伝いをしたが、桃山時代の名残を残す、江戸初期の庭園も座敷もそれは素晴らしかった。
・春爛漫の長等山の大画像を見る歴 史
天智、弘文、天武の三帝の勅願により、弘文帝の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武帝より「園城」の勅額を賜り、園城寺の歴史が始まる。天智、天武、持統の御産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれたが、後に智証大師が厳儀・三部潅頂の法水に用いて、三井寺と呼ばれるようになった。現在は、天台寺門宗の総本山。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
仁王門(重要文化財)
まっすぐに、坂道を登り三井寺の境内に入って、初めに目に入る、堂々とした門。室町中期、1451年建立。左右に運慶作の密迩金剛力士像が安置されている。元々、東近江の常楽寺にあったが慶長6年徳川家康が移築。
釈迦堂(重要文化財)
天正年間造営の清涼殿を移築。簡素な住宅風建築。本尊は清涼時式釈迦如来立像。
金堂(国宝)
本堂。本尊弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられる。慶長4年(1559)豊臣秀吉の遺志により北政所が再建。
鐘楼(重要文化財)
近江八景のひとつに数えられる『三井の晩鐘』の鐘は金堂に向かって右手にある鐘楼の中にある。
慶長7年(1602)准三宮道澄が弁慶の曳摺鐘を模鋳したもの。鐘の画像はこちら弁慶の曳摺鐘とその伝説はこちら
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閼伽井屋(重要文化財)Akaiya
金堂の西側にある。三井寺の名の由来となった霊泉。建物の窓から覗き込むと、左隅下の方でボコボコと水が今も絶え間なく、音を立てて湧き出している。
建物正面上部には、左甚五郎作の龍の彫刻がある。夜な夜な琵琶湖に出てこの龍が暴れたので、甚五郎自らが、龍の目玉に、5寸釘を打ち込み静めたと言う伝説も。慶長5年(1600)金堂と同じく、北政所による再建。
一切経蔵(重要文化財)
毛利輝元の寄進。慶長7年(1602)山口の国清寺の経蔵を移築禅宗様経堂。室町初期の建築と考えられる。
唐院(重要文化財)Toin 画像を見る
灌頂堂 :大師堂の拝殿として建てられた。
大師御廟所:国宝智証大師坐像(国宝)、黄不動尊立像(重要文化財)
長日護摩堂:
三重塔 :奈良の比曾寺にあった。慶長6年(1601)徳川家康が移築。寺内で最も重要な場所である。開祖智証大師が入唐してもたらした経巻や法具が納められた場所。
観音堂(県有形文化財)
西国33ヶ所、第14番札所。現在の御堂は、元禄2年(1689)に再建された。本尊如意輪観世音菩薩(重要文化財)、愛染明王坐像(重要文化財)安置。
お堂から後ろを振り向くと、大津の市街とヨットの浮かぶ琵琶湖の風景が一幅の絵となって眼前に広がる。この景色を見ながら名物力餅を味わうのも一興。
( 077-524-2416)
護法善神堂(市指定文化財)鬼子母神(訶梨帝母)をまつる。現在の建物は、享保2年(1727)の再建。
●『千団子まつり』(5/16〜18)
5/16 10時 重要文化財「鬼子母善神立像」御開扉
串に団子をさして神前に供えることからこの名で呼ばれるようになった。幼児の無病息災を祈り、名前を亀の甲羅に書き、境内の池に、災難よけ放生供養をする。大津では古くから、植木市としても有名。
「月例祭」は毎月第二土、日
\ :500円
大津市園城寺町( 077-522-2238 代)
京阪・石坂線「三井寺」下車徒歩10分
JRびわ湖線/大津駅下車・京阪バス三井寺下車
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【L.U】03.09.22