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■  Salzburg ザルツブルグ州
Wien  Vorarlberg Tirol Kaernten Steiermark Burgenland Niederoesterreich Oberoesterreich Salzburg

ザルツブルグ Salz[塩の]burg[城] はその名の示すとおり、岩塩の産地として古くから栄えました。音楽の国オーストリアの中でもザルツブルクは、夏に催されるザルツブルグ音楽祭であまりにも有名です。かつて難攻不落を誇った城塞ホーエンザルツブルクや、大司教の別荘だったミラベル宮殿、噴水仕掛けが楽しいヘルブルン宮殿、そして旧市街Alt Stadt 古めかしい、鉄細工の張り出し看板に飾られたゲトライデガッセ、そこで生まれた天才モーツアルト。小さな場所にぎっしりと魅力が詰まっています。

この州は文化だけでなく、オーバーエステライッヒ州へと扇状に広がる、ザルツカンマーグート地方は、山と点在する湖の織り成す素晴らしい景観で、全世界から集まる観光客を魅了しています。ヨーロッパ随一と言われる、クレムルの滝、ヴェルフェンの町近くには世界最大の氷の洞窟、ハラインでは岩塩の採掘抗が見られ、バード・ホーフやガスタイン、バードガスタインは保養地としてよく知られています。

Salzburg 〔ザルツブルグ〕

州都ザルツブルグは1200年にわたり、この地方を統治してきた、大司教の富と権力が、築き上げた芸術の薫り高い古都。旧市街は世界文化遺産に登録されている。

またアメリカ映画の "サウンド・オブ・ミュージック"の舞台だった事でも良く知られている。ただ、この映画のモデルとなった人物および、オーストリアの時代背景については、いろいろな見解があり、地元ではアメリカから見たオーストリアとして、映画の人気は全くない。しかし、"サウンド・オブ・ミュージック"をテーマにした、観光バスツアーがいくつも企画されており、政治とは無縁のあっけらかんとした観光客を楽しませるサービス精神は、さすがと言うべきであろうか。
 


□ホーエンザルツブルク城塞

メンヒスベルク山頂に位置する。外敵から身を守ると同時に、市民を威圧する意味もあった。1077年に建築が始まり、増改築が繰り返され1681年、現在見られる外観となった。中世の城塞建築としては中部ヨーロッパで最も良く保存されたもののひとつで、内部には博物館のほか、大広間、礼拝堂、「ザルツブルクの雄牛」と呼ばれる大オルガンなどがある。


□祝祭劇場

音楽祭が開かれる3つのブロックからなる劇場は、大司教の廐舎を1926〜28年に建築家クレメンス・ホルツマイスターが祝祭劇場小ホールに改築したもの。その後1956〜60年に大ホールが増築された。我が家の目と鼻の先にある「琵琶湖ホール」はこれをワザワザ見学に行き参考にして作られたそうだが、リサイクルではないのに、馬小屋をモデルにすることもないような気もするのだが。何か建築家をひきつけるものがあったのかもしれない。

□モーツァルトの生家

ゲトライデガッセ通りの両側から頭上に張り出した、鉄細工の装飾は、昔、字の読めない人の為に考え出された看板で、特別の暖かな雰囲気を醸し出している。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、その繁華街の中ほどの9番地で1756年1月27日に生まれた。入り口はごく質素で目立たなく、一度目に行ったときには通り過ぎてしまったほどだが、絶えずたくさんの観光客が訪れている。ザルツブルグに無くてはならない人物である。『私のオーストリア旅行』第38話 でも触れました。

□モーツァルトの住居

モーツァルト一家が1773年から1787年まで移り住んだ、舞踏教師の家ゝanzmeisterhaus は、ザルツァッハー川を挟んで生家の反対側 Makarplatz 8 にあり、戦災で殆ど失われたが、最近再建されて1996年より博物館として公開されている。

□ミラベル宮殿

1606年大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人サロメ・アルトのために建築、1721〜27年に巨匠ルーカス・フォン・ヒルデブラントによってバロックに改築された。階段を飾るプットなど大小様々の彫像は1726年ラファエル・ドンナーが制作、広間はコンサートや催し物の会場となっている。

 

□おもちゃの博物館

祝祭劇場の近く。古いおもちゃがたくさん大切に保存されている。ここはテレビで紹介されているのを一度だけ見たことがある。物語の世界に迷い込んだような気がする。

 

□ザンクト・ペーター・シュティフツ・ケラー Stiftskeller St.Peter

創業803年。ヨーロッパ最古のレストランといわれる。隣にある聖ペーター教会の修道院のワインケラーだった。洞窟をくりぬいた天井の高い広々したスペースは人が大勢いてもあまり気にならない。ろうそくがゆらめく薄暗い屋内から、ふと見上げると高い天井の、そのまだ上の夜空には、無数の星が瞬いていた。換気を兼ねて天井が開いたような気がする。そのときはこんな有名なレストランだとは、知らなかった。郷土料理と自家製のワインが楽しめる。もちろんザルツブルクノッカーも。
 

□モーツァルトクーゲル

超有名ザルツブルク名物モーツァルトクーゲルはこちら フュルスト から1890年に発売された。出来ていく課程の画像がこのページのmakingをクリックすると見える。HP以外、ザルツブルクにある三店でしか購入できない。現在巷でよく見るものは、日本の某製菓会社が、バブルの折に買収したと言う噂だが。

 

□ヘルブルン宮殿

Salzburgの郊外。町の中心部から南へ7キロ、大司教マルクス・シティクスの1613〜19年、建築家サンティーノ・ソラーリによって建築された。大司教の夏の離宮で、来る人々を驚かせようと、庭のいたるところに仕掛けられた噴水によって名高い。『私のオーストリア旅行』第37話でふれました。

 

Oberndorf 〔オーベンドルフ〕

聖歌「きよしこの夜」の生まれた村(dorf:村)。現地オーベンドルフのHP“Silent Night! ”and Oberndorfでクリスマスイブのチャペルの画像が見られます。
 
 以下はその抜粋.........  聖歌「きよしこの夜」は1818年、ザルツブルクの小さな村オーベンドルフで生まれました。そのときの教会は、1890年の洪水により被害を受け、荒廃したため、1906年〜1910年にかけて壊されていきました。当時の教会の尖塔も風雪に耐え切れず、1913年に取り壊され、祭壇は新しい教会に運ばれました。今、その祭壇の絵だけが、1818年、世界で初演の「きよしこの夜」を知る無言の目撃者です。

きよしこの夜メモリアルチャペルは1937年8月15日に、聖ニコラウス教会の敷地に建てられました。既に礎石が置かれてから、13年が過ぎていました。遅ればせながら、「きよしこの夜」誕生の100年を祝い、世界のあちこちから、聖歌隊がやってきました。今では、オーストリアのCarinthiaや、米ミシガンにそのレプリカも建てられています。

1928年には、作者GruberとMohrの記念碑がオーベンドルフ村の中心にある、聖ニコラウス教会の前に建てられました。

毎年、12月24日のクリスマスイブのミサには、全世界から多くの人々が集い、礼拝堂の周囲をうめつくし、聖歌隊と一緒に色々な言葉で「きよしこの夜」を歌います。

----- ドイツ語のオリジナルの「きよしこの夜」は
こちら
のページのText and musicをクリックして
Download MP3-File
から聞けます。-----

「きよしこの夜」の歌について
今我々はオリジナル曲とは若干違った「きよしこの夜」を歌っています。これは、「少し例外の箇所もあるが基本的には5音音階、いわゆる四七抜きになっている」のだそうで、素人には歌いやすく、世界中に広がったとのこと。同じ5音音階で、コットランド民謡(蛍の光など)があり、日本人にも受け入れやすかったようです。「作曲者グルーバーにとっても、それは作曲者冥利につきるのではないか」という意見もあります。

 

→ザルツカンマーグートについては追って掲載予定

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